大内政弘イメージ画像

初回訪問日:2020年3月3日

 法泉寺は大内政弘様の菩提寺。現在は廃墟となっており、その跡地に、墓と言われるものが残っているのみである。
 説明看板。 各自治体サイト様で調べると、「宝泉寺のシンパク」および、「法泉寺厨子」というものに行き当たる。
 シンパクのほうは文字通りの、樹木のシンパクで、元々法泉寺山門の脇に植えられていたものと伝わる。つまり、この木があるところが、元の法泉寺の跡地、ということだ。たとえ、それがただの一本の木であっても、当時のままの姿で残っているのだとしたら、なにがしかの浪漫をかきたてられることは確かである。

 私レベルの素人が手に入れ、確認しえた法泉寺について詳細に書かれたものは、『実録』だけであった。だが、その内容は、現在の自治体サイト様の記述とはまるで違っていた。たとえば、政弘様の死後、義興様によって建てられた、というのが観光サイトの記述なのだが、『実録』によればそうではなかった。
 以前、大内義興様について描かれた小説を拝読した際、隠居した政弘様は法泉寺で暮らしておられた。つまり、生前からすでに法泉寺が存在していたのである。おそらく、作家様は『実録』を参照なさったものかと。他の箇所も、丹念に史実に即して書いておいでだったので、この記述も信頼に値すると思う。ただし、司馬遼太郎先生の小説を史実の典拠として引用できないのと同じ理由で、ここでご紹介することは控える。
 自治体サイト様は当然、最新の研究データをもとにしているから、『実録』だの、先の小説だのの内容は、恐らく、今はもう古いものとなってしまったのであろう。私には確認する術がないので、普通の観光客として、そのまま自治体サイト様のものを参考にさせていただいた。

 法泉寺は廃寺となったものの、その「寺号」は棯小野に移って存続した。また、抱え寺(申し訳ないが、この意味が分からない)であった寿命院という寺があったが、そちらは廃寺となった。よって、この寿命院にあった「厨子」が、法泉寺に移されて現在に至る。
 なお、この厨子は室町時代のもので、山口県指定有形文化財となっている(以上、山口県観光連盟様HPを参照)。
 現在の法泉寺は名前を引き継いでいるというだけで、まったく別の寺である。宗派も浄土真宗本願寺派に改宗されている。
 そもそも、寺の名前が引き継がれるということは、珍しいことではないようなのだが(少なくともほかのどこかの寺でも同じような記録を目にした気がするのだ。他県の寺院だったと思う)、歴史学だかあるいは宗教、民俗学だか分らないが、そういう領域がさっぱりなので、ピンと来ないのである。もしかしたら、寺号を継ぐということは、文字通り「同じ寺」になりかわる事かも知れない。ただ、もしそうであるならば、「たいせつなもの」を置き去りにしている事実に納得ができないのである。
 政弘様の墓と伝えられるものや、上のシンパクなどが、元の法泉寺跡地にあったため、この新しい法泉寺に行ってみることをしなかった。ゆえに上の疑問について答えを出すことができない。あるいは現在の法泉寺に、何らかの説明、もしくは受け継がれたものがあるかもしれない。今後の課題としたい。

 立て看板には墓の事しか書いていない。
 墓地まで行く途中にあったダム。  写真は三枚しか撮っていなかった( ノД`)  それに……どうでもいいけど、シンパク撮ってなかった(というより見てもいなかった)……(-_-;)
 こんな山の中に眠っておられます……。  その御霊が永遠に安らかならんことを……合掌。

山口県観光連盟様HPより
「法泉寺のシンパク」
所在地:〒753-0071 山口県山口市滝町 五十鈴川ダム東下方
「県庁前」バス停から徒歩10分
「法泉寺の厨子」
〒754-1312 山口県宇部市大字棯小野321番地