内藤篠イメージ画像
 内藤弘矩の娘・篠は父の主君の嫡男・義興に嫁ぎ、政弘の隠居で新婚夫婦は守護館に移った。夫の住む御殿の東側にその居所があったため、史書の類では「東向殿(ひがしむきどの)」と呼ばれた。
 義興の元に嫁いで早幾月。婚礼の儀式の後、数日の間はお渡りがあったが、その後は夫の姿を目にしたこともない。それが、陶武護から渡されたあの瑠璃色の首飾りのせいであることを、さすがにぼんやりの篠もよく分かっていた。
――女は皆、鶴が好きなのだ。そなたもそうであろう?
 義興の言葉が刃のように篠の心に突き刺さったままである。
(私、あの方を傷つけてしまった……)
 たとえ、篠が今も武護のことを忘れられないでいたとしても、義興には何の罪もないのである。武護が篠のことを「町娘」などと嘘をついて義興を騙していたことは既に分かっている。例の一の坂川での邂逅で、花の言うように幼かった義興が自分に心を奪われたかどうかの真偽は別として、この婚儀は単に、「行き遅れた年上の女」を重臣の娘というだけで押し付けられたという点で、義興が気の毒なだけである。
 しかも、夫君は「妻は一人でいいので」などと殊勝なことを言っているという。古今稀に見る善良なお人だ。そんな人を怒らせ、足を遠のかせてしまったのは、間違いなく自らの過ちによるものなのだ。誰が、夫君の前で「他の男」からもらった品を見せつけ、しかもそれを「大切なものだから」と奪い返すようなことを。
 だが、篠にも言い分はあった。ほかならぬ篠自身も、どうやら武護に騙されており、彼に対しての現在の感情は複雑であった。だが、生まれて初めて心ときめかされた相手として、武護はやはり特別なのである。それでも、篠自身が若子様の妻となることを選んだ。そうでなかったら、騙されたことも知らず、尼寺に駆け込んでいたはず。そんな我儘を押し通したら、内藤家そのものが潰されてしまうかも、という花の脅し文句もあったが、実はそれには関係なく、最終的に自らこの道を選んだのだ。
 しかし、無口な篠には、花や武護のように、これらの諸々の事情を滔々と語り、夫に許しを請うことは無理であった。

「お嬢様、御館様はどなたに尋ねてもお心の広い、お優しいお方だと。それでも、これだけ『怒って』おいでなのは、当然お嬢様がいけないんですよ」
 篠に従って守護館にやって来た花が言う。花を除いては、皆元々館付きの女房達であり、話し相手となってくれるのは今も昔もこの娘だけであった。女房達の中には、今小路の命を受けて、息子の奥方の人となりを見極めるために派遣されている者もいたので、篠はますます何一つ恐ろしくてできない状態であった。今も、花以外の女房達は部屋の外へ追い出していたが、どうせ外で聞き耳を立てているに違いなかった。それが分かっているので、二人きりのときでも、会話には非常に気を遣った。
「このままだと、お渡りは生涯ないかもしれません。何とかお心が通じ合うようになさらないとたいへんですよ」
「でも私、どうしたらいいのか、まったく分からない」
「ああ、ここで若子様でもお生まれになればよろしいのですが。それすらも、御館様のお渡りがあってこそですので」
「ええ!?」
 いきなり「若子」様などと言われて、篠は真っ赤になった。今小路が想像していた通り、篠もきちんと実家で床のことについて教わって来ている。しかし、確かにこれには義興に来てもらわない事にはどうしようもないし、仮に来てくれたとしても、最初の三日を見て分かる通り、相手は全く篠に関心がないか、あるいはその気が失せている状態である。
「お嬢様、向こうから来て頂けないのなら、こちらから行くしかありませんよ」
 花はそう言ってにこっと笑った。
(馬鹿な。そんなこと、できるはずがない……)