龍文寺 陶氏墓所

周南市・長穂門前にある寺院。かつて陶家の菩提寺であったところ。
陶一門の菩提寺として栄えた寺院であり、陶氏の最期を看取った寺でもある。

百を数える大量の石塔が遺され、陶家の墓所として大切に弔われている。
しかし、誰のものなのか判明しているものは僅か。

陶家の嫡流がここで滅亡したという悲劇の場所でもある。中世寺院の特徴として、そこそこ要塞的用途を兼ね備えていたと思われ、
杉重輔の同士討ちに遭った主・長房は若山の城を捨て、この寺院に逃れたのだ。
偉大な父を失った絶望の淵にいた幼い跡継ぎは、なすすべもなく短い生涯を終えた。

無造作に散らばる石塔の山を目の前にして暫し呆然となった。

六十基に及ぶ墓所群

「毛利家の防長経略」によって、大内家が滅ぼされた際、陶家の血統も途絶えてしまったんだ。直系についてだから、親戚筋の中には毛利家家臣となって続いた人もいると思うけどね。

陶家最後の鶴寿丸が、忠臣・野上の手で、傀儡当主・大内義長とともに殉死させられた際に直系としては完全に終わる。
それについては、逃亡を続けた大内義長が最後に辿り着いた場所での話なので、正確にいうとここでお家が消滅したのではない。

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ま、五郎に「隠し子」とかがあって、密かに身を隠して育てられていたりしたら別だけど……。ん? どうした?
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ほ、「滅びた」ってどういうこと……? 嘘をつくなよ。何なんだこの、教育委員会ってのの看板は……。だ、だいたい、墓石も目茶苦茶で、まるで菩提寺らしからぬじゃないか
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泣くんじゃない。これが時の流れというものだよ……。いずれ君にも分かる日が来る。初回の訪問地にしては、ショック度大すぎたかな? でも、およそ、こんな感じのところばかりだもんな……(しんみり)。

 

陶氏のものとされる大量の墓があること、幾つかの重要な文物があること、で貴重なところだよ。
周南市指定文化財は、「陶氏墓所」「鉄造茶釜」「木造釈迦如来坐像」の四点。そして、「長穂念仏踊り」は山口県の指定文化財となっている。


画像中のもののほか、この奥にもさらに無数の墓石・供養塔の類がある。
地元の方々、専門家の先生方が荒廃していたものを整理し、日夜研究を進めておいでだが、史料も少なく、たいへんな作業である。

江戸時代の文書には、陶氏歴代の供養塔が龍文寺に存すると記されていますが、五、六十基あるうち人物が特定できるのは、陶弘護の妻の父、石見国益田兼堯と陶興房の妻の二基のみです。
龍文寺・説明板

一日も早く、すべてが誰のものか特定されることを望む限りである。

まずは、墓所について。
菩提寺であったことから、陶一門の墓はここで管理されていたはず。実際に古い墓は大量に見つかっており、目にするこができる。とにかく数が多い。石塔だらけの文字通りの「墓所」。
残念なことに、荒廃がひどく、どれがだれのものなのか、判明するのは難しいという。
困難な中で、研究者の方々がようやく、数基分、持ち主(?)を明らかにしてくださった。
しかし、どれが誰の墓であるのかは、未だ研究途上であり、名前が判明しているのは陶弘護の舅・石見国益田兼堯と陶興房夫人など数名分だけだ。
これ以上は、現在の史料ではもう無理であるのか、現在進行中で研究が進んでいるのかは分からない。そのうち大発見があるかもしれないね。

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益田兼堯さんの供養塔などもここにあるんだね……。身内とは言え、陶一門ではないけど。墓地は墓地で益田家代々のところにあるのだろうか。

しかし、気になってしかたないのは、隆房様のお墓もここにあるのかどうか、という点。分骨塔(正護寺)だの、「墓」(洞雲寺・廿日市市)だのが他所にあるため、こちらには何もないのか、いわゆる、招魂の形で供養塔だけでもあるのか……。とても知りたい。
当然のことながら、先生方がこれほどの重大事項を調べておられぬはずはないし、観光関係の方も、もしあることが分かっているのであれば、大々的に宣伝なさっておられるはず。つまりは、現状、詳細不明なんだろう。
まあ、洞雲寺に「それ」を入れてしまって、ほかの部分は宮島の山中に放置されたのであれば、残念ながら、ここには何もない。でも、供養塔なら誰かが作ってくれても損はないかと。
しかし、隆房様の死後、お子様方も亡くなっているのだから、親族にはもう、お父上の菩提を弔う余裕はなかっただろう。

隆房の遺児は、杉重輔という人物によって命を落としたことになっている。重輔に攻められた際、当主の長房は若山の城を棄てて、いったん、菩提寺であるこの龍文寺に逃れたのだ。
重輔は大内家の家臣であり、同士討ちのようなものだ。しかし杉の父親と隆房とは仲違いして、隆房がこの人物を成敗していたから、その息子・重輔からしたら、陶家は父親の仇であったわけだ。
本来ならば、隆房を倒したかったのだろうが、本人は厳島であのようなことになったし、そもそも杉なにがしなんぞが敵う相手ではない。父を亡くして、意気消沈した幼子が当主となって、好機到来と思ったのだろう。
文字通り、「因果は巡る」だ。相手方にとっても、親の敵討ちは重大事だから、誰が悪いなどとは言えない。気の毒というよりほかない。イマドキの民一般には想像できない世界だろう。

長房が城を出て、龍文寺に逃れたのは、ここがそこそこの要害の地であったから。実際、先代の大内義隆にしても、政変の際には、次々寺院目がけて逃げていた。
そもそも、寺院というのは合戦の時、陣を置いたりすることが多々あった。応仁の乱を見てもそうである。県内にも、勝栄寺など、中世の寺院が防御施設を兼ねていた証拠の史跡として今なお、その土塁が残っている。
雨風をしのげるのは言うまでもなく、飲食の準備なども可能であることから、短・長期的に生活空間として利用できる。防御を固めれば、そこそこ要塞的に機能したのである。

しかし、杉は実は毛利家と繋がっていたという噂もあり、遺児たちは持ち堪えられずに、この寺内で自害したのであった。

この要害の地に立て籠もっていた陶長房が杉にやられてしまったのは、杉方が、「念仏踊り」の民衆に紛れて寺内に入って来たからである、という言い伝えが残る。
それも含めて、そもそもここで亡くなられた、ということが伝承にすぎないとする見方もあったようだ。しかし、近藤清石先生は、『大内氏実録』の中で、やはり、ここ、龍文寺で亡くなったとするのが妥当だろう、と仰っている。
なぜなら、この付近で、複数の人骨(戦闘が行われた証左)が見付かっているとか。

「陶氏墓所」「長穂念仏踊り」

墓所は、周南市指定文化財に指定されている。教育委員会による説明文は以下の通りである。

地元に伝わる伝承では、若山城にいた晴賢の子長房と小次郎は、大内氏家臣の杉重輔に攻められ、ここ龍文寺に逃れたということです。錦川と険しい山々に囲まれた龍文寺は天然の要害であったことから、寄せ手は一計を案じ、古くから伝わる周方神社祭礼の踊りに紛れて寺内に乱入しました。このため、時の住職のお諭して、陶氏の一族は自刃したとされています。 踊りはその後、陶氏追善供養のため、毎年七月七日に舞われ、やがて雨々踊りへと変化し、念仏踊として現在に至っています。現在、県指定無形民俗文化財になっています。

さて、どういうわけか、この「念仏踊り」が、今なお受け継がれており、陶家の霊を慰めている。

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踊りの民衆に紛れて寺内に……の話が事実とすると、杉方の騙し討ちの経略に使われた踊りだよね。滅ぼしてごめんね、というお詫びの印なのか、はてまた、防長経略第一歩成功記念なのか……「霊を慰めている」って言葉には心中フクザツ……。

恐らくは長房たちの頃から、普通に地元の方々の楽しいお祭り(?)として、存在していたのだろう。それゆえに、彼らも微笑ましく見ておられたのではなかろうか。
逆に、そんなところに紛れ込んで入ってくる杉のほうが腹黒いよ。そこまで知恵が回る人物という言い伝えもないので、毛利方から知恵をつけられたのではないか、と推測。何の根拠もないが。

墓石の写真は大量に撮影しておいた。それらは、すべて写真館においてあるので、暇な人は見てみてね。どれがどなたのか分からないので、出来る限り大量に保管し、後から、あれが、だれそれのだと分かった、というときに、手元に持っててラッキービンゴだ(o^-‘)b  って微かな希望。
ちなみに、手前に名前を記した板が刺してあるものが、誰のものか判明した墓。中には、名前は読めたものの、それが誰を指すのか分からないケースもあるので、名札がある=判明分ではないよ。
説明板では二人分判明となっているが、名札付きの墓は四基あった。「歓室永喜姉」と名札ついているのが、興房夫人のもの。史料から法名が明らかなので、確定できたのだろう。

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なお、実は江戸時代の文献によると、古い墓の類いの数は、九十を超えていたらしい。寺院近くにゴルフ場を作ったとき、建設地が寺の一部分と重なったので、邪魔になった古墓をいくつか元の場所から現在の寺内に移したんだって。
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くーー。何がゴルフ場だよ!! 勝手に処分した奴、見つけたら成敗するぞ。
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こらこら。そういう工事の際には、文化財のチェックはきちんと行うのが常なので、そのときに失われたものはないはずだよ。なくなってしまったのはほかの理由だね。
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だったらどいつの仕業だよ? ぐすん……。
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江戸時代の記録に照らせば、その後、三十は失われたことになり、これは、よく「悪者」扱いされている毛利家の仕業でもないってこと。もしそうなら、この江戸時代の記述を待つまでもなく、侵略した時に全部まとめて壊してしまってるはずだよ。
だったら、いったい、誰が、何のために? 今でこそ、文化財の保護が声高に言われているけども、そういう概念がまだない時代には、イマドキの民には、ただのボロくて邪魔くさいゴミでしかなかっただろうからね。そんな風にして失われてきた貴重な文化財は、なにも陶家の墓石に限らず、山口県だけではなくて、全国に山とあると思うよ。
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これ以上、貴重な文化財がなくならないよう、これからは俺が管理する!
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できもしないこと言わないの。
さて、こんな感じの、瓦の山(塊、屋根の一部?)が色々な寺にあるの。なんなのかねぇ。特に龍文寺には大量にあったよ。
注目すべきは、毛利家の家紋も入っているところ。メンテナンス時のものとしても新しすぎるため、最近の方の手になる物かなぁ。でも。ちょっと古くさいのもあるね。

山門


仁王も厳めしい山門は立派だが、残念ながら、当時のものではないだろう。
ただ、ここへ来ると、なんだか「会えたな」という気がするのである。
風の前の塵となった儚い一族。寺は再建されて、立派に建っている

初出:2020年4月16日 周防山口館「陶家ゆかりの寺」改編

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うわっ、すごいね、このカントリークラブ……(呆然)
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この工事のドサクサで大切な石塔がなくなったんじゃないの?
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だからそれは違いますったら。