大内義隆イメージ画像

初回訪問日:202003030

 大寧寺の政変により、当主の大内義隆が亡くなった後、元大内氏館があった場所に、毛利隆元が建てた、義隆の菩提寺です。
 もともとこの寺院は次のような、再建や改名を繰り返していました。建永元年(1206年)大内満盛創建・宝珠山瑞雲寺→延元元年(1336年)大内弘直再建・弘直菩提寺に→享徳3年(1454年)大内教弘、雪心和尚を中興として開山、曹洞宗・瑞雲山龍福寺と改変→大内義隆、後奈良天皇に勅願寺奏請し重建(参考箇所:山口市観光情報サイト「西の京 やまぐち」様 http://yamaguchi-city.jp)。
 義隆が建てた龍福寺は上の政変の際に焼けてしまい、隆元の再建となったわけですが、そのときの建物も、その後火災によって、山門と禅堂以外、焼失してしまいました。そのため、現在の建物は、さらに再建されたものとなります。
 なお、この寺院には大内氏に関連する遺跡が数多い。寺院じたいが、元々の館跡に建てられているわけですが、この館跡は近年発掘調査によって、遺構の再建などが行われています。また、本堂は、氏寺であった興隆寺から移築されたもの。ほかにも、レプリカとはなりますが、大寧寺にある大内義隆の墓、同じく興隆寺の梵鐘などもあります。
 また、資料館の中には大内家の歴代当主の肖像画を集めて展示したり、先代の義興様の像を作って置いたりと、関連するものが大量にあります。
 大内文化って何(゚ー゚*?)? と思った方は、取り敢えず、ここにきて、それから、瑠璃光寺の五重塔を見ておくことをお勧めします。なお、ここでは、一つも漏らさず、すべてを丁寧に見てください。管理人はうっかりして、博物館に入り忘れ、死ぬほど後悔しました……。

 入り口から参ります。門にある唐花菱も麗しいですね。  まずは説明を読んでみましょう。  本堂です。先述のとおり、元々は興隆寺にあった建物です。ここで見ることができるのですね。  本堂の入り口なんですが、法事などが行われているため、檀家さん以外の人は入れません、と貼り紙がありました。 ああ、築山大明神はこんなところに……。毛利家の人々にも受け継がれていたようですが、建物は江戸時代の再建物ということですし、とても往時を偲ぶことはできないですね。  これは凌雲寺にもあったものですが、関連遺跡をすべてまとめて「大内氏遺跡」と呼ぶので、関係個所にはどこにでもありました。