千寿イメージ画像
邂逅

 桜の花が満開の時節。我が身は出雲にあった。
 一人陣幕の外に出て、月明かりの下で咲く花を愛でる。
 花の美しさは何処も同じ。しかし、昨年の同じ頃、我は咲く花の下で、愛しい者を弔った。  今は亡き、その美しく愛らしい姿を思えば、常と同じく咲く花が、恨めしくてならない。
「……様」
 何やら耳元で、聞き覚えのある声がした。
 だが、辺りを見回しても、姿はない。
「……郎様」
 間違いない。愛しいその声を、我が忘れると思うか?
「千寿!?」
「五郎様」
 月明かりに照らされて、艶やかな稚児姿が微笑んでいる。
 まさか、あの時と同じ、美しい花の下、今は亡き者の幻を見るとは。
「どうしたの? 千寿の事、忘れた?」
 千寿の幻は、生きていた時と同じように、朗らかに笑っていた。思わず手を伸ばすと、我が腕の中に飛び込んで来る。これも、生きていた時とまるで同じだ。
「会いたかった」
 腕の中のその妖は、まるで生きていた時と同じように温かく、ふんわりとその感触すら感じられた。
「本当に、千寿なのか?」
 そんなはずはない。千寿はもうこの世にはいない。他ならぬこの手でその最期を看取ったではないか……。
 花見の宴の席で、好色な公家に目をつけられた千寿は、高位高官に目が眩んだ主と公家との取り決めで、一夜だけ「貸し与えられる」事になったという。
「もう、嫌。全部」
 会いたい、という文で、満開の桜の木の下に誘い出されて、そのいかがわしい取り決めについて聞かされた。
「五郎様は、結局約束を守ってくれなかった。あいつを殺す、って言ったのに」
 腕の中の愛しい童子を強く抱きしめる。例え、妖でも、幻でも、そんなことはどうでもいい。どうせ、夢の中では毎晩のようにその姿を見ている。だが、こうして、手で触れることは叶わなかった。しかし、今は何故にかこうして、我が腕の中にいる。
「あのね、千寿は今黄泉の国にいるの。でも、毎年一度、そう、一度だけ、こうして会うことができる」
 黄泉の国? 毎年一度?
「そう言えば……今日はお前の命日であったな」
「やっと思い出してくれたの?」
 黄泉の国から来た、という千寿は我が腕の中で、ふふっと笑った。
「会えて嬉しい?」
 純真無垢な童子が微笑む様を見て、これまで封印していた思いが解けたかのように、涙が自然と溢れ出る。夢か幻か分らぬが、夢ならば覚めないで欲しい、そう願った。
「恥ずかしい。西国無双の侍大将が泣いている。これから尼子家との大戦が始まるっていうのに」
「すまぬ。お前を守ってやれず……」
 千寿は我が腕を擦り抜けて、ふわりと木の下に移っていく。
「良いの。これは、望んだことだもの。ねえ、知っている? 千寿はこのまま年を取る事がない。ずっとずっと、今のまま」
 幼くして死んだのだから、もうこの姿が老いさらばえることはない、というのだ。
「すべてを五郎様にあげることにしたの。己の命と引き換えに」
 その朗らかな笑顔を見れば、単に永久とこしえに続く一途な思いを示したに過ぎぬかの如く聞こえる。だが、「己の命と引き換えに」という恐ろしい言葉の重さは、今の我には耐えがたい。
「二人だけの時間。もっと大事にして。もう、二度と、あいつに邪魔をされることはないから」
 千寿は言った。主を殺すか、己が死ぬか、と。
 あの日、我らは月明かりの下、二人だけで、そっと杯を交わした。そして、千寿は我が目の前で、自らの杯の中に、あらかじめ仕込んであった毒をあおった。
 何も知らされてはいなかったが、千寿はその日のために、密かに、毒物を手に入れていたようだ。主に一服盛ることもできたはずだが、それはしなかった。初めから、その気はなかったのかも知れない。
「これまでどこにいたのだ? 厳島でお前の声を聞いた気がした。その後も度々、傍にいるのではないかと感じた。そうなのか? 本当に、今も我が傍にいるのか?」
「黄泉の国にいる、って言ったでしょ? 死人の国だよ。傍にいるはずがないよ。五郎様、馬鹿なの?」
「間違いなくこの耳で聞いたのだ。今と同じ言葉も。『馬鹿なの?』と」
「そうだね。心の中にいるのかも。夢の中で会えるのかも。違う?」
 千寿は声をたてて笑った。
「いや、お前が、元就を罵る声を聞いた後、元就が落馬した」
 千寿の顔がふっと曇った。何やら、底知れぬ憎悪が渦巻いているかのように見えた。そう、確かにあの時、「殺してやる」と聞こえた。
「あの男が、何かお前に無礼を働いたのか?」
「気のせいだよ。そんなに千寿の事が恋しくて、空耳ばかりきいているの? そこまで愛しいと思っているのなら、約束きいてくれるべきだったのにね」
 主を殺して欲しい、それが出来ぬのなら、千寿を殺せと。結局、その約定は果たすことができなかった。千寿は死んだが、我が手にかかったわけではない。そして、主は今なお健在だ。
「そうだね。いつでも見ているよ。黒い鎧に白い陣羽織。その妖しくも美しいお姿を。だって、五郎様にはやはり戦場が似合う。公家の宴会でしかめっ面しているのなんて合わないよ」
 千寿はそう言って、何やら愛おしくてたまらない、といった風に甘く切ない表情で我を見つめた。