大内義興イメージ画像
 義興は若山城を落とし(厳密に言えば、無血開城なので、戦闘を行い『攻め』落とした、との意味ではないが)、謀反人・陶武護を「討伐」した。
 幼い頃から兄弟同然に育ち、何よりも大切な友であった武護を失い、それも自らの手で討伐した彼の辛さ、悲しさは筆舌に尽くしがたく、もはや自ら立っていることもできぬ有様であった。
 義興は配下の武官らに支えられながら、興房と共に、武護の遺骸を荼毘に付した。
 燃え盛る炎の中で、友は今まさに、この世とは別のところへと向かっているのだ。
「安らかに逝くが良い。後のことはすべて、我に任せよ」
 そう言いながら泣き崩れる義興の脇で、興房も声をあげて泣いていた。
 居並ぶ将兵たちは、彼らのように武護への思いなどないから、大の男が二人、泣き喚くのを見て何やら奇妙な印象を受けた。しかも、義興は「御館様」である。たかが、幼馴染の男一人亡くしたからと言って、女子供ように泣いているとは、何とも頼りないではないか。だが、相手は当主であるから、たとえ、どんなに怪しげな行動を取っていたとしても、ここで笑ったり、馬鹿にしたりすることはできないので、一同神妙な面持ちで、後ろに控えていた。
 そもそも、武護は「謀反人」なのであるから、こんな風に弔ってやるのもおかしいのではないか、と思った者も一人二人ではなかったのだが、義興と武護との深い関係について知らぬ者はないので、余計な事を意見して、嫌われても困ると皆、口をはさむのは諦めた。
 それに……恐らくは、この「幼馴染み」とやらの死はかなり凄惨なものであったと思われる。そのことは、皆も何となく「想像」ができたので、これはもう、義興がこのように、半ば「おかしく」なっても仕方ないとも感じるのであった。しかし、主は無事であり、謀反人は討伐されたというのに、この異様な光景は何なのだ? 山口へ戻ったら大殿様にどのように説明すれば良いのかを考えると、年寄り連中はもう、泣きたいくらいであった。

 謀反人・陶武護から「話がある」と部屋に招かれ、当主の義興が、誘われるままにのこのこと入って行ってしまうという信じられない出来事に、近臣たちは我が身の運命を呪った。万が一にも、それこそ、陶弘護が吉見信頼にやられたようなことになったら……と考えるのが普通ではないか。皆、生きた心地がしなかった。
 しかも、「最後の話」とやらが何なのか、部屋に近付くことも許されなかった彼らには知るよしもない。無論、それこそ完全武装した将兵らが部屋を取り囲んでいたので、謀反人が最後の悪あがきで、御館様を手にかけたとしても、本人が逃げおおせるはずはない。ま、御館様のかわりは「寺に」ちゃんと「いる」のだし、最後は自己責任でと言う他ない。
 だが、どうやら、「会見」は更に奥まった部屋で行われた模様で、脇部屋に張り付いていた者たちは、何の会話も盗み聞きできなかった。皆の我慢も間もなく限界というほど長い時間が過ぎ、ようやく義興が部屋から出てきた。しかし、この時点で彼は既に「おかしく」なっていたと思われる。身体中に返り血を浴びて、顔面蒼白となっている当主の姿を見て、居並ぶ近臣達も、同様に蒼白となり、半数はその場で腰を抜かした。
 とうの義興も彼ら共々その場で正気をなくしてしまい、近臣達に介抱されてやっと立ち上がる始末。例の「部屋」では、陶興房が兄の遺骸にすがりつき、これまた声をあげて泣き崩れているようである。近臣たちの命を受けた武官が、武護の「最期」を確認しに向かったのだが、部屋の入り口では御館様のお傍役の飯田が、何人たりとも入ってはならぬ、と鬼の形相で立っていたから、結局、誰一人中の様子を知ることができなかった。