僧侶・宗景イメージ画像
 周防国・富田若山は陶家の領国である。山口に次ぐ繁栄した町であり、居城の若山は海陸の要衝に聳え立つ、堅固な城であった。現当主の陶興明は山口の政庁勤めであったので、城に戻ることは稀。幕府が守護は在京を旨とする……などとうたっていたのと同じく、大内家でも重臣たちは山口に館を造り、普段はそこに詰めていた。そこで、現状城は空であり、留守を任された家臣と防御部隊がいるだけだった。
 そんな若山の城下で、一人の若い武官が酒を飲んでいた。
「まったく、うちの殿様と来たら、城に戻るという事もないし、やることなんか何もねえ。以前のお殿様の頃は戦も多かったし、後を継いだ御嫡男もれっきとした武人であったのだが。今のあれは、最近流行りの公家まがいじゃなかろうか」
 このような状況下で、山口の館勤めにも帯同を許されず、戦もない城に残された武官というのは辛いものである。多少は愚痴も出ようというもの。
「ちょっと、野島様、うちの店でお殿様がどうのこうのとか、やめてくださいな。物騒じゃありませんか」
 店の女将はぶつくさ言いながら、盃を片付けてしまった。
「おい、何だよ。もっと飲ませてくれ。どうせ、殿様なんていやしないんだから、どってことないだろうが」
「巻き込まれたら嫌だからですよ。お代は要らないから、出てっておくんなさいましな」
 野島と呼ばれた武官はちっと舌を鳴らしたが、「お代は要らない」というのだから、有難くただ飲みさせてもらうことにして、次の店を探す。
 吹きっ晒しの所で飲むには寒い夜であった。ほろ酔い加減も半ば醒めてしまったし、詰所に戻ろうかと思ったその帰り道、一本道の行方を塞ぐようにして、一人の男が立っていた。
「何だ、貴様は? 邪魔だ。そこをどけ。真っ二つになりたいのか?」  野島も城下では腕が立つ者として通っている。その己にちょっかいをかけてくるとは、いい度胸であった。だが、その男はくすっと笑って、大胆な言葉を吐いた。
「お前に俺を真っ二つに出来るのなら、な」
「……んだと?」
 見たところ、町人風情、いや、出家である。それにしても、出家というのは慈悲深く穏やかなものではないのか? まあ、京のあたりにはおっかない僧兵なんぞもいるらしいが。
「坊主を真っ二つにしたら目覚めが悪いだろうが。とっとと失せやがれ。俺を誰だと思ってる?」
 しかし、その出家はその場を動こうとしない。
 店から締め出された時から、ずっと気分が悪かった野島は、酔った勢いもあり、自然と刀を抜いてしまった。例え相手が通りすがりの坊主でも、治安のよい周防の地で「人殺し」でもしようものなら、面倒なことになる。だが、酔っぱらいには分別などない。
「なんで坊主まで俺様の邪魔をするんだよ」
 全く、前の当主が行方をくらまし、文弱な弟が新しい主になってからというもの、野島のような武骨者には居心地が悪くて仕方ないのだ。野島はそれまでのもやもやした気分をすべて発散してやろうとばかり、後先考えず刀を振り下ろす。
 だが、まずい、殺ってしまった……と思った時には目の前には誰もいなかった。何度も目こすり、辺りを見回したが、やはり誰もいない。どうやら、いもしない相手に向かい、目茶苦茶に刀を振り下ろしただけだったようである。
「ちっ、目まで悪くなっちまった……」
 文句を垂れながら、先へ進もうとしたとき、冷たい物が首筋に触れた。野島はびくっとして、今度こそ完全に酔いから醒めた。 「そのままゆっくりと振り返ってみろ」
 どこかで聴いたことのあるような声が、耳元でそう囁いた。己の命は既に相手の手の内にある。言われた通りに恐る恐る振り返ると、そこには先程の出家が立っていた。
「おぬし……一体、何者なんだ」
 この男、見間違いと思ったが、確かに存在していたのだ。しかし、一瞬にして視界から消え、しかも存在そのものすら消し去ってしまった。更に、その後のこの素早い動きである。ただ者でないことは明らかだ。