大内政弘イメージ画像
 船旅は順風満帆であった。(なお、日付や地名は史料によって微妙に違い、ほかに正規の職業に就いているタダの歴史マニアには検証する時間的・経済的余裕はまったくない。だが、気持ち的に日付がないと気分が悪いので平均値を取っている。以下いちいち断らないこととする。ちなみに、優れた歴史小説はどこまでが史実でどこまでがフィクションなのか、境界線が極めてわかりにくく、それゆえに、自称歴史マニアな若者が史実とフィクションを混同してしまう。学者先生にいわせれば、そこが罪なのだという。稚拙な本作にはどうやら罪はなさそうなので、安心してつぎに進む)。
 密航がバレても、頑として船を下りなかった鶴は、御館様と高官、どちらにも媚びを売りたい下っ端たちによって総大将VIPルームから一番離れた空き部屋をあてがわれた。遊び仲間の虎三と一緒に、「おとなしく隠れているように」いわれたが、無論、そんないいつけなど知ったことではない。
 船は日が暮れると陸に近いところに停泊し、瀬戸内海をまったりと進んでいた。周辺地域からかき集められた優秀な漕ぎ手たちの技術が素晴らしかったお陰か、あるいは、英姿颯爽たるお姿に心奪われた海の女神のお導きか、そこここにある難所が新介様に牙を向くことはなかった。その霊験あらたかなるご加護の下、鶴たちの航海も平穏無事である。
 ほかの船では、馬から人から、海にこぼれ落ちそうなほど満載しており、足の踏み場もなかったが、幸いこちらは総大将旗艦。信じられないほど快適だった。
 鶴はあいもかわらぬやんちゃぶりで、首が飛ぶからと泣いて頼む下っ端を無視して広い船中どこにでも出現した。
 ただ、そこは、お父上がもらってきた「隠形」の神に守られているので、どうやら下々の者からは「見えなく」なったようだ。その後二度と、「怪しい子ども」として捕まる騒ぎはない。
 夜毎、舷に現れては何やらお歌を書いておられる新介様の姿を見かけたが、「一首詠んでみよ」はまっぴらごめんなので、あれ以来、近付くことは避けていた。

 その日、下っ端が重箱をもってやって来た。
「どうぞお召し上がりを」
 虎三が蓋を開けると、いつになく豪勢だ。
「おお、すげぇ」
 これまでは鶴様のような高官の子弟まで、乾飯を食わされていたというのに。
「補給地点の民が届けてきたものです。総大将はお召し上がりにならぬと仰るので、こちらでどうぞ」
「ん? 御館様は召し上がらないのか?」
「下々の民からの進物など、口に合わぬのでは」
「うわ、尾頭付きだ……」
 虎三は行儀悪くむしゃむしゃ食べ始めた。
「食べないんですか?」
「腹が減っては戦ができぬ、というのに、何も召し上がらないのはいけない。歌を詠むには腹を空っぽにしないとダメなのかな?」
「だったら、鶴様も腹を空っぽになさったらいかがで?」
 そういって、鶴の分もいただこうとする、虎三の手を、ぴしゃりと叩き、
「今どこら辺か分るか? いつになったら京につくのであろうな」
「さあ……まあ、方角は間違っていないんじゃないですかね」

 その夜、政弘は習慣の歌詠みをやらず、VIPルームの中で報告書の束を読んでいた。何やら楽しそうで、僅かばかり笑みも見える。このまま行けば、数日内に兵庫に入る。京はもう、目と鼻の先であった。となると、陶弘房の息子が気になる。その後も命に従わず、なおも船内にいることは分っていた。雑魚どもは上手く隠しているつもりでも、主の目は誤魔化せない。
 あんな子ども一人に関わる必要はないが、陸へ上がったら弘房とも合流するので、いい加減どう処置するか決めなくてはならない。鶴寿丸の妻は益田家の娘。此度伴って来た国人衆の中に、石見の益田家はない。未だ幕府からの命に従い、細川側につく意思表示だ。ここで、あの子どもになにかあっては、せっかく亡き父が取りはからった縁組みが無駄になってしまう。
「鶴寿丸をこれへ」
「は?」
 側近は聞こえないふりを装う。
「まだ船内にいることは分っている。今すぐここへ連れてくるのだ」
 有無を言わさぬ迫力に、側近は部屋から転がり出るほかなかった。
(どうしたものか……いや、しかし、『よきにはからえ』との仰せであったのだ。『下ろせ』とは言われていない。用があるから呼び出すのであって、下ろしていないことを咎めているわけではない。そうだとも、咎められるなら、とうに咎められておるわ)
 何度も己に言い聞かせながら鶴のもとへ向かう。
「御館様が探している?」
 鶴も呆然となった。歌を詠まされる、と警戒しているのだ。意外な反応に、側近にもやっと思い当たった。
「幸い、今宵は月も出ていないので。ああ、その、歌を詠めと言われたら、一旦それがしと室外へ。そこで代わりに書いて進ぜよう」
「ええ!! 本当に?」
 二人とも前回の修羅場は懲りている。ここは協力しなければ。

「お連れしました」
「そのほうは下がっていよ」
 中からそう声がした。鶴は側近に促され、怯えながらも室内に入る。
「……あ、あの」
「まあ座れ」
 無表情で、不必要なことは話さない政弘と、常に表情豊かで喋りまくっている鶴とは、互いに無言のまま一刻ほど。この場合、こちらから余計な事を言ってはならないくらいは鶴にも分る。それに、このお方とは多分、話も合わない。
 いっぽうの政弘。「不必要なことは話さない」性格だが、必要なことはきちんと話す。しかし、この時は暫し言葉が浮かばなかった。こんな子どものために悩ましく考える己に腹がたつ。
「先ずは、いくつか大切なことを話しておく。心して聞け」
「……はい」
「これより暫く、我が傍で過ごすよう」
「え?」
 鶴の顔色が俄に青ざめた。政弘には想定外だ。これほど深い恩寵はないはず。どうも、側近から配下の武官まで皆、己の傍に近付きたがらないのはなぜなのか? まだ家督を継いで間もない若造などに、亡き先代のような「威厳」は、かけらもないはず。それなのに、こやつらは皆、判で押したように彼を敬遠していた。親族であるこんな子どもまで。
 いちいち命令に「説明」を加えなければ理解できないような馬鹿者を相手にするほど、不愉快なことはない。しかし、身内であるので、一度だけ見逃してやった。
「戦場に出たら誰もそなたの身をかまってなどくれぬ。生きて帰りたくば、我が傍にいるほかない」
 総大将の脇にいることが、どうして生きて帰ることに繋がるのか、鶴には分らなかった。なぜなら、彼の想像する総大将は、常に先頭に立って、戦場を駆け回っている姿だからだ。当然、最も目につくし、真っ先に「やられる」ポジションだ。まあ、それゆえに、お側に行きたいとは思っていた。しかし、例の「一首詠んでみよ」があるから、できれば遠慮したい。
 鶴の返事がないので仕方なく、政弘はなおも続けた。
「身の回りの世話をする小者、ということにして出入り自由にしてやる。弘房と合流したら、身柄を引き渡すゆえ、その後のことは父の命に従うのだ。なお、父の元に辿り着くまで、そなたの身分は甲乙丙人とし、此度の悪ふざけについて一切不問とする。そのかわり、存在そのものが無であるから、たとえどんな手柄をたてようとも、すべては無である。あの、ろくでもない三十一文字同様、何もかも夢幻で史書に刻まれることはない」
 御館様が一度にこれだけ沢山のお言葉を発してくださったことに、鶴は深い感動を覚えた。
「分りました」
 声を震わせ、涙まで浮かべている鶴を見て、政弘がくすりと笑った。ちょうど、築山館で初めて会ったあの時のように。

 兵庫(摂津)は細川勝元の領国だった。勝元はおなじみ安芸の国人衆を動員し、大内軍の行く手を阻もうと試みたが、とてもかなう相手ではなかった。第一関門はあっさり破られ、今、摂津では守護代・秋葉元明に赤松家から援軍を借りてやり、守備を固めさせていた。
 突貫工事で要害をこしらえ、それなりに兵を配置して、とにかく先へ進ませないこと。秋葉はそう命じられていた。
 秋葉勢は後から合流した伊予・河野道春の部隊に襲いかかったが、先発の陶弘房らが踵を返してこれを挟撃し、秋葉元明はほうほうの体で逃げだした。何しろ敵は数が多い。その上、皆、「上洛する」という一つ目標のために一致団結しており、士気が異常に高い。こんな化け物相手に、掘っ立て小屋のような要害が役に立つとは思えなかった。

 どうやら、総大将というのはやることがないようで、いよいよ旗艦が入港という時には、すでに先遣隊によってあらまし片付いてしまっていた。
 ああ、しかし、物凄い船の数だ。鶴寿丸はあんぐりと口を開けた。所狭しとひしめき合う船に、水面はすべて埋め尽くされている。敵が恐れをなして逃げ出したのも頷ける。
「舳艫千里。これが我らの持ち得る力だ」
「ジクロセンリ?」
 己の支配下にある大船団の勇姿に自ら酔いしれてしまった政弘は、弘房のように言葉の意味を教えてくれることはなかった。

「長旅でお疲れでしょうから」
 諸将は政弘をねぎらったが、本人には休息する意志などなかった。
「戦に肝要なのは勢いである。止まることなく進み、休むことなく攻めるのだ」
 先に、六甲本庄山、続いて越水でも細川方を撃破。難波水堂の戦いでは、細川被官・池田氏政の寝返りで決着がついた。このほかにも三宅、茨木といった国人衆がつぎつぎと帰順を表明した。まるで、逆らえぬ大きな波に飲み込まれるがごとく。行く先々がすべて大内の旗印に変わって行った。道中、戦らしい戦もなく、敵は戦わずしてその威容に恐れをなして平伏すのみ。
 鶴にはまったく面白くない。確かに御館様は神だが、これでは戦になりやしない。
「戦は戦わずして勝つ事こそ最上である。つまらぬか?」
「いえ……いや、ほんの少し」
「そのうち分る。まずは京に入ることこそが目標である。正式な戦はそれからだ。そこに着くまでに無駄な兵損は避けるべし」
 鶴はへらへらと追従している見慣れぬ顔の連中を見遣りながら、
「あの者たちは、寝返った、つまり裏切りですよね? なんでこんなにも沢山……世の中不忠者であふれているようですね」
「あれらの連中は、長いものに巻かれ、強い者につく。誰の配下となるかはその時々でかわる。無論、人心を失えば、人は自然と去って行く。そのことは我らにもあてはまる。このこと、よく覚えておけ」
 分国内にも御館様を裏切るような不埒な輩が出るということなのだろうか? 鶴には信じられなかった。

 こうして、八月二十三日に、政弘はついに入京を果たし、下京の東寺に陣を置いたのだった。

 やっと人心地ついた一同が顔を合わせる。船旅を経てきた者、陸路ひたすら行軍してきた者、色々だ。順風満帆に見えて実際には合戦だから、双方に被害が出ている。池田氏政の裏切りがあった難波水堂でも、末武弘春が命を落としていた。まさに、生死は紙一重であった。
 鶴が見たところ、総大将の政弘が出る機会はあまりなく、ほとんど先遣隊で事足りている印象であった。なので、共にいても危険な目に遭うことも、戦とは何ぞやを学ぶこともなかった。
 そのまま、鶴は父の弘房と再会する。弘房の狼狽ぶりは気の毒なくらいだった。家を出るとき、母上と妻の美羽には置き手紙を残してきた。それを読んだ母の仁保氏がショックで倒れ、美羽も病にかかったことを鶴は知らない。当然、彼らはこのことを知らせて弘房を動揺させることは避けたので、父は鶴が御座船にいたなどとは夢にも思っていなかった。
「こ、これはいったい、どういうわけで?」
「理由は自ら息子に聞いてみるほかないだろう。我にも分らん」
 政弘は怒っているのか笑っているのか、いつもの無表情な顔で淡々と言った。
「とんだご無礼をいたしまして。なんとお詫び申し上げたら良いのか」
 弘房は当惑しているようだった。鶴同様、あまり礼儀作法には通じていないが、大人だから付き合いとして常識の範囲のことは分る。しかし、常識外れのことをしでかしてしまった息子のことを、どうやって主人に詫びるべきかなど、それこそ想定外過ぎて分らなかった。

 こうして、鶴および、虎三の二人は弘房に引き取られた。
「父上……」
 鶴は弘房が自分を叱ることはないと分っていた。ただ、父の船に乗り込んでいたら、その場で下ろされていただろう。それが嫌なので、政弘の旗艦を探したのだ。ほかのどうでもいい重臣の船に乗ってしまったら、同じように下ろされるか、あるいは、何者か分ってもらえず、罰せられていたかも知れない。けれど、当主である政弘本人に認めてもらえれば、あとは怖いものなしである。まさか、身内の年端のいかぬ子どもを成敗するほど縁起の悪いことをするような人ではないと信じていた。
 はからずも、ことは鶴が想像していたとおりに順当に進んだ。そのお陰あって、父と無事再会できたのである。しかし、勝手に自宅の唐物を使って、奉行を買収するなど、やることが「悪質」だ。逆に、そんなやり方で協力が得られてしまうという家中の「闇」にも問題がある。褒めてやっていいものか、弘房は多いに悩んだ。
 鶴から、御館様に甲乙丙人で通せ、といわれたことを聞き、弘房もまた、鶴を甲乙丙人とみなすことにした。暫くは置いてやるが、そのうち落ち着いたら分国へ送り返すつもりである。此度の戦に同道することを許した覚えも、これから許すつもりもないのだ。

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