鶴寿丸イメージ画像

初回訪問日:20200303

 鶴寿丸 鶴寿丸

俺と御館様(政弘様)とが運命の出会いをしたのがここだ。どうして廃墟になってしまったんだろう……。ここは俺が担当する。最初は大内館とまとめるはずだったが、都合によりわけた

 築山館っていうと、公家の宴をやっていた場所、ってイメージだよ。今風に言えば「おもてなし」ってやつかな(゚ー゚*?)?
 今は跡形もなくなってるけど、それでもかつてここにあったのだ、という証が今に至るまで残っている。そして、それを調査して、復元してくれようとしている人たちがいるんだ(*゚ー゚*)
 近い将来、昔ながらの姿で再建されたりなんかしたら、俺、とっても嬉しいんだけど。あ、でも、御館様たちの「一首詠んでみよ」はこまるけどね(-_-;)

所在地:〒753-0035山口県山口市上竪小路100
「県庁前」バス停から徒歩10分
山口県観光連盟様HPより

 現状、ここには、観光連盟のHPにある神社の社があるだけ。ただし、一部土塁なんかが残っていたり、石垣が転がっていたりする。そういうものを整理して、史跡として整えてくれようとしているわけだけど、新しい街並みの下に埋もれてしまった部分もあるであろうから、たいへんな作業となるは必定だ。
 管理人たちは土塁を見つけることはできなかったようだけど、そこらに色々な石碑があったので、あれこれ写真に撮っていた。
 もしかしたら、同じ敷地内にある八坂神社に関わるものが混じっているかもしれないが、そこは専門家ではないので勘弁してくれ。ん? 俺は在りし日の姿をこの目で見ているのだから、分からぬはずはないだろう、って?
 まあ、そうだが、それを言ったり書いたりしたら、ダメっていうのがここの掟だ。分かって欲しい。

 まずはお決まりの看板だ。  さて、この館では、飽きもせずに宴三昧だったので、その関係の遺物が多いようだ。ただ、俺の代には、先代の御館様がここに住まっておられたから、宴会専門会場というより、彼にとっては日常の空間でもあった。  「月見之松石碑」。あの松の木は、今はもう失われてしまった。管理人たちが、どうでもいい松の木を撮影してしまっていたが(笑)、いちおう載せておいてやる。  お前ら、宗祇は知ってるな? まったく、御館様と来たら、あの手のを館に招いては連歌会をやるわけよ。俺は生きた心地がしなかった……(-_-;) 弟の弘詮なんぞはへっちゃらだったが、俺は歌だけは詠めないと言っているのに……。そのことを知っていて毎度毎度誘われるのって、ほとんどパワハラだよな。
 で、宗祇が築山館のことを詠んだとされる有名な歌があるんだが、それが石碑になっている。  さらに、これは俺があずかり知らぬことなんだが、御館様の孫も、相変わらずここで宴会を続けた。というよりも、宴会のやり過ぎでお家を傾けてしまったらしいが(元就の受け売りだから、保証はできないぞ)、そのエピソードにも関わって来そうな石碑があったぞ。内容は看板に詳しいので、読んでくれ。  さて、ここに、元就の家臣の墓と伝えられるものがある。「市川元教」という人物だ。どうしてここに墓があるのだろうな(゚ー゚*?)? 次に会ったら、元就にきいてみよう。  さて、ここにある石に関する看板がある。無論、これに書いてある石も近くにあったはずだが、管理人たちは見落とした。どんな石かは……その、俺は未成年だよ……。  「神徳碑」。これは、築山跡の石碑群の一つと認められているのだが、何なのかは分からない。リライトとやらを待ってくれ。  さて、俺が見た資料によれば、このほかに、亀の石碑と神社の跡を示す石碑とがあるらしい。だが、それが、これらなのかは分からない。石碑は判読不能であるし、石柱もなんなのか不明である。ただの最近の石だったらごめん。