大内義隆イメージ画像

初回訪問日:20200301

大寧寺について

 何かにつけて「大寧寺の変」というキーワードのみが独り歩きしている寺院ですが、元々由緒のあるお寺でして、その奥ゆかしい佇まいも、周囲の豊かな自然景観も一見に値する名刹です。
 残念なことに、その政変にともなう戦火によって伽藍は焼失してしまい、創建当時のものではありません。しかし、その後、毛利家による手厚い保護も受け、寺内には大内主従の墓のみならず、毛利家重臣の墓地などもあります。
 しかし、再建後の本堂はその後焼失してしまい、山門も倒壊してしまいました。現在の本堂は元寺内の別の建物だったものを移築したものですが、それでも当時の建物として価値があります。元々の本堂の規模は現在のものより、更に大きく立派なものであったのではないかと想像されます。
 位牌堂については、近年になって再建されて、立派なものが建てられておりますが、山門については、なおも倒壊したままで、皆さまの支援による再建を目指しておられるそうです。
 このように、もろもろ、創建当時とはその姿をかえてしまってはおりますが、なおもこの地に存続し、地元の皆さまや信者の皆さまに大切にされている寺院という印象を受けました。
 寺内には、本堂や梵鐘などの指定史跡が数多く残り、また、大内父子その家臣の墓所、毛利家重臣の墓所など、見るべきものが数多くあります。歴史資料館にも貴重なものが保存されており、時間をかけてじっくり回りたいお寺です。
 なお、寺院様の公式サイトが懇切丁寧ですので、訪問前に目を通してから行かれることをおすすめいたします。

大寧護國禅寺様公式サイト

 https://www.taineiji.jp/
 撮影した写真がどこのものであったのか、確認するのにたいへんお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。
 各史跡の由来解説など、分かりやすく、また詳細に記されていて、非常に参考になりました。残念ながら、現地に赴くことがかなわない方も、こちらを拝読するだけで、たいへん勉強になり、バーチャルツアーが体験できます。

大寧寺に行くには

 基本、歩いて行かなくてはなりません。最寄駅・長門湯本駅から10分くらいです。バス停もあるのですが、本数が少なく、また駅は無人駅でタクシーもないため、歩きたくない方は、大きな駅からタクシーを使う必要があります。  〒759-4103 山口県長門市深川湯本1074

写真集(説明付き)

入り口

 駅からは、基本一本道なので、迷う人はまずいないだろう。しかも、これだけ分かりやすいネームプレートが建っているので、通り過ぎる心配もないはず。 著名な寺院ゆえ、説明看板も詳細。なお、墓地の分譲をやっている。

ゲンジボタル発生の地

 ホタルが生息するほど、きれいな川だということです。本当に、のどかな自然の中にあり、ロケーションは最高です。蛍の時期にぜひ訪れたいですね。

盤石橋

 大寧寺川にかかる橋。歴史もあり、とても有名な橋です。道路から寺内に入るために最初にこの橋を渡らねばならないそうですが、現在、新しそうな橋が架かっているため、そちらを渡ってしまうと、勘違いしてしまうかも。  橋は盤石橋だけではなく、途中にさらに二つの橋があり、それぞれ名前がついております。境内に入る前に奥ゆかしい池があるのですが、そこにかかっております。池と橋の名前については公式サイトをご覧ください。

盤石亭

 休憩所です。

山門跡

終焉の地碑

姿見の池、兜掛けの岩

 池と岩とは、もともと参道にあったものを今の場所に移したのだそうです。岩を移すのは簡単ですが、池のほうは……移してしまうと、もう別物になってしまう気がするのですが、どうやって移したのでしょうか(゚ー゚*?)?

大寧寺境内

 境内そのものが史跡指定されています。

本堂

梵鐘

位牌堂と歴史資料館

 「慈光堂」というのが、つまり位牌堂のことです。

大内主従の墓

 墓がある人、墓碑のみの人あり。ここに祀られているのは、政変に関わりのないいわゆる「忠義の臣」という方々だと思われますが、中には陶兄弟のごとく、大寧寺ではない場所で命を落とした人もいるので、ここに墓所はないのでしょう。
 なお、墓碑は後に毛利家の方が作ったものです。

「経蔵跡」石碑

 冷泉さんの辞世の句が書いてある。

毛利家の墓

 大内家臣と公家の方以外の、古い墓は、毛利家の方々のものです。かなりの重臣の墓があるそうでして、興味がある方は調べてみたらたいへん興味深いかと。

豊川稲荷

未分類

 調べがつかなかったものです。場所的にはすべて、大寧寺の中にありました。すみません。