大内義興イメージ画像
 明応五年(1496年)、春。
 周防・龍豊寺。
 武家と思しき一人の若者が、墓参に訪れていた。年の頃は二十歳前後。眉目秀麗で涼やかな容姿。彼の脇には、同じくらいの年頃の青年と、中年の男とが付き従っていた。
「……兄上、お久しぶりにございますね」
 そう言って、若者は静かに花を手向ける。
 そのまま暫しの間、皆、微動だにしなかった。
 そんな彼らの背後に、近付く人の気配。
 振り返り見ると、これまた見事なまでの美丈夫が、颯爽と歩んで来た。
「……これは……御館様」
 一同は、一斉にその場に平伏した。
「これ、見れば分かる通り、供は飯田だけだ。堅苦しいことはよせ」  周防国で「御館様」と呼ばれるのは、この国の主、つまり、周防守護・大内義興である。この年、ちょうど二十歳。
「水臭いぞ、興房。そなたの兄を参る時は、我も共に、と言い置いたではないか」
 義興は言いながら、同じ墓碑に手を合わせた。
 この若者、陶興房。若年ながら、大内家の同族一門、周防の守護代・陶家の当主にして、義興配下の被官筆頭である。
「勿体なきお言葉……亡き兄も、どれほど喜んでおることでありましょうや」
「うむ。ここには、そなたの兄二人、仲良く眠っておる。毎日でも詣でたいところだが、なかなか時間が取れなくてな」
 義興が、興房に従っている中年のほうの男に声をかける。 「おお、護郷ではないか。そなたも、鶴……、いや興明の墓参に来てくれたか」
 仁保護郷。豊前守護代を務めている。興房の父・弘護とは従兄弟同士。興房の祖父・弘房の夫人はこの仁保家の出身。身内であった。そして、義興とも縁浅からぬ関りがある。若子社参の「御供衆」の一人を務め、京での将軍親征の際にも共に従軍していた。
「お久しゅうございます。先にお館にご挨拶に参上すべきところを、ご無礼致しました」
「いや、よいよい」
 義興はさも嬉しそうに笑っていた。そして……興房の背後に控える、もう一人の若者に気が付き、声をかける。
「そなたは……」
「これは、野島の弟・親成にございます。兄の言葉に従い、配下として召し抱えましたが、なかなか細かい所に気が付く、役に立つ男でございます」
 興房がかわりに答える。
「ほお?」
 この野島の兄というのは、興房の兄・武護が造反して誅殺された時、最後までその傍に付き添っていた男である。一同は、去年、分国に吹き荒れた「謀反」と「討伐」の嵐を思い出し、神妙な面持ちになった。
 大内家配下の家臣筆頭・陶家と内藤家が共に手を組んで造反するという、とんでもない事件に、多くの者が巻き込まれた。陶家の当主だった興明は実の兄・武護と争い命を落とした。内藤家の当主・弘矩は先代当主の政弘に誅殺され、それを恨んで挙兵した嫡男の弘和もまた、義興によって討伐された。
 現在、陶家は興房が、内藤家は弘矩の弟・弘春が継ぎ、両家とも義興に忠節を尽くしている。それでも、年明けすぐには、なおも内藤家の弘矩・弘和父子の残党が挙兵を企てるという騒ぎがあったばかりである。
 西国の雄として、国中にその名を知られた父・政弘の死により、まだ若い義興が主となったことで、周辺諸国の守護達はこれは領国を侵すまたとない好機と虎視眈々と狙っていた。
「もう、何が起こっても我は動じぬ」
 そう言った義興の両の拳に、力が籠っているのを、興房は見逃さなかった。