内藤篠イメージ画像
――槇の戸も開けぬ霜夜に人の来て月をぞ語る埋み火のもと
 寒い冬の夜、義興と篠の心を結びつけるきっかけとなった父・政弘の歌。
 埋み火とは、炭火を灰の中に埋めておいたもののこと。燃え尽きぬように火種を残しておいて、翌朝一番にすぐ温かくなるようにするのだ。暖房器具などない昔は、火鉢などで暖を取っていたから、この「埋み火」も冬になれば普通に見られる光景。和歌の冬の季語でもある。
 これを、拡大解釈すると、消えないように残しておく火種=再び燃えることもある思い、となるようで。そのような意味としてこの語を用い、エッセイや詩を書いておられる方々を散見した。
 さて、この和歌では勿論、埋み火は単に埋み火でしかない。解釈が分かれるのは、テーマが月の美しさなのか、それとも友との語らいなのか、というところであるらしい。
 篠に言わせれば、冬の月というのは、『源氏物語』の中で源氏の君も「好きだ」と言っておられたように、澄み切って美しいものである。
 確かに冬の夜空というのは美しい。寒い中、ふと空を見上げると、その澄み渡る空気の中、星々がくっきりと見えたことを思い出す。月も勿論そうであろう。寒いのは苦手なので、冬の夜空など見るために外へ出ることは稀だが。
 しかし、冬の空気が澄み渡っていることは、紫外線に敏感な女性なら当然知っておかなくてはならない重大事である。紫外線は夏が最も強いのは当然だが、空気が澄んでいる冬も要注意なのだ。以前、寒さ厳しい八王子で学会の下働きをさせられていたとき、紫外線チェッカーが真っ赤になり、愕然となったことを今でもはっきりと覚えている……。これは恐らく、紫外線量の問題ではなくして、空気が澄んでいるがゆえに、夏よりは少ないはずの紫外線が、まんまストレートに届いていたせいと見た(無論、都心と八王子とでは空気の『澄み具合』が違いますが。都会ならば、同時期でも真っ赤より少し手前でした)。以来、一年中日傘の人となった。
 さて、月と言えば、秋の月見シーズンが一番、などと月見団子を想像する凡人には(凡人第一号です)、冬の月の美しさは分らない。寒いからと言って、扉を閉ざして縮こまっておらずに、そっと戸を開けて、寒空に浮かぶ澄んだ月を眺めるのが「通」なのである。そういう意味では、この和歌は、冬景色の美しさを詠んだありふれたものの一つに過ぎない。だが、歌の先生のご本では、そうではなくて、ここの主題は「人が来て語っていったこと」なのだという。
 まあ、歌の解釈なんて、本当の意味は詠んだ本人しか分らないので、恐山に行って口寄せの巫女さんに頼み、大内政弘さんに聞いてください。余談だが、父が亡くなった時、あまりにもあっけなくて、所謂「最後の言葉」も聞けなかったので、このイタコさんとやらに会いたいと真剣に考えたアホな子供だった。その時に、母がぴしゃっと言ったのが、亡き祖父の言葉とやら。外国人の死者と会話したいと頼んでみたらいい。英語も分らんのに、通訳無しでぺらぺらできたらホンモノだ、と。確かに、それは無理そうである。いや、どこもかしこも外国人観光客で溢れているから、案外、イタコも外国語ごとに担当者が変わったりして。それこそインチキまる出しとなるが。母は恐山に向かう「交通費」をケチり、同時に、娘の馬鹿な妄想を打ち消そうとしたのだろうが、例えそれが嘘でインチキであったとしても、「お前みたいな娘がいて幸せだったよ」とか、それらしい「最後の言葉」が聞きたかった。ただそれだけである。
 ええと、つまり、本人の意見を聞くことが不可能な現在、「冬の月が綺麗だね、と友達が来て話していったよ」の後が、「本当にその通りの綺麗な月であったことよ」でも、「そんな美しい月について友と語り合える事ができて楽しかった」でも、もうそんなことはどうでもいい。
 現に、篠はこの歌を「美しい冬の月について、訪ねてきてくれたあなた様と共に語り合いたい」という意味で使っていたではないか。