陶隆房イメージ画像

初回訪問日:20200306

千寿千寿

 隆房様の供養塔があるよ……。元は厳島神主家の菩提寺として建てられたんだって。
 正直、面白半分で行ってほしくない。僕はここに来るととてつもない既視感で頭がくらくらした……。気絶してしまった管理人たちにかわって、今回は僕がまとめたよ

 観光協会様等のHPにすら、隆房様の「く×」を云々の表現があって、女性陣は倒れてしまったので、一番何も書いていなかった、廿日市市役所様のページを参考にするようにすすめておいたよ。
 このお寺は駅から歩いて10分ってことだったけど、荷物が重いとかなり苦しい。毛利家関連の方、単なる歴史マニア、ただの観光客の方々にとっては、見るべきものが多い、貴重な寺院様なので、どこかで荷物を預けてから訪問することをおススメするよ。
 管理人たちは、ここに辿り着くまでに、へとへとになり、更に、立て看板の説明文と、実物を見るに至ってぶっ倒れたので、もはや、まともな観光はできなかったよ……。
 まずは、ここにはお墓が多い。誰の? ってのは、隆房様以外どうでもいいんだけど、他の人の場合、普通にお墓なので、関係ある方にとっては、聖地巡礼のレインボーツアーが組めると思う。それから、見るべきものが非常に多いため、半日はかけたほうがよい。時間に余裕をもって、荷物は少なく。これだけは忘れないように。
 さて、先ずは入口だよ。普通の広い道路に面しているので、ぼんやりして通り過ぎちゃう人はいないと思う。  お次は、山門だよ。 つぎ、本堂……。  つぎに、参拝順路用の地図看板。これを見てから回れば、見落としはないはず。ちなみに、スマホで撮影してそれを見ながら行くのが良いよ。 見辛い人のために、説明をしておくと、お墓だけでも、歴代住職、友田興藤、穂井田元清とその夫人、桂元澄(敬称略)のがある。
 ちなみに、この友田・桂両名にかかわりある桜尾城(跡)にも行っているので、またあらためて。
 お墓以外にも、杉山赤富士さんという方の句碑(この方は、廿日市出身の俳人なんだって)があったり、井戸やら名水やら、厳島明神やらあれやこれやあるよ。
 さらに……。由緒ある寺社なので、文物も大量にあるらしいね。上の理由で観光協会様のホームページはスルーしてしまったんだけど、皆さんは確認してください。
 さて、お次は、説明板を二枚載せます。一つ目は、お寺の由来。二つ目は、お墓の説明文です。これはそのまま読めると思うので、特に解説はしません。  この寺の開祖が龍文寺のお坊さん・金岡用兼ってのに、因縁めいたものを感じる(-_-;)。
 言うまでもないと思うけど、龍文寺は陶家の菩提寺だよ。そこの坊さんが、隆房様のこういう「もの」がある寺の開祖だなんてね。ただ、お寺は長享元年(1487)の創建なので、それこそ、義興様すらわずか十歳だったとき。その後のことなんて、この御坊様を含めて誰にも想像できなかっただろうね。
 さて、いよいよだけど、隆房様のお墓だよ。石碑と板と本体、さらに、全部まとめたものと合計4枚載せます。ここにもあるけど、2011年が生誕490年なので、10年後、つまり、来年は500年という区切りの年にあたるんだよ。

 きちんと供養してくださっているお寺の方々、そして、地元の方々に心から御礼申し上げます。
 最後に、お墓の説明板から、このお墓に関する説明文の「当たり障りない部分(分かるね?)」を引用しておくよ。

墓石は三段の花こう岩製と安山岩製の基壇の上に立ち、印塔自体は軟質な安山岩製である。 総高129cmで、この宝篋印塔は基礎部と塔身部がつながり、笠部も軒が厚くなるなど、各部に形式の退化したところや、また風化した跡が認められる。歴史上著名な武将の墓として貴重である。

 このお地蔵様はここのものだったみたい。  さて、洞雲寺についての記述は以上です。時間があったら、また残りの人のお墓とか、貴重な文化財を見るために戻って来たいな。

毛利元就(左)毛利元就(左)

そうだな、次に来る時は、宿に荷物を置いて、花でも持ってくるが良いぞ。宮島に登山する時と違って、生花の調達も容易いし、両手も空いておるだろうからな

千寿千寿

うん。そうだね(*゚ー゚*)

毛利元就(左)毛利元就(左)

その時は、わしの息子や家臣、それに友田殿にも参ってやれよ

千寿千寿

……

毛利元就(左)毛利元就(左)

(やれやれ、相当な頑固者だな)

千寿千寿

(いいよ、こっそり行くよ)



所在地:〒738-0001広島県廿日市市佐方1071番地1
0829-31-2461
廿日市駅から徒歩約12分、広電廿日市駅より徒歩約10分
廿日市市様HPより