鶴寿丸イメージ画像
 石見から花嫁が来たのは、それからまもなくのことだった。
 相手は石見の国人・益田義堯の娘である。弘教はせっせと婚姻外交を行っており、その縁組先は守護家だけとは限らなかった。益田家ほどの家格であれば、将軍家の御家人と手を組むことは重要だった。
 周防・長門ほど支配が盤石とはいえない石見、安芸の有力御家人とは積極的に手を結んでおきたい。ひとたびことが起これば、彼らは途端に敵対勢力となるからだ。
 これまで先祖代々は何度も、幕府の「討伐対象」となった負の「実績」がある。離れては結ぶのは将軍と守護の間もそうだし、守護と支配領国の国人勢力との間もそうだった。その時々の周囲の情勢で、関係はいかようにも変化する。縁組とは、そんなときに、身内の誼があったならば、という単なる「保険」のようなものでもあった。もしものときに、それにすがるか、非情にも互いに断絶するか、どちらともいえない世の中である。
 教弘は将軍家との関係があまり巧くいっていない守護であった。というより、あまりそれを重視していなかった、というのが真相であったかもしれない。実は、暫くの間、幕府に嫌われて、勝手に隠居させられていたという事実がある。当主であることを認められず、息子の新介が当主と見なされた期間があったのだ。
 無論、役人が監視しているわけでもないので、京での「名簿」がどうなっておろうが、気にすることはない。分国では、誰一人、年端もいかぬ亀童丸が当主だなどと思ってはいなかったのだから。  さて、ようやく幕府の勘気も解けたので、動くなら今のうち、ということだ。
 守護大名達は皆、せっせと周辺の国人たちを被官としてとりこもうとしていた。即とりこめるほどの弱小勢力ではなく、かつ、幕府との繋がりが強い者たちとは「縁組み」の形で関係を築くことは多々あった。鶴の父は仁保家から、鶴自身は益田家からと、親戚筋の陶家(右田家)に有力御家人の娘を嫁に迎える。むろん、これを契機として、その後、正式に被官として取り込めるケースもありうる。また、国人らからみれば、これだけの名門に娘を嫁がせることができれば、これ以上の喜びはない。
 石見の国人衆で一貫して友好的なのは、益田家くらいのもの。元々友好的なのだから、一見したところ、この縁組にはたいした意義はなさそうである。
 益田家は石見の名門、幕府の御家人としてその地位は安定していた。しかし、境を接する大国である大内家と身内になれることはやはり心強い。石見には他にも吉見家のような勢力があって、代々揉め事が絶えない。実を言えば、益田家は吉見家にも娘を嫁がせていたが、身内とはいえ、こことはもう純粋な「政略結婚」となっている。
 義堯は剛胆で快活な弘房の人柄に惚れ込み、また、幼い娘と並んで座る幼い婿を見遣り、彼らがまさに、金童玉女のような天仙のごとき一対であることに感激して目を潤ませていた。これほどの良縁はあるまい。
「いや、我らが身内となった以上、貴公も大内の家のためにお力を貸してくだされ」
 幕府はすでに、度々おこる諸国の騒乱を自力で平定できる力をなくしていた。室町殿御分国の支配が及ばない遠隔地には、九州探題、鎌倉府のような組織があり、それぞれの地域を管轄していた。しかし、今となっては、すでに形骸化してまったく何の役割も果たしていないか、反対に自立心を強め、幕府の管轄下らはみ出してしまっているのであった。形骸化しているのは九州探題であったが、たびたび起こる九州の火種を押さえるのはもはや不可能であった。騒乱の鎮圧には否が応でも、大内家の力が不可欠なのである。
 このような場合、幕命は大内家に下されると同時に、益田家等御家人にも下る。御家人らは大内軍と行動を共にする事になるのだ。むろん、自身もあくまで幕府の任命を受けた守護であるので、一致団結して国を乱す賊軍を討伐するのである。こんな時、ともに戦う国人勢力との間に平素からの強い繋がりがあればやりやすい。

 さて、幼い夫婦は人形のように上座に座っているだけであったが、煩わしい儀式がすむとようやく二人きりになった。さりとてまだ夫婦のことができる歳でもないので、友達同士のように語らうだけである。
「名は何という?」
 鶴寿丸は愛くるしい少女に興味津々だ。
「みわ」
「どう書くのだ?」
 少女は右手の人差し指で、床の上に仮名文字を書いてみせる。
「うーーん」
 鶴はちょっとの間、考え込んでいたが、何かひらめいたようである。さっと立ち上がると紙と硯をもってきた。早速、筆をとりさらさらと書き付ける。
「美羽?」
 少女は目をくりくりさせて、声に出して読んだ。
「そうじゃ。おれは鶴だから。そなたは俺の美しい羽となる」
 そうやってにっと笑った鶴を見て、みわあらため美羽もぱっと笑顔になった。
 これまで無色透明なみわであった少女は、ここに、夫君を支える美しい翼という役割を与えられた。まるで、綺麗な色付けをしてくれた恩人であるかのように、少女には少年がとても頼もしく思えた。
「はい、鶴様のきれいな羽となりまする」
 鶴もまた、己の妻に大満足であった。世の中には、これほど美しい少女がいたのだどいうことを、彼は今日この時に知ったのだ。気の毒な事に、きっと新介様の御館にもいないレベルの娘だ。あれ以来、常に目の前にちらつく美しすぎる面影がトラウマとなっていたが、やっとのことで克服できたようである。

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