大護院尊光イメージ画像
 陶武護の造反騒ぎの後、興隆寺の別当・尊光は、傅役・杉武明の指示通り、例の細川政元からの書状を処分し、滞在中だった使者を帰国させた。恐ろしいことに、自分の所と同じように、内藤家にも「書状」が届いていたらしく、しかもそれは、無事に当主の弘矩の手に届くことなく、義興の手に渡ってしまった。更に、兄から父の元へと。
 偶然にもその場に杉武明が居合わせたからよかったものの、そうでなかったら、二人とも何も知らぬまま、巻き込まれてしまっていたかもしれぬのだ。例の「使者」に問い質してみても、そういうことは、知らないほうが良いの一点張り。そもそも、重要機密は最小限の人間にしか伝えられないので、彼自身の任務は尊光に書状を届ける事だけであった、と言う。
 使者の言う事ももっともであるし、細川家との繋がりを残して置きたいと思った尊光は、杉に言われるままに、その男を丁重に見送った。
 それでも、義興や政弘から何らかの呼び出しがあるかもしれぬと、夜も眠れぬ日々を過ごしていた。ところが、お咎めどころか、呼び出しすらないまま数日が経過。ようやく、嵐は過ぎ去ったと思っていた矢先、父の政弘が内藤弘矩を「誅殺」した、という恐ろしい知らせが、尊光の耳に届く。
 もしかしたら、「懲罰」はこれからなのかもしれない……。そう思った尊光は震え上がった。一応、「つて」のある、大友家を頼ろうかとも思ったのだが、あそこもお家が分裂している最中。その片方に繋がっている身では、もう片方に捕らえられて、父や兄の元に突き返される恐れが。逃げるに逃げられない尊光であったが、最後はあの憎らしい兄に助けを求めようとまで覚悟を決めていた。
 なんでも「処分」する父が許してくれなくても、馬鹿でお人好しの兄が守ってくれるかもしれない。これも生きるためだ。腹も立つが仕方がない。そんなことを考えていた時、身の回りの世話をさせている小坊主から報告があった。
「内藤様がお見えですが」
「な、ないとう!? ば、馬鹿を申すな。内藤殿は館内で……その……」 「いえ、その内藤様の御嫡男ですよ。よく、こちらにお見えになっているではありませんか」
 死んだ弘矩ではなく、息子の弘和。つまり、尊光の「幼馴染」ではないか。
「何!?」
 何の用だろうか。もう例の話は「ダメになった」のであるから、これ以上、父に誅殺された謀叛人の息子などと行き来してはならない、杉武明から固く言い含められていた尊光は、「病」と称して、面会を断り、弘和を追い返させた。

「申し訳ありませぬ、内藤様。別当様はお加減が悪くて、床に就いておられます」
 小坊主が言われたとおりに応対すると、弘和はその場でがっくりと項垂れた。
「そうですか。私になど会いたくないと思われるお気持ちは分かります。しかし、もうこれで、お会いできるのも最後と思いますので、一言でもご挨拶をと……」
 どうせ、中で聞き耳を立てているであろう、尊光に聞こえるよう、弘和は敢えて大きな声でそう言った。しかし、少し待っていたが、尊光が出てくる気配はない。
「姉以外に兄弟もいない私にとって、あなた様は本当の弟のような存在だった。打算的で、小悪党にもなりきれぬ小心者の私ではありましたが、此度の件については息子としての矜持だけは失いたくはないものと念じております。お世話になりました」
 弘和は尊光の部屋に向かって、深々と頭を下げると、興隆寺を後にした。

 尊光は弘和が義興に弓を引き、政弘を倒して父の仇を討つ覚悟であると知った。この寺の中で、大声でこんなことを言えば、どこで誰が耳にし、義興に注進するかもしれぬのである。それなのに……。だが、今ここで、出て行ったら、自らもその与党と見なされてしまう。尊光にはそれが恐ろしい。何しろ、陶武護にも義興は倒せず、弘矩は病に侵されていたはずの政弘に討ち取られるほどの体たらくだ。残り僅かの人数で、弘和ごときが頭となって、義興と政弘を倒せるとはとても思えない。
 細川家の使者はもう帰ってしまった。つまり、今回の件にはこれ以上手助け不要、そのかわり、互いに無関係、ということになってしまっているのだ。
 だが、幼馴染の誼で、最後に一目、そんな思いがちらと過った。
(いいや、だめだ。ここは傅役殿の言う通りにせねば。弘和とはただの『幼馴染』それ以上の付き合いはない。互いに大人になってからも、単なる『話し相手』を続けていた。そう、ただそれだけだ)
 心を鬼にして、弘和との面会を断固拒絶した尊光は、長らく二人の「密会」場所となっていた小部屋に籠り、独り涙していた。
(あいつの身に何かあったら、この先、だれが私の話し相手になってくれるのだ? こんな坊主たちの顔、もうこれ以上見たくはない。陶でも内藤でも誰でも良いから、早く私をここから出してくれ。いや、弘和、そなたでなくてはダメだった……ほかに頼りになる者などおりはせぬ)
 尊光は何もかも棄てて、弘和の後を追おうとすら思った。しかし、彼にそんな勇気があろうはずはなかった。