陶興房イメージ画像
 大友政親は自害し果てた。細川政元の後援を受けた大友家の野望は、当主・政親の「遭難」という不幸な事故により、一瞬にして潰えたのである。
 大友家の家督は、政親の弟・親治が継いだ。当然、大内家に対して何の親近感もない人物である。大友家は細川政元・足利義髙政権への忠誠を掲げ、少弐・大友・菊池の三連合は再び復活し、大内家の九州分国は、まさに風雲急を告げる事態となってしまった。

 そんな中、戦支度を放り出して長門へ「寄り道」した義興は、心身共に疲れ果てて、山口へ帰還した。何も、彼自身が出向く必要はなく、命令一つで政親の首は地に落ちたはずである。しかし、興房が止めるのも聞かず、義興は強引に政親に会いに行った。
「何のためですか? 一瞬だけ、御館様が武護兄に見えました」
「そうか。真似をしてみた。様になるかと」
 興房と二人、居所にて酒を酌み交わしながら、義興はそう言って笑った。子供の頃から十何年も共に過ごした武護とは、結局数えるほどしか酒を酌み交わすという事がなかった。思えば、彼らの付き合いは、まだ酒も飲めない子供時代が中心であったからだ。
 だが、興房とは、付き合いが始まった時から、こうしてあれこれと話し合う機会ばかりであった。逆に言うと、共に戯れ合った子供時代は共有していない、ということでもある。主君と家臣というものは、そもそもこういうものなのかも知れなかった。鶴は何もかもが特別だったのだ。
 父の政弘も、あの内藤弘矩と「飲み友達」であったわけだが、二人が信頼し合った「友」でなかったことは、その付き合いの「最後の一日」が全てを物語っているであろう。しかし、興房とはそんな関係ではない。最初から「鶴の弟」であることで、特別であった。
 いや、「鶴の弟」ということならば、亡くなった興明もそうであった。だが、彼に対しては終始、興房に対するような親近感が浮かぶことはなかった。思うに、人と人との付き合いにも色々ある。そして、気が合うかどうかを決めるのにも、様々な要素があるのだろう。
 義興は興房と初めて出逢ったその日から、強い絆のようなものを感じた。それを言葉で言い表すのは難しいのだが。或いは単に、同じ弟でも、興明は鶴を嫌い、興房は好いていた、それだけの違いかも知れない。だが、やはり、これも「運命」であったのだろう。
 義興の生涯を通じて、もっとも近しく、信頼し合い、心から彼に尽くしてくれた忠義の家臣は、この陶興房となるのである。無論、そんなことは、人生の最後まで到達しなければ分らない。今はまだ、ただの互いに深い信頼関係にある一組の若い主従、としか言えなかった。
 一方で、「友の弟」という関係であることは、何となく、いつまでたっても、その「弟」の一文字が外れず「友」とはなれない気もした。だが、それもまた。あるべき主従関係なのではないかと義興は思う。家臣はどこまでも家臣なのであって、「友」ではないし、「友」になる必要もない。
 鶴は亀の傍にいることに疲れ果てて、行方をくらましたのだ。あまりに距離を縮めることは却って好ましくない。それに、分かりにくい「友」というフィルターを通して特別扱いせずに接していることで、興房への信頼はますます深まり、その忠義が真のものであることも、手に取るように分かるのであった。
 思えば、鶴はあれほど近くにいたにもかかわらず、最後までその心の内を窺い知ることができなかった。それは、勿論、彼ら兄弟二人の性格の違いもあるだろう。だが、鶴の心の内は、未だに義興には謎だらけだ。
 そもそも、家臣の胸の内など、一々気にいていたら、主は倒れてしまうだろう。あの奉行人は、今朝方叱りつけたせいで、陰で己を罵っているとか、どうやら、あの守護代は自らが出世できないのは主が依怙贔屓しているせいだと恨んでいる、とか、そんな細かなこと、一々知りたくもない。せいぜい造反の企みでも抱いていないかどうか見抜ければ十分であり、それすらも、興房らに任せておけば、勝手に調べ上げて報告してくれる範疇のことである。
 確かに、亀はあまりにも、鶴に依存し過ぎていたのかも知れない。何もかも知りたい、いつも傍にいたい、そんな思いが却って鶴を遠ざけてしまったことは否めなかった……。だから、興房との付き合いは、すこし距離を置いていた。配下としての彼の胸の内だけが分ればそれで良い。義興はそう思っていた。