『秋風清々』表紙絵
 明応四年秋。父・政弘が世を去った後、義興は名実ともに大内家の主となった。いみじくも、父の予言通り、陶、内藤という同族一門や外戚として力を持つはずの家が力を失ったお陰で、若い当主の領国支配に「邪魔」となる者は誰一人いなくなっていた。彼の性格から言って、これを喜ばしいこととはとても思えないのであったが。
 その日、懐かしい北辰降臨の三本松の下で、義興は一人の僧形の男と話していた。
 いうまでもなく、相手は陶武護、いや、僧・宗景であった。あるいは、その名前も相応しくはないかもしれない。なぜなら、武護は既に義興に「誅殺されて」おり、その出家後の姿である宗景も、当然のごとくこの世から消えたはずであるからだ。
 俗世を離れて山に籠もるつもりだが、まだその時ではない、と語った友・武護に、ついに「その時」がやって来たのだった。それが、亡き父・政弘が言ったように、彼の死を待っていたのかどうかは分らない。ただ、葬儀や諸々が大体片付いた頃、武護から「明日立つ」との知らせが届いたのだった。
 父を亡くした悲しみからまだ立ち直れていない義興にとって、ここでまた、大切な友と別れることは、耐え難い。「あやつだけは傍に置くな」と言った父の「遺言」すら、すっかり頭から消えていた。 「父上が亡くなられ、もはや恐れることはなにもない。戻って、我が元に仕えてはくれぬか?」
 孝行息子であるはずの亀は、平然と亡き父との約束を破ろうとしていた。武護はやれやれと首を振る。
「誅殺したはずの謀叛人が、戻ってお傍にお仕えするのは憚りがありましょう。大内家のご当主は平然と臣下や民を欺くのでございますか?」
「確かに、そなたは既に『この世にはいない』ことになっている……。しかし、ならば、僧侶・宗景殿として話し相手になってはくれぬか?」
 だから、宗景=陶武護ではないか。のろまな亀は何も分かっていないな。しかも、相当な「我儘」だ。武護はくくっと笑う。剃髪し、すっかり坊主になりきってしまった武護だが、これまた三国一の美僧。常のごとく、人を嘲るその笑顔すら、却って妖艶なものすら感じさせる。
「剃髪し、恭順すれば謀反人すら許されるのか? 確かにお前のその甘すぎるところ、放って置いたら危険だ」
 その通りだ。だから、鶴に傍にいて欲しい。いてくれるのだな? と期待した義興の前で、鶴はさっさと宗景だか誰だかわからない「僧侶」になりきってしまったようだった。数珠を手に、かつての友に深々と頭を下げる。
「いえ。拙僧は国を出るつもりです。もはや、やるべきことはすべて済ませましたので」
 やるべきこと、か。武護の願いは、全てを明らかにすること、であったはず。その意味では、父・政弘はいまわの際に、確かに何もかもを告白した。陶弘護の謀殺事件はすべて自らが仕組んだものであったと。自らが隠居し、義興が家督を継いだ後、今度は内藤家の勢力が大きくなりすぎたことが気になり出した。そこへ、武護が戻って来てあれこれの造反騒ぎを起こした。これ幸いと、それに加担したことを口実に、内藤弘矩も始末した。今度は、他者を巻き込み妙な芝居を打つこともなく、自ら手を下した。老い先短い身で、すべては自分一人で墓場まで持っていくつもりであったのだろう。
 無論、父はそれらを「告白」しただけであって、明白な謝罪はなかった。少なくとも、弘護の件は、父の思い過ごしで、造反の疑いなどなかったと義興は信じている。その意味では、武護の恨みはまだ晴れてはいないはず。確かに、父の仇であった政弘は亡くなってしまったのだから、仇討はもう不可能であるが。それでも、本当にやるべきことをすべて終えたと言えるのであろうか。
 妻の篠には申し訳ないが、確かに内藤弘矩は目障りだった。だからと言って、死んで欲しいとまでは思わなかったが。ただ、弘矩に叛意があったのは明らかなので、死を以て償うべきであったことに変わりはない。しかし、叔父の死に関しては、まだ幼すぎた義興には何とも言えなかった。
 ただし、同じ謀反の罪で、弘矩は殺され、武護だけは密かに匿われていたとなれば、明らかに不公平である。これほど目立つ男だから、僧侶になったところで、誰が見てもすぐに何者か分ってしまうだろう。義興とて、このまま鶴を一生寺の中に閉じ込めて置くことが無理なことくらい分る。例え、それが二人にとってどれだけ親しみ深い瑠璃光寺であったとしても。