畠山澪イメージ画像
 紀伊国・広
 畠山尚順の館から、ほど近い野原。
 高い木の上に昇って、夜空を眺めている少年が一人。まるで少女のように、愛らしい顔は、煌めく星々の群れを見ながら、きらきらと輝いていた。
 冬の空は澄んでいる。ゆえに、星もくっきりとよく見えた。
 無論、現代のように街の明かりなどない時代。さらに、眺めは抜群だったろう。
高い木の上からだと、ほんの少しだが、それらの星達に近くなる。
 そして、その分、遠い異国で、同じ星を見ている「思い人」とも距離が縮まるような気がするのだ。
 一方、同じ木の下では……。
「姫様、お願いですから、下りてきてくださいませ。外は寒うございますから。叱られるのは、我らなのですよ」
 男装の姫様の我儘に、一日中振り回される付き人達。
「うるさい!! そなたらのわめき声を聞いていると、星空が楽しめぬではないか。寒いのなら先に館へ戻れ」
 畠山澪は「下界」の者たちに、そう言いつけて、なおも独り木の上にいるのだった。
「お殿様以外に、姫様が言いつけを聞くお方はおりませんよ。どうか、お殿様にお知らせを」
 姫様付きの侍女は泣きそうになりながら、脇に立っていた護衛のような男に頼み込んでいる。
「我が殿がこの寒空にこんな所へやって来るはずがあるまいに。諦めて、妹君の気が済むまで付き合って差し上げるしかあるまいなぁ」
 男はへらへら笑いながら言うのである。
 澪のお転婆は城下でも知らぬ者がないくらい。最初は、女のくせに男の格好をしているなんておかしいのでは? と思っていた男どもだったが、今はその可愛らしさに皆、六年後が楽しみだ、とにやついていた。
 もしも、お淑やかで館内から出て来ないような姫君であったなら、その辺の下々の家来の前に姿を見せるなどあり得ぬことなのだ。ところが、うちのお姫様ときたら……。
「鶴ーー聞こえるか? 周防はここより寒いのではないか? 風邪を引くなよーー」
 鶴というのは、富田鶴次郎とかいう妙な出家のことだ。その男は確かに、数ヶ月前まで陣中におり、お殿様の傍近くにも仕えていたようなのだが、なぜかある日を境にその姿を見かけなくなった。姫様の木登りは、その頃から始まった。
 かつて、山口で、義興と篠が、どこにいるのか分らない武護も、どこかで同じ月を見ているのだろう、と風流な会話をしていた。だが、澪にとっては、それは、月ではなく星だった。
 他ならぬ鶴から聞いたことがある。守護神のような星が降りてきたのを見たことがある、と。
(兄上のところにも降りてきてくれれば良いのに……)
 澪はそう考えて、毎日せっせと大木の下に通った。
 しかし、何度仰ぎ見ても、そんな守り神は降っては来なかった。そのかわり、木の上から星を見るようになった。
 多分、何処へ行っても見える星は同じ。京にいたときも、紀伊国に来てからも、見えるのは同じ星だ。鶴の故郷では北辰(北極星)を信仰しているのだとか。
 京での惨劇を目の当たりにし、父の死の悲しみを味わった澪は、神も仏も信じてはいなかった。だが、もしも、いるのだとしたら、兄の尚順を、そして、「許嫁」の鶴を守って欲しい。そう思うのだ。
 星を信仰しているなんて、なんてロマンチックなんだろう。こんな横文字はない時代の少女だが、澪の現在の心境はまさにそれ。だが、憧れの対象は星々を拝むという行為でも、星々そのものでもなく、そんな話を聞かせてくれた、秋風のように爽やかな男だった。
 常に口が悪く、周囲のものすべてを馬鹿にし尽くした態度で、顔を見るたびに喧嘩になった。だが、それでも、愛しくてたまらない。神も仏も信じないと言ったが、それは嘘かもしれない。鶴との出逢いはまさに神仏のお導き。
 あの尼寺を出て、最初に出逢った人物に嫁ぐ、という馬鹿らしい願いの後に、最初に出逢ったのが、他ならぬ鶴だったのだから。こんな偶然あるはずがない。まさに、神々の采配だ。
 男の格好をすることで、ありのままの自分を隠し続けている澪は、独り木の上にいる時には、本来の愛らしい少女に戻り、幼い恋心を温め続けているのだ。だから、この木登りを、やめることができない。
 今日も同じく、周防国があるという方角を向いて、星を見上げていた澪。
 その時、夜空にすーっと線を描くようにして、星が一つ流れて行った。
(……!)