大内政弘イメージ画像
 入京し諸将に挨拶をすませた政弘は、席を温める間もなく、東寺を出て北野に向かった。
「え、昨日着いたばかりなのに……」
 やっと寺の中で眠れると思っていた鶴はがっかりだ。
「これ、ぐずぐずするな。文句を言うくらいなら、家でおとなしくしておればよかったのだ」
 父に叱りつけられ、鶴も仕方なくその後に従う。
 洛中の建物は所々が焼け落ち、伝え聞いていた花の都はやや痛々しい様相を呈している。平和な山口の街を思い出し、京のどこがそんなに人を惹きつけるのか、鶴は理解に苦しんだ。新介様が、意味不明な歌を詠んでいるのも、京かぶれであるせいだ、と聞いたことがある。先代も先々代も、なんで歌詠みに拘るのだろう? それに、つまらないガラクタ(書物や書画骨董)に目の色を変えているのも鶴にはよく分からない。どうやら、今のところ、主に嫌われる完全なる武骨者であった。
 政弘は丹波国へと続く要衝の地・船岡山に本陣を置いた。丹波国もまた細川の分国。ここを押える意義は大きい。暫くはここを拠点とする心づもりのようで、配下に命じてすぐにも工事に取り掛かり、突貫工事ながらちょっとした防御施設も兼ねた堅固な陣所を築かせた。その後も普請は続き、後にはちょっとした「城」のようなものができる。

 八月二十九日には加茂、九月一日、五日には花の坊で、東軍との小競り合いがあった。
 鶴と虎三は弘房の配下に入って、弓矢が飛び交う中、せっかちな兵士らが共に斬り合う様を目にしたが、それ以上のことはなかった。政弘同様、弘房も小競り合い程度で動くことはない。鶴たちは弓矢の届かぬところから、やる気のなさそうな敵軍を眺めていただけであった。
 どうやら政弘の視線の先にあるのは、こんな小さな戦闘ではないようである。船岡山は、郊外ではあったが、東寺よりは山名宗全の邸宅に近い。そして、かつては身内同士として蜜月の期間もあった山名・細川両家は屋敷も近い。そう、山名邸に近いということは、細川勝元の京屋敷にも近いのであった。

 畠山政長邸跡地(ここは、上御霊社の戦いに赴く前、政長自身が屋敷に火をつけて燃やしていた)からほど近い、等持寺。畠山義就はここに陣を置いていた。ちょうど、船岡山と等持寺に挟まれるようにして、山名、細川、斯波の京屋敷、それに御所や内裏もある。
 その日、通りかかった若狭守護・武田信賢の弟・元綱軍の兵士が、この義就陣に向かって矢を射かけた。
 信賢は東軍の主力の一人。内裏の東、三宝院付近を警護中であった。このつまらない行為に腹を立てた義就の配下が、敵を蹴散らして追いかけていくと、武田配下は三宝院に逃げ込んだ。
 これをきっかけに小競り合いとなり、義就と親戚筋の畠山義統、六角、土岐の軍勢が、武田信賢が籠る三宝院に放火した。

(大人げない……)
 政弘が眉を顰めていた間に、義就の元には、将軍・義政の御教書が届き、もはやこれ以上政長と私闘を続けることを禁じる。宗全共々軍を引くこと。今後、河内国は政長と半分ずつ治めていくように、云々と書かれていた。
――力ある者が相応の評価が得られる、そうあるべきです。
 義就は、唐突に、政弘の言っていた言葉を思い出した。 河内国、それも半分だけ、などという低評価。あまりにも人をコケにしている。それも、将軍様が仰々しく「くれてやる」と。義就は思わず、頭に血が上った。
(この俺に、あんなうすのろと仲良く半国の守護になれと? 誰が承知するものか。人を馬鹿にするのもたいがいにしろ)
 義就には、平然と不法行為をおこなって、義政の勘気を被ったという「前科」がある。
 国を治める際、いうことを聞かない在地領主たちを黙らせるため、義政名義のニセ上意を発行したのだ。それも、一枚二枚ではない。噂になって義政の耳に届くようになってもやめず、注意されてもあらためず、ついに将軍様の堪忍袋の緒が切れるまで繰り返し行った。
 将軍・義政は優柔不断で頼りない男だが、いちおう自らの意志は存在する。細川勝元が従弟の政長をバックアップしていることを知りながらも、「気に入った」という理由で義就の家督を認めてくれた。将軍自ら与えてくれた「お気に入り」という地位を平然と手放してしまう、それが義就という男の大胆不敵なところをあらわしていた。
 義政はあまりにも我儘で勝手な振る舞いに腹を立て、彼の家督を外して政長に付け替えたのだった。勝元の後押しがあったとしても、ここは完全に将軍自らの意志だったのだ。まあ、為政者の気まぐれで、まともに勤め上げていたとしても首の挿げ替えは起こり得る。だが、最低限のマナーすら守れない男には、根回しや追従などできないのだ。
 彼には怖いものなどなにもない。嫌われようが、非難されようが、好きなようにやるだけだ。義就は畏れ多くも、内裏と上皇の御所を占拠してしまった。この時も天皇と上皇は細川勝元と共に御所の中だったから、彼らの住まい・空の建物を取ったところで事態は何もかわらないが。まあ、嫌がらせくらいにはなるだろう。
 西軍側はこれに勢い付いたのか、山名宗全も細川勝元邸および、将軍御所に隣接する日野勝光邸を包囲した。

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