みやじま・えりゅしおん

宮島の寺院とお堂

宮島と言えば厳島神社と合戦の島と思ってしまうけれど、それだけではない。有名な大寺院から細い路地裏にいらっしゃるお地蔵様まで、信仰の対象はじつにさまざまである。本来はそれぞれの寺院やお堂単独で項目を作りたいのだが、そこまで掘り下げることはできなかった。申し訳ありません。いちおう、『宮島本』に載っているものが主なものなのだろうという手抜きな考えから、本に載っている場所を訪れていたかどうか写真を探した。
このような、まるで何かのゲーム内アイテムをコンプリートしようとしているかのような姿勢は、間違いである。某寺院の山門には、「御朱印」が欲しい方はまず、お参りをしてください、のような意味のことが書かれた看板があった。ミルたちには、御朱印を集める趣味はなかったのだけれど、ヘタクソな写真の枚数を数えることに一生懸命になって静かに手を合わせることを忘れかけていた。
もちろん、御朱印を集めている方々は皆、信心深いからこそ集めておいでなので、きちんとお参りをしているはずだ。だけどつい、順番を間違えてしまう人が少なくない、だからこその看板なんだろうと思う。このゲームコンプリート的な発想は、ゲーム全盛期を経て大人になった世代以降にはたまらない感覚で、時として我を忘れる。心優しい地元の方を傷つけてしまい、ミルたちもとても悲しくなった。今後は慎まなくてはと反省しています。

宮島のお寺

大聖院

基本情報

名称:多喜山水精寺大聖院
所在地:廿日市市宮島町 210
宗派:真言宗御室派  (総本山仁和寺)
おもな建物:仁王門、勅願堂、大師堂、観音堂、摩尼殿
おもな仏像:波切不動明王、十一面観音像
おもな年中行事:新年初祈祷祭、節分厄除開運星祭、火渡神事など。

大聖院大聖院・仁王門

「江戸時代、 厳島神社の運営を行う別当職の役割を果たし、十数ケ寺あった社僧を率いて法会や延年・晦日山伏など行っていた。 天正12 (1584) 仁和寺の任助法親王の滞在があり、以来仁和寺との関係を深め、現在は真言宗御室派の大本山になっている。 また16世紀後半にはここで豊臣秀吉が和歌の会を行った。
代々の別当職は座主と称され、その起源は12世紀高倉上皇と平清盛などの参詣を記した「高倉院厳島御幸記」に記されてい る座主とされている。」(大聖院説明看板)

参考記事:大聖院写真集

ミル
ミル

建物は写真集を、行事などの詳しい説明は『宮島本』をご覧ください。

五郎
五郎

何なんだよ。きちんと説明しろよ。

ミル
ミル

せっかく立派なご本があるというのに、ここにボロなものを作っても意味がないんだよ。何も見ないで、スラスラ書けるようになったら大聖院だけで一頁作ればいい。その時は、ミルたちの実体験や感想を交えた楽しいものができるはず。でも、今の君にそれは無理。

五郎
五郎

いいよ、暗記するほど何度も読むから。

大願寺

基本情報

名称:亀居山放光院大願寺
所在地:廿日市市宮島町北大西
宗派:真言宗
おもな仏像:薬師如来像、釈迦如来像、阿難陀尊者像、迦葉尊者像 ⇒ すべて国指定重要文化財

さて、じつはまだ公開前の記事なんだけど、リライト版・大内義隆のところに、この大願寺のお坊さんが出てくる。朝鮮に一切経を求めたいので、勘合をお願いします、と言ってきた人だ。そこでは、せっかく朝鮮まで渡ったけれど結局何も得られなかった、というなんだか残念な話が載っていたのだが……。そちら(『大内氏実録』)では、道本というお坊さんが使いの人(使僧)を派遣したが云々としか書いていなかった。しかし、有名なのはその、使いのお坊さんのほうだった!

尊海上人という人で、朝鮮に渡った時の紀行文「尊海渡海日記」が国指定の重要文化財となっているのである。この日記は「瀟湘八景」という屏風の裏面に書かれていて、当時の朝鮮の様子を知ることができる、たいへん貴重なものなのだという。さて、勘が鋭い人はもうピンと来ているはず。そうです、れいの「厳島八景」はこちらの、「瀟湘八景」をマネしたものだった。

そもそも「瀟湘八景」とは何ぞや? というと、洞庭湖付近の美しい景色八選! みたいなモノ。「瀟湘」とは瀟水と湘水のことで、瀟水が湖南省を流れ洞庭湖に注ぐ川で湘水はその支流。もしくは二つの川が合流する地点そのものを指し、その場合は洞庭湖の南側の意味となる。「八景」はその地方で八つのすぐれたながめ、だそう。最後のややヘンテコな表現も含め、すべて漢和辞典から来ています。要するに、世界中に〇〇八景があっていいはずだ。辞典には例として近江八景が載っているが、厳島八景も立派にその仲間。「瀟湘八景」は水墨画などのテーマとなることが多かったようで、国宝が書かれた屏風もそれを題材にしているのだろう。

大願寺は、普請奉行として島内外寺社の修理造営の役割を担っていた。当時は五重塔や千畳閣、 多宝塔のほか境内 にあったお堂を含めて 「厳島伽藍」と称し、その中心が大願寺であった。現在は 山門と本堂を残しているのみだが、多数の古文書や、 明治維新後に廃寺となった 堂宇の仏像を今に伝えており、本堂にある4体の仏像(「薬師如来像」 「釈迦如来像」「阿難陀尊者像」「迦葉尊者像」は国の重要文化財に指定されている。

『宮島本』

釈迦如来像は神仏分離令までは千畳閣の本尊、また五重塔の元本尊・釈迦如来、同じく元脇侍・普賢菩薩、文殊菩薩も今はここ。如意輪観世音菩薩は元護摩堂の本尊……と。

おや? 大願寺はお寺だけど、確か弁天様いたはず? います。年に一回ご開帳の「秘仏」です。江の島、竹生島とともに日本三大弁財天と並び称されているそうです。じつはこの弁天様も、神仏分離令関連で厳島神社から移されたもの。市杵島姫命様と弁天様って同一人物(?)なのでは? と思ったりしたらいけません。これが神仏習合なのです。

秘宝や秘仏が多いですから、大願寺様は撮影禁止です。張り紙が小さいので気を付けてください。なので、ここでもアイキャッチの門だけです。ここは顔出し看板を見かけたことがあったくらいなので、撮影 OK なのだろうと思います。

宝寿院

宝寿院

基本情報

名称:龍上山西方寺宝寿院
別名:「あせび寺」
所在地:廿日市市宮島町 645
宗派:真言宗
本尊:阿弥陀如来
開基:天慶9 (946)年
主な建築物:聖天堂(歓喜天)

徳寿寺

基本情報

名称:金光山徳寿寺
所在地:廿日市市宮島町 741-1
宗派:曹洞宗(廿日市市洞雲寺の末寺)
本尊:金石地蔵菩薩(別名「子授け地蔵」)
開山:金岡用兼大和尚
主な行事:毎年8月24日、本尊金石地蔵菩薩大祭

 

存光寺

基本情報

名称:伊屋山存光寺
所在地:廿日市市宮島町801
宗派:曹洞宗(廿日市市洞雲寺の末寺)
本尊:金石地蔵菩薩(別名「子授け地蔵」)
開基:天文9 (1540) 年、 存光坊真空寂如阿闍利
主な建築物:薬師堂(薬師如来像)

光明院

基本情報

名称:華降山以八寺光明院
所在地:廿日市市宮島町 395
宗派:浄土宗(京都知恩院の末寺)
本尊:阿弥陀如来
開基:天正11年頃、以八上人

浄土宗に属し、戦国時代、 以八上人によって建立された。 厳島 は14、5世紀頃から、内海の要港としてにぎわい門前町が発達した。これまで厳島神社に関係をもつ寺院はあったが、 以八上人は 町家の人達を教化する目的で来島し、 念仏を勧め多くの信徒を得 た。鎌倉時代末期の木造阿弥陀如来立像、絹本紺地金彩弥陀三尊来迎図(以上国指定重要文化財)を所蔵する。 この寺の裏手は同じく浄土宗の道場坊神泉寺の跡であるが、天文18年 (1549) 堪阿弥が再興し、昼夜時刻を知らせたので時寺と呼ばれ親しまれ た。天明寛政の頃 (18世紀末) 島内諸所に井戸を掘り、宮島名産の杓子を創始し民生につくした誓真は神泉寺の僧であった。(看板説明文)

真光寺

基本情報

所在地:廿日市市宮島町 721
宗派:浄土真宗

宮島では江戸時代まで浄土真宗が禁止されていたという。現在はそんなことはないが、ここが唯一の浄土真宗寺院。

宮島にあるお堂

延命地藏(桜町)

 

不動堂

毘沙門天、不動明王、弘法大師を祀る。

行者堂 (角仏堂)

修験道の開祖:役の小角を祀る。

乳地蔵

ミル
ミル

数が多いので、今回はGoogleMAPを載せていません。それぞれが独立したページになるまでお待ちを。

五郎
五郎

地元の人たちにとっては、それぞれとても語り尽くせないほどの逸話があるはずだけど、俺たち、大聖院と大願寺以外は、写真撮っただけになってるもんね。でも、すべてについて独立したページを作るためにはもう、宮島に引っ越すしかないみたいだ……。

参考文献:『宮島本』、『歩く地図本 宮島』

-みやじま・えりゅしおん