陶武護イメージ画像
 陶興明は似合わぬ甲冑姿で馬に揺られつつ、姫山へと向かっていた。そこまで行けば、内藤家から「援軍」を借りられる。大殿様からも、他にも人手を集めるから心配するな、とのお言葉を頂戴していた。
 一方、若山の武護は、当初は一歩先に出た興房を追うような形で一路、山口を目指すつもりであった。しかし、どうやら興明が大殿・政弘を頼り、援軍を引き連れて城の奪還に向かっていることが知れた。物見の報告から、守護館の動向は一々手に取るように分かるのである。
 陶家の山口屋敷を襲い、興明を討ち果たしてから、その足で政弘の元に向かう。その際には、内藤弘矩も合流する、何となくそんな計画であったのだが、武護は考えを変えた。山口に入ることは、すなわち義興と交戦することを意味する。武護には、未だに心の準備が出来ていなかったのだ。
 興明をここに誘き寄せて始末すれば、すぐさま山口に入ることは避けられる。それに、恐らくは内藤家の連中もまだ十分な兵力を準備できてはいないと見た。息子の弘和が密かに長門へ向かったことも筒抜けである。
 だが、内藤弘矩も武護も、ともに慎重すぎた。このことに、後々後悔することになるのだが。しかし、武護の場合は慎重すぎたというよりは、義興への思いから、踏ん切りがつかなかったとも言える。

 若山の頂で、遥かに海を見下して、風に吹かれている武護。
 本丸からのこの眺めが彼は一番好きだった。だが、思えば、幼い頃に亀童丸の「遊び相手」に選ばれ、山口の館へあがってしまったから、この大好きな光景を見たことも数えるくらいしかなかった。父が亡くなり、葬儀のために城に戻ったあの時くらいか。当主となった後も、まだ幼過ぎるという理由で、やはりそのまま若子様の遊び相手を続けさせられ、領国のことを任されることもなかった。すべては叔父の弘詮が行い、十五を過ぎても、せいぜい叔父の取り決めた書状に判をするだけであった。
 これからはこの国の「守護」となるのだ。山口に詰める必要もない。この先は好きなだけ、この景色を眺めることができるようになる。
 にもかかわらず、なぜか武護の心は晴れなかった。すべてを手に入れるためには、なおもいくつかの手順を踏まねばならない。しかも、そのためには、この手で多くの者の命を奪わねばならぬのだ。「守護」の地位は、この山頂からの景色を眺められるようになることは、それほどの代償をはらう価値のあることなのか?
 いや、違う。大切なのは「父の仇を取る」ことであって、身分や地位とは関係ない。弘護の無念を晴らすことができたなら、家督など、城など、興明に返してやれば良いではないか。どちらも、弟にとっては、命より大切に思っているものなのだ。

「本当に興明様と戦を?」
 脇に控える野島壱之介が尋ねる。武護の命令で、城内の将兵をまとめたのは彼の功績であった。特に何らかの旨い話を出すまでもなく、亡き殿(弘護)の無念を晴らすことに反対するような者は一人もいなかった。そのためであれば、武護に従うということでも、皆の同意が得られた。まあ、上が同意すれば、配下も当然それに従うことになるので、城内の者は全員一致で武護を推すことになった。
 武官らについてはそうだったのだが、文官らについては、そう容易くはいかなかった。誰しも、素寒貧の出家に過ぎない武護につくことには反対だ。それに、これらの連中の前で、実は政弘が弘護を謀殺したのである、などという話をしてみたところで、誰も信じようとはしないであろう。仮に信じたとしても、保身のために、聞かなかったことにするか、こっそり逃げ出すはずだ。実際、武官達の怪しげな行動を不審に思った者たちは、身の危険を感じ、我先にと逃げ出した。
 だが、これから戦を行おうというこの時には、それらの連中はいても邪魔なだけだし、逃げ込まれた先の興明とて、来てくれても何の役にも立たぬ者ばかりであった。