千寿イメージ画像
 翌朝、そう、1000年前の人間にはまだその習慣が広まっていない、クリスマスの朝。
 千寿は子作り日から解放された殿様の元へ向かう前に、ちょっとした使いを頼まれた。殿様の娘・章子から、書物を運んで欲しい、と言われたのだ。
 この章子というのは、文字通りの天仙の如き美女で、殿様自慢の娘であった。館の奥深くで大切に大切に育てられたこのお姫様に、殿様の書庫から必要な時に必要な書物を届けてやることも、千寿の仕事の一つであった。
 何しろ、戦嫌いの殿様にとって、数ある趣味の中でも、読書はその大切な一つであり、書庫の本はすべて貴重なものであったから、ごく限られた者しか立ち入りが許されない。その限られたものの一人が千寿であった。
 何しろ、広い書庫の中の、どこにどんな書物があるか、すべてわかっているのは千寿くらいであったから、殿様や章子のような本好きが、書物を手元に取り寄せるには、なくてはならない貴重な人材である。
 本来ならば、嫁入り前の大切な娘の元に、たかが十幾つの小僧とはいえ、異性を出入りさせることは憚られるはずが、千寿に限ってはそれすら許されていた。そして、今朝も同じように、章子様が御入り用の書物を抱えて、お部屋に向かう途中、意外にも二人の人物と行き会った。

 殿様の娘にして章子の姉・辰子と、殿様の養子・晴持の二人だ。晴持は土佐一条家に嫁いだ殿様の姉の息子、つまり甥であった。しかし、殿様はせっせと子作りしているにも関わらず、いつまでたってもお世継ぎに恵まれない。いるのは、辰子と章子の姉妹だけである。よって、心配になった殿様は、甥を連れて来て養子にした。
 晴持の実家一条家は公家である。だから、真似事をするまでもなく、最初から公家そのもの。その容姿ものっぺりとした公家風の美男子だ。しかし、実際にはその公家暮らしが気に入らないらしく、殿様に隠れて武芸の鍛錬などしている。しかも、その鍛錬の相手が辰子であった。
 まったく、妹の章子は美しくてお淑やかであったのに、姉の辰子のほうは、器量はまあまあ美女の類に入るが、お淑やかとは程遠い性格。男勝りで武芸を好み、殿様の悩みの種であった。
 さて、この晴持と辰子は、元々従姉弟同士であったが、今は義理にも姉と弟になっている。しかし、この二人が武芸の鍛錬と称し、実は二人して逢い引きしていることは、殿様以外知らぬものがない。いわば館内の公然の秘密であった。
「あら、千寿ではないの? また章子のところへ本を届けに行くの?」
 辰子の耳障りな声が響く。
 千寿はもともと、この辰子と馬が合わない。どうせ、「寝所の小僧」たちの筆頭だと思って馬鹿にしているのだ。さっぱりした裏表のない性格などと、言われているが、単に言うべきではないことを平気で口にするだけの、心づかいというものが分からぬ女だ。しかし、大内家とも今日でおさらばと言う日に、こうして出会えたのも何かの縁だろう。章子様ともども、最後のご挨拶をしておいても減る物はない。
「これは、辰子様に晴持様。お揃いでまた武芸の鍛錬ですか? まさか、出雲攻めには辰子様も御同道なさるとか? 我が兄の元ならばそれも叶いましょうが、太守様がお許しになるとは、とても思えませんね」
「何なの? そのいやらしい口のきき方は? 女だから戦に出られないなんて一体だれが決めたのよ? すくなくとも、お前ではないわよね?」
「滅相もない。今、お話ししましたよね? 我が兄の元ならば、それも叶う、と。それでは、ご機嫌よろしゅう」
 捨て台詞とともに、二人を残して立ち去る千寿の耳に、辰子が悪態をつくのと、晴持がそれをなだめる言葉が聞こえた。
「何なのあれは!? いまいましい!!」
「まあ、姉上、落ち着いて下さい。相手はまだ子供ではないですか」

 さて、一方の章子のほうは……。
 常と変わらぬ美しい笑顔で、千寿を部屋に迎え入れてくれた。
「あら、まあ、こんなにも沢山……大変でしたね」
 章子に頼まれた『源氏物語』を渡すと、お礼に菓子などをくれる。
 殿様から山田の世界で家一軒買えるようなお宝を大量に貰っている千寿が、菓子などもらっても嬉しくもなんともないのだが、辰子と違って好意を持ってくれていることが分るから、ここではいつも、嫌みのかわりに美辞麗句を返している。
「章子様のような天女のようなお方のためでしたら、このくらい何でもありません。百冊でも千冊でもお持ち致します」
「お上手ね」
 そう言って、章子はそれこそ天女のような微笑を浮かべた。
「そうだわ、何やら、父上の元にまた南蛮人が来ているとか……。またこの前のようにご機嫌を損ねなければ良いのだけど」
 章子が言っているのはあのザビエールのことである。既に、面会の許可を得て待機中であった。
「大丈夫です。わたくしが傍についておりますから。太守様に無礼なことを申したら、成敗して頂きましょう」
「あら、成敗するなんて、怖いわ」
 二人して軽口をたたき合い、暫し和やかな時を過ごした後、千寿は丁寧に一礼して章子の元を辞した。
(章子様、どうかお元気で……)
 もしも、自分が山田の言うところの性的マイノリティーとやらでなかったら、章子のような才色兼備な女人と懇ろになりたい、千寿はふとそう思った。しかし、何の因果か仲良し度100%の妖艶なナルシスト・陶隆房に奉仕する羽目になっているのであった……。