三田尻(防府市)

大内家当主が三田尻から出港したというくだりが何かの書物にあった気がした。
歴史書だったか、創作だったかも定かではないが。

誰がいつ、どこへ向かった忘れたが、この地は当時から港として栄えていたということか。

御茶屋、御舟倉跡などの毛利家時代の史跡が残る。

御茶屋

残念なことに、休館日だったため、中に入って見ることができなかった。

御舟倉

御舟倉というのは、自治体様ホームページの説明タイトルだと「毛利水軍の根拠地」となっている。とはいえ、天下泰平の世の中となってからのこと。水軍が活躍する機会もないような?
やや詳しくすると「毛利水軍御船手組の根拠地」とのことで、つまりは毛利家ご当主様の船を入れておくところといった感じでしょうか。

萩往還


参勤交代の時に通る道として開かれたルートを「萩往還」と言って、萩から三田尻までを結んでいたという。江戸まではまだまだ遠いが、萩往還のゴールはここということに。ここから乗船して海路東を目指したのだろう。
「御舟倉」は文字通り藩主様専用の船倉だったわけだ。
江戸時代半ばからは陸路を使うようになったというから、御座船もお役御免になったんだろうか。
しかし、のちに高杉晋作が決起した際、この場所から軍艦を奪ったという。海路を使わなくなっても御舟倉の整備は怠りなく続いていたわけである。
もっとも、この時には、「御舟倉」は「海軍局」と名前が変わっていた。軍艦というからには、西洋式のすごい船だったんだろう。意外なところに維新の足跡が残っているから面白い。

この「萩往還」のプレートはほかの場所にもあるので、実際にお殿様になった気分で、同じ道を歩きながらフルコンプを目指しても楽しいかも。

三田尻の海


瀬戸内の海の風景はどこも良い。太平洋とは、香りが違うのだ。どちらが好きかは人それぞれ。

写真撮影日:2020年3月4日 14:21