内藤篠イメージ画像
 数日後、長門で内藤弘和が挙兵した。理由は、「父の仇討」であった。
 政弘はすぐさま討伐に向かうように、と義興に命じた。既に寝たきりになっている政弘ではあったが、なおもそこから、あれこれの指示を出していた。義興はすべての政務を父から引き継ぎながらも、やはり決定権は今なお父に帰属している。
「父上、舅殿があのようなことになり、弘和も当然怒りを禁じ得ないでしょう。すぐさま討伐などと言わず、まずは話し合いを……」
 父の隠居所で何とか、その説得を試みる義興であった。
「馬、鹿、者……」
 政弘は例の如く罵ったが、既に、まともに話すことも難しい状態だ。
「お前、は、それ、だから、だめ、なのだ……あやつ、は、家督を、継がせて、やる、という、わしの、申し出を、突っぱね、た……もはや、何を、言って、も、無駄、という、こと、だ。あやつ、が、家督、すら、要らぬ、という、の、で、あれば、放置、は、でき、ない……謀叛、人、の、息子、の、分際、で、家督、を、継、がせ、て、やる、と、いう、の、が、どれ、ほど、の、譲、歩、か、分か、ら、ぬ、の、か」
「……」
 長く話したせいか、政弘は荒い息をつき、かなり苦しそうである。部屋に詰めている医師らが脈を取る。
「あなたは、篠殿を通じて、弘和殿の義弟にあたります。お父上が、あなたを総大将とするのは、嫌がらせではありません。ちゃんとお考えがあってのことなのですよ。分かりませぬか」
 同じく、一日中部屋に詰めている、母・今小路が言った。
「身内の誼で、あなたの言葉なら聞くかもしれません。今はそのことを祈りましょう」
 母の言葉に、義興は父に向って黙って頭を下げると、そのまま部屋を退出していった。

「馬鹿、者、わし、は、あや、つ、を、許さ、ん、ぞ」
 政弘が今小路を睨んでいた。
「もうこれ以上、悪人を続けるのはおやめくださいませ」
 今小路は袖口でそっと目頭を拭った。
 何やら、この数日で、美しかった妻もすっかりと年を取ってしまったかのようだった。政弘は何やら胸の奥が酷く痛むのを感じた。それは、病のせいではなく、彼の良心が痛んでいるのであった。
「すま、ぬ、な……」
 夫の素直な一言を聞いて、今小路の涙はもはやそっと拭い去れるくらいのものではなくなっていた。
「分かっております。わたくしには、何もかも。だって、夫婦ですもの。あなた様のなさることはすべて、我らの息子のためなのでしょう? 女には難しいことはわかりませぬ。でも、何もかもが、亀童のためであるということ、それだけは分かります。わたくしは、どこまでも、あなた様を信じております」
「そな、た、だけ、だ……」
 そう言った政弘の目が潤んでいた。無論、今小路は、政弘の陶弘護殺しの秘密など知りはしない。しかし、内藤弘矩の誅殺については、隠しようもなかったから、既に知るところとなっていた。それでもなお、妻は夫を信じる、と言いきった。
 父母の願いは我が子の幸せだけである。それ以外は何もない。たとえ、どんなに複雑な政治闘争や危険極まりない戦の最中であったとしても、その中で、どのような非情なことが行われたとしても、すべては我が子のためなのである。
 だから、今小路は夫を信じ、息子の舅であった内藤弘矩が夫の手にかかって死んだことも、きっと、それなりの意味があったのだと思うことにした。そうでなければ、このような辛いこと、耐えられるはずがないではないか。それに、今小路は政弘を愛していた。息子の義興同様、この世の中で、誰よりも大切な人であったのだ。その夫が正しいと思ってやったことであれば、誤りなどないはずであった。