陶隆房イメージ画像

初回訪問日:20200302

正護寺 説明

 文字通り、陶家ゆかりの寺である。陶家は大内家傍流右田家からわかれており、弘賢の代に「陶」の地に移り、地名を姓とした。その「陶」の地がまさしくここ。
 当初は居館もこの地にあった。
 寺の歴史は古く、また大内家滅亡後も、毛利家がメンテナンスをして用いていたが、大内輝弘の乱で戦火に遭い、焼失してしまった。
 従って、ここもまた、当時の建築物を目にすることはできない。
 だが、大量にある供養塔にはゆかりの人物のものがあるし、寺院周辺が、そのままかつての「陶」氏の居館所在地であるから、当時を偲ぶには絶好の地であることに変わりはない。
 現在は、のどかな田園風景の中にあり、地元の方々の墓地もあって、普通にご近所のお寺、という雰囲気である。
 寺を建てたのは、二代目の弘政でここに開基塔と並んで、「正護寺殿」の名でその供養塔がある。

 言うまでもなく、ここで最も大切なのは、隆房様の「分骨塔」である。
 ところで……分骨塔、と軽く書いてあるものの、管理人はとてつもなく悩んでしまった。つまり、分骨塔というからには、遺骨の一部を祀ったものであろう。それはどこから来て、誰が作ったのか、それについての記述がないからである。
 別の項目で述べるが、隆房様の「遺骨」は、毛利元就によって、洞雲寺(廿日市市)で供養されたことになっている。ただし、そこにあるのは首級だけであって、要するにこの時代、そうなってしまった人のそれ以外の部分(つまり胴体ですね(-_-;))は、回収されない。
 ということは、普通に考えれば、首級部分の遺骨から分けられた、となるが、いったい誰が(゚ー゚*?)?
 あるいは、いや、首級は洞雲寺なんだから、ほかにはないよ、となれば、胴体の一部( ̄▽ ̄;)!! となるのだが、この場合、さらに謎が深まる……。敵方に必要なのは、「上だけ」であるし、「下」を持ち帰ってご丁寧に分骨したものがいるとは到底思えない。やるとしたら、ゆかりの人物、ということになるであろうが……。
 そう考えると、これは、本当に分骨塔なのであろうか? という単純な疑問が湧く。しかし、深く考えずに、聖地巡礼の外せないスポットであると考えて、普通にお祈りしよう。

写真集

 さて、着いてすぐ入り口のところに、つぎの看板がある。これに目を通したうえで、大切な供養塔を見落とさないようにするとよい。なにしろ、供養塔、墓らしきものの数が異常に多い。

陶隆房分骨塔

 いちおう、横からも撮影。後ろには回り込めませんでした。  次は、隆房様のご先祖、二代目・弘政様のお墓。この寺を建立したのがこのお方である。やや見にくいが「正護寺殿」と彫られている。  次に、開祖の御坊様の墓。同じく、「開山塔」と読める。これら二つは、隣り合っている。

三界万霊

 説明看板によると、隆房様の二百五十年忌に地元「陶」の方たちが建ててくださった供養塚とのこと。『三界万霊』と彫られております。有難いことです。  さて、つぎが面白い。「多くの虫の死を悼みこれを供養したときの供養塚」(説明板)とのことで、『ボウ虫墳』というそうです(説明板の文字、虫偏に方角の方で、ボウなんですが、出てきません。すみません)。
 でも、多くの虫の死って(; ・`д・´) いったい何が?

本堂

 寺内に入ると、寺院の説明板がある。  この説明板によれば、戦火にあった後、陶家居館跡に移籍されたそうだが、そもそも寺自身が居館近くにあったのだから、元々の場所からそんなに大きく離れてはいないだろう。木尊三尊佛と開山僧の木造は創建当時からのものという。  しかし、本堂の正面の門は、北川清助という方が、「小郡代官所の正門」を移してきたものである。もちろん、当時の代官所の門、という価値はあろう。  適当に寺内の写真を撮りました。  「木造薬師如来坐像」についての説明看板。こちらは、事前に連絡をしておけば、見せて頂けます。アポなしだったので、今回は見ておりません。県指定有形文化財です。  怪しげな木戸が……。雲外門だったりして(笑)   外に出ました。  普通のお墓も沢山ありました。これらを関連遺物と間違えないように。間違えた私は大量に写真を撮っていました……(-_-;)  さて、周囲ぐるりと見たのですが、結局「土塁」というのがどれなのか分かりませんでした。それに、そういう立て看板もなかったような(゚ー゚*?)? しかし、見落としということも十分考えられますので、いずれ再訪しましょう。
 さて、陶=陶隆房様ではないし、陶弘護様だけでもない。そもそも、彼らの時代にはもう富田にいたのであって……。逆に。ほかにも「陶」出身の偉大なお方たちがおられます。そんなずっと「未来」の方々の看板たち。  さて、こちらでは、本当にいやというほどの写真を撮っております。それらは放置することも考えましたが、やはりすべてここに載せることにいたしました。
 ただ……同じものを別のアングル(……いや、そんな用語とは無縁な管理人でありますが……)から撮っただけのものも多く、数あるから、価値があるとはならぬのですが……。見飽きた方は、ここまでで引き返してください。
 根気と熱意のある方は、一つ一つご覧になって、誰の墓なのかお調べを~。