鶴寿丸イメージ画像
「ん? そこのお前、何をしている?」
 下っ端の隊長はこそこそしている子どもを見つけ奇怪な表情になる。子どもはにやにや笑うだけだ。これだけの大軍を率いていくのだから、数合わせに子どもを混ぜたのだろうか? それにしても、足手纏いで邪魔なだけでは?
「おい、そっちは総大将の寝所だ。お前のような小僧の出入りは」
 言いかけた隊長はふと考えた。
 もしやして、傍仕えの子どもかも知れない。偉い人のすることは凡人には分からない。それに見たところ端正な顔立ちで、たしかにそのようなご用が務まりそうではある。
 いやしかし、万が一そうではなく、無関係な雑兵であったならこれ以上近づけるのはまずい。
 そんなことを考えていると、戸が開いて中から総大将が出て来た。隊長は下っ端なので、そのお姿など目にすることはできない。まずいことになった
「そこでなにをしている?」
 総大将の側近「付」の偉い隊長が二人に近付いた。
「あ、いえその、あの」
「船内が広くて道に迷いました」
 子どもが平然と口を開く。
「どこからこのような子どもが?」
「騒がしい、何事だ?」
「怪しげな子どもといっしょに下っ端風情がうろついておりまして」
 隊長が側近に答える。
「子供だと?」
 子どもまで兵員に充てるという話はきいていない。みれば本当に十二、三の子どもである。
「つぎの津でおろせ。戦場であるぞ。そんな子どもは邪魔でしかない」
「はは」
 隊長がかしこまって答える脇から、その子どもが口をはさんだ。
「邪魔とはなんだ。働きを見てから言え」
「な、何? 何という口のきき方をするのだ。そのほう、一体何者だ? 父親の名は? どこの配下だ?」
 その時、総大将の政弘は雲間に浮かぶ月を見上げて、何やら手にした短冊に歌を書きとめようとしていたようだ。それなのに、これら下々の会話が耳に入り、せっかく浮かんだ歌のアイディアが消えてしまった。振り返り見た主の無言の威圧感に、下っ端一同は身の危険を感じた。こういう場合、美男のほうが醜男より遥かに威力がある……。
「お許しを」
 側近を頭に一同はその場に額ずく。例の子どもを地面に押し倒すことも忘れなかった。
「出陣早々、無粋な輩を成敗するも不吉。風流を解さぬ輩は我が傍に近寄らすな」
「はは。これ、早く失せろ」
 下っ端は子どもの手を引いて慌てて逃げ出そうとしたが、子どもが動こうとしない。
「これ、命が惜しくないのか?」
「命が惜しくて戦に出られるか」
 部屋に戻ろうとしていた政弘は、その子どもの前まで歩み寄って足を止めた。
「そなた、どこぞで見かけた顔だな」
「はい、築山館の宴の折に」
 御館様の美男の威圧感でぺしゃんこになっている大の男たちは、その子どもが冷たく見下ろしている主の氷の視線を物ともせず、平然とその顔を見上げている奇怪さはもう、目に入らなかった。
 なぜなら、子どもの今の返答に、政弘を除く全員が愕然となったからだ。子どもの正体は不明であるが、宴の席で御館様に会ったとなれば、紛れもなく相当な重臣の子弟という事になる。
 政弘は暫し考えているようだったが、思い出せぬようだった。
「陶尾張の守が一子、鶴寿にございます」
 側近を含む全員が卒倒しかけた。まずはこの場で、一番偉い側近よりも陶弘房のほうがランクが上である。その子どもとなれば若君として傅かれているはずだが、なぜにこの船に乗っているのかがわからない。もしも父親・弘房が若輩ながら此度を初陣に、と伴ったのであれば、乗っているのは父親と同じ船でなければならない、政弘の旗艦に紛れ込んでいるというこの事態を、どう説明するのだ? 行先は戦場ゆえ、いたずらではすまされない。監視の目をすり抜けた点も責任を問われるし、いったいどれほどの者が咎を受けるのか不明である。すべては政弘しだいなのだが。と、一同は這いつくばったまま密かに主を見遣る。
「弘房がそなたを連れて来るとはきいておらぬが」
 政弘は淡々と言った。背筋が凍る……。明らかに不機嫌なのだ。
「つぎの補給地点でおろせ。何人か供の者をつけて山口まで送らせろ」
「承知しました」
「お待ちください。父の許しが出なかったゆえ、こっそり乗り込んだのです。下ろされたら京へはいけません」
「京に行って何をするのだ」
「戦に出るのでございます、どうかお連れ下さい、必ずやお役に立って見せまする」
「決めるのは我ではなく、そなたの父だ。父の命に背くとは不忠である」
「では父上がよいといえばお連れ下さいますか? 父上に会わせて下さい」
「出立の時に言われたことが命であろう」
「留守を預かれといわれました。ですが戦は京でおこなうもの。国に残ってもやることはありません。手柄をたてて御館様のお目に留まればきっと、御同道をお許しになると思いましたのに。口惜しうございます」
 這いつくばっている一同はへたばって来た。早くこの不毛な会話をやめてくれない事には心臓に悪い。まったく、こんな子どもは放り出して終わりと思ったのに、まさか陶の殿様の息子とは。しかし、とんでもない悪戯坊主だ。いったい、どんな手を使って紛れ込んだのだろうか。いずれにせよ、関係者は処罰を免れまい。
 政弘は無言のまま鶴寿丸を見下ろしていたが、雲間から出て来た月を見遣ってから、なおも手にしていた短冊と筆を手渡した。
「一首詠んでみよ」
(え……そんな)
 たとえ肥溜めの掃除を頼まれたとしても我慢してやってみる。しかし、彼には歌だけは詠めない……。
 当惑する鶴寿丸は、政弘の無表情な顔が、何やら嘲笑を浮かべているように思えた。
(ああ、今宵の名月よりも麗しいお姿……けど、俺には歌詠みだけは無理だ)
「書けぬのか? ならば、つぎの補給地点で下りろ」
「お待ちを……」
 鶴寿丸は月を見て、政弘を見て、そして、手の中の紙と筆を見た。ああ、もう少し、まともに歌詠みの修行もしておけば。いやいや、向いていない、嫌いなことなどやる必要はない。どうせ、考えてもまともなものはできない。
(ままよ、ただの五七五七七だろうが)
 何やらすらすらと書いている。ここで、素晴らしいものを書き上げてくれたら、さしもの御館様も破顔して終わり良ければ総て良しに。まあ、これだけの高官の息子、当然、御館様好みの訳の分からない風流な歌くらい詠めるはず。一同の期待をよそに、鶴が書き上げたのは、素晴らしい達筆であった。文字の読めない下っ端には無理でも、側近レベルだと期待度大となる。しかし……。
 にっと笑って短冊を捧げ持った鶴から、それを受け取った政弘の顔は一瞬にして、形容しがたい怒りの表情に変わっていた。
「そなた、日々どのような鍛錬をしておるのだ?」
 側近は、その場に投げ落とされた短冊を拾った。
――京へと向かう戦の船の中雲間に浮かぶ夏の月かな
「ああ、飯田様!」
 側近「付」隊長は慌てて彼の身を支えた。隊長には読めないが、おそらく、卒倒するほど感動したか、或いは……。想像するに、後者だろう。
「季語とやらも入れましたが?」
「もうよい。失せろ。風流を解さぬ輩は我が傍に近寄るな」
「そんな……。歌など詠めなくても戦はできます!!」
(あああ、おやめなされ)
 側近はもう本当にこの場から消えてしまいたかった。政弘は「嗜み」として歌を愛している。御前にてそれを馬鹿にすることは、万死に値する。だが、相手は子どもだ。人付き合いのいろはも分からないのだろう。さらにまずいことには、これが本当にそこらの甲乙丙人であれば、怒鳴られただけで尻尾を巻いて逃げるはずが、育ちが良いだけに我儘で世間知らずだ。
 政弘は常に完璧な自分を演じ続けている。たとえどんなに怒りがこみあげても、ここで見苦しい暴言を吐いたり、後ろ指指されるような目茶苦茶な命令を下したりするわけにはいかないのだ。しかし……。何なのだ、陶の家のこの小僧は……。元を辿れば同一の先祖だなどと二度とほざけないようにしてやる。いや、それはだめだ。主君は寛大であらねば。特に、無能な配下ほど寛容に扱う。馬鹿は放っておけばよい、それだけだ。
 常にパーフェクトを演じ続けるのもたいへんな労力を要するものである。雲間の月に風流を求めようとした彼は、妙な親族の出現により、未だかつてないほどの疲労感を覚えていた。本当に、どう処理すればよいか分からなくなってしまった。少なくとも、今そこで這いつくばっている数名よりは、まともな「それらしい」ものが書けると思っていた。それならば、「道中風流の友」として、特別に傍に置き、京に着いたら弘房に押し付ければよい。そう思った。それ以外に、このようなとんでもない密航者を特別扱いするまともな理由が思いつかなかったからである。「それらしい」ものでありさえすればよかったのだ。それなのに。配下の我慢も限界だと思われた。しかし、動揺した彼には完璧な解決策が浮かばない。
「あの……」
 鶴寿丸はしおらしく言った。
「すみませんでした。お許しを。何もかも私が悪いのです。この者たちにも、他の誰にも、何の責任もございません。まして、父や母や叔父や弟や舅や妻にも……」
 その後は子どもなだけに、おいおいと泣き始めた。
「御館様、その……つぎの補給地点で、下りていただき、山口にお帰りを」
 側近が、最初の下っ端を指さした。
「この者に送って行かせましょう」
「よきにはからえ」
 一同はその場で卒倒した。皆、腰が抜けていたのである。政弘の姿はとうに消えていた。逃げたのであろう……。
「あ、飯田様、いったい、どうすれば?」
 隊長が側近に尋ねる。
「わしに分かるはずがあるまい」
 鶴寿丸はその場にばったりと倒れた。皆が驚いて取り囲むと、何とにやにやと笑っている。
「思ったのだ。やはり、最後は泣き落とし、だと。御館様は『退き口』が分からなくなってしまわれただけ。きっかけなど何でもよい。後は京まで無事に匿ってくれよ」
「え!? まさか、下りないと?」
「当たり前だ。歌など詠めと言われて、肝が潰れた……。苦労に見合うくらい稼げないとわりにあわない。先ずは腹が減った」
 一同は呆然となった。が、下っ端は、彼らがまだ、御館様の部屋の傍にいることに気が付いた。今のこの子供、いや、陶様の若君のお言葉は、すべて御館様の耳に入ったと思われる……。
(覚えていろ……いつか片付けてやる)
 政弘は室内で唇を噛みしめていた。未だかつて、これほど無礼な相手に会ったことはない。それが、身内の、しかも、こんな小僧だったとは。しかし、このような小僧に腹を立てているなどと他人に知られてはまずい。今宵の出来事はすべて悪夢と忘れるしかない。

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