今小路殿イメージ画像
 病の床についている政弘の元には、妻の今小路がつきっきりとなっていた。
 他の側室たち、息子たち、重臣たちも、足繁く通って来て、めっきり弱った主の姿を見ては涙していくのであるが、政弘はもはや、これらの人物と面会することも億劫に感じられたので、今では会う事を制限していた。
 だから、最近では、医者と妻だけが話し相手であった。唯一、義興だけは例外で、今も数日おきにやって来ては政庁内のことを報告する。淡々と主だった出来事を報告し、父の安否を確認するだけの息子の姿に、夫婦はともに違和感を覚えた。
 特に、弘護の事件の仔細を知らない今小路には納得がいかなかった。その日、いつものように機械的な報告をすませ、父の部屋を退出した義興の後を追ってきた今小路は、彼を脇部屋へと呼びつけた。
「あなたのお父上に対する態度が変わったのは、武護殿の一件以来ですね。まさか武護殿の死のことで、お父上を恨んだりなんかしてないでしょうね?」
「……」
 父のやったことすべてを話せば、母も必ずや鶴に同情する。だが、母に要らぬ心配をかけたくない義興にすれば、この件について政弘本人からの謝罪の言葉を聞くことができれば、それでよかった。
「あれほど親しくしていたあなたたちですもの。どれだけ辛い思いをしたか、母にわからぬとお思いですか? ですが、それは父上のせいではないでしょう? どんな理由があるにせよ、鶴のしたことは許されるはずがないのですよ」
「理由……母上は、それを聞きたいと思っておいでなのですか?」
「え?」
 何か余程同情するに値する理由があるとでも? しかし、武護の罪は「謀反」である。理由によって罪が軽減されることはない。
「あの子がどれほど賢くて、どんなに簡単にあなたを言いくるめてしまうか、この母が一番良く知っています。何を聞いたかは知りませんが、真に受けてはいけません。お父上を恨むなど筋違いです」
「では、母上は、父上が舅殿を御自らご成敗なさったことをどう思われますか? 舅殿も鶴もやったことは同じです。しかも、すべての罪を鶴一人に押し付けて、知らぬ顔をしようとしたのですから、罰せられて当然です。ですが、人を罰するにも手順というものがございます。あのように、二人して酒を飲んでいた席でいきなり斬りかかるなど、あってはならぬことかと」
 遂に我が子もこの母に意見するようになったのだ。そう思うと、息子の成長を喜ぶと同時に、何やら寂しくもある今小路であった。未だかつて、このように長々と、義興が母に対して意見したことなどなかった。
「お父上はご病気なのです。そのことを忘れないでください。もはや、まともな状態では……」
「まともな状態ではなかったから、先のような惨劇が起こってしまったと簡単に片付けるわけにはいかぬのです。我らはそれで良くとも、家臣らはなんと思いますか? 当主の父親は病のために耄碌して、気分次第で配下を手にかけるようになった、そんなとんでもない噂が流れているのをご存じですか?」
「……」
 今小路は眉間に皺を寄せた。
「分りました……もう下がりなさい」
 家中の噂が今小路の耳に入らぬわけがなかった。近くに仕える女房達は皆、おしゃべりである。殿方が勤める政庁や、町人たちの町場の噂とその中身にそれぞれ、多少の違いがあるとは言え、内藤弘矩刺殺事件については、義興が言っていたような話を今小路も耳にしていた。不思議な事に、これは、かつて似たような事件、陶弘護の刺殺事件が起こった時と、全く事情が異なっていた。あの時は、なぜか噂すらあまり広がることがなかった。それだけ、政弘に力があって、身内である陶家の当主が横死するという不名誉な話が外に漏れ聞こえぬよう、最大の努力を払う余裕があったということか。
 だとしたら、今度はそうやって、悪い噂が流れるのを止めるのは、当主である義興の仕事であるはずだ。下々の者らに、いいように言われて、それを放置しているとは。しかし、夫の病状が悪化したのも、息子の態度がぎこちなくなったのも、すべてはここしばらくのあれこれの大事件のせいなのである。そう思えば、致し方ないことのようにも思えるのであった。