大内義興イメージ画像

初回訪問日:2020年3月2日

大内氏遺跡・凌雲寺跡

 市街地からかなり離れた郊外にある。廃墟となっているため、住所がなく、カーナビでも「それ付近」としか分からない。だが、確かこの手の矢印が、少し手前から設置されており、導かれたと記憶している(定かではない)。ちなみに写真は入り口のもの。 文字通りの田園風景の中にある。地道な発掘調査が進められている点、とても大切にされている、と感じた。  なお、現状、ここに写真を載せている以上の物は何もない……。真実かどうかはとにかくとして、位牌と念持仏は玄済寺に移されたそうであり、そちらで大切に保管されているので、参照されたい。看板の内容は以下の通り。

 国指定・遺跡『大内氏遺跡凌雲寺跡』
昭和三十四年十一月二十七日指定
凌雲寺は、大内氏三十代義興を開基、了庵桂悟を開山として、永正四年頃(一五〇七)この地に創建されたと伝えられています。廃寺の年月は不明ですが、おそらく大内氏滅亡の後、いつの時代にか廃されたものと思われます。 寺は舌状をなして南に延びる台地上に営まれたもので、注目すべきは大地の南端を東西に横切る長い石垣です。これはこの寺の惣門の遺構と伝えられ、長さ約六十メートル、高さ三メート余りで、幅は二メートル余りあります。 巨岩をもって築かれた豪壮な石垣であり、寺の位置、地形等から考え、有事に備えての城塞の役を兼ねたものかと思われます。 指定区域内には凌雲寺開山塔、大内義興及びその婦人の墓と称する石塔三基が残っています。

大内義興墓

 やや古くなっている史跡指定の棒看板と、新しい感じの石碑と。 つまりは、これが、義興様のお墓だというわけです。 石碑とお墓とをまとめて撮影するとわかりやすいですね。 立て看板の説明によれば、お坊さんと妻の墓があるとのことです。小さいほうが妻(内藤)でしょうか。
 大きいのが畠山澪、小さいのがお坊さんならいいな(*゚ー゚*)
 これが分からない(゚ー゚*?)? すぐ傍にあったんですが。祠? これも不明です……。 この日はちょうど、「発掘調査中」でありました。何の調査をしているのかは不明ながら、現状見ることが出来るのは「惣門跡」だけなので、発掘調査を邪魔することなく見学は可能。調査の様子を見てみましょう。
 跡地は、とてつもなく広大であり、とてもじゃないが、発掘が完了することはないであろうと、涙するしかない。  あまりにだだっ広い跡地を見遣ると、虚しさは更に強まる。いったい、どれほど豪勢な寺院であったのか、想像もつかないのだ。それすらも、歴史の闇の中に埋もれて行ってしまったと考えると、本当に悲しいのである。
 驕る平家は久しからずと言うが、別に大内家は驕っていたとは思えないので、ひたすら毛利家が憎らしくてならなかった(はい、逆恨みです)。ただ、心情的に毛利家とはすでに和解しているので(なんのこっちゃ(゚ー゚*?)?)、もはや、荒城の月ならぬ、廃寺の太陽の下、ぼんやりと咲き誇る菜の花を見ていた……。
 なお、発掘調査写真中にある石垣は、義興様当時のものではありません。
 なお、立て看板にも、「有事の時には城塞として」云々とあるので、山に囲まれていることはポイントであろう。

石垣たち

 ご覧のように、敷地はこんなにも広い。そんな中で、僅かな個所の発掘調査がすでに着手済みであり、所々に幾つかの石垣が見付かっている。そんな石垣をまとめた。
 数が大量にありますので、見飽きた方は、惣門跡にお進みください。

惣門跡

 「惣門跡」は唯一発掘が完了した貴重なものである。しかし、敷地全体から見たら、本当にそのわずかに一部分でしかない。そして、実は、すでに上の石垣の中で紹介済み。
 いわゆる、歴史書のたぐいに載っているものをここに置いておく。下手な写真でも、やはり自分で撮ったものは愛しいですね。

その他

 先ほどの祠(?)同様、これが気になっています。『実録』にある小川ではないわなぁ(^_^;) 「400年祭」記念の石碑がありました。なんかイベントあったのだろうか(゚ー゚*?)?

「大内氏遺跡附凌雲寺跡」アクセス

所在地:〒753-0811 山口県山口市吉敷中尾(西の浴)
JR山口線「湯田温泉駅」から車で15分
※山口県観光連盟様HPより