大護院尊光イメージ画像
 武護がいなくなった後、すぐ下の弟が陶家の当主となった。幼い頃は新介も共に遊んだことがある仲であったが、やがて「遊び相手」は鶴一人になったので、ほかの陶家の弟たちも、新介自身の弟たちも、各々がそれぞれ別々の遊び友達との交友を深めていったのだった。
 こうした、幼い頃からの「交友」というのは、往々にして長じてからのその昇進なり、栄転なりに関わってくる。それゆえに、誰しも当主の次男以下ではなく、嫡男と親しくしたいと思うのが本心である。だが、こういうことは、子供の頃には分からないから、当然親が決めた案配に従うことになる。
 父の弘護は当然の如く、将来家を継ぐことになる兄を、若子様のお傍に上げることを望んだし、これは大殿のご意向であったとも聞いている。新介様、いやもう義興様と呼ばねばなるまい。義興様の遊び相手が兄・武護であり自分ではなかったことで、この弟はかなり嫌な思いをしていた。ゆえに、兄弟は自然仲が悪くなり、何かにつけて対立するようになっていった。ところが、思いがけず訳の分からない理由で勝手に姿を消し、どこぞの寺で出家などしたという馬鹿な兄のお陰で、弟には思いもかけなかった幸運が舞い込んだのであった。
「これよりは、わたくしが、愚かな兄にかわりまして、御館様に誠心誠意お仕えいたします」
 殊更に「愚かな」と付け加える弟に不快なものを感じつつも、早速やってきた新たな家臣であり、しかも名門中の名門、陶家の当主であるから、義興はこの弟に自らの「興」の字を与えた。よって、武護の弟、陶家の新当主は陶興明と名乗ることとなった。
 興明は義興と同い年。兄・武護のような変わり者ではなく、いたって普通の若者であった。仲が悪いと言うと、すぐに母親が違うのだろうと思いがちだが、二人は同母兄弟である。しかし、容姿も性格もまるで異なっていた。
 一言でまとめると、おとなしく優等生的な若者であったから、後見役となっていた叔父・弘誼にも好かれていたし、その他の年寄りたちの間でも、武護のような「悪い噂」は何一つなく、宮仕えにおいてもそつなくこなすタイプである。だが、逆に言うと、兄・武護のような切れ者ではなく、亡き父・弘護には遠く及ばないことはいうまでもなかった。
「うむ。周防の守護代は要職ゆえ、心して努めて欲しい」
 心躍らせる興明に対して、義興は形ばかりの挨拶の言葉をかけただけで、早々に部屋を出て行ってしまった。
「……」
 どういうわけか、どこに行っても兄より優れている、と褒められる自分が肝心の「御館様」に嫌われている……。いや、嫌われる理由はないと思うのだが。兄の武護との関りが深すぎたお方であったゆえ、依怙贔屓をしているのだ。興明はそう思った。ますますもって、兄への恨みが膨らむ。
(ふん。どうせどこかの寺でつまらぬ念仏でも唱えておるのだろうが。御館様とて、すぐに私のほうがお役に立つ家臣であることに気が付くはず。ここは、我が有能な『仕事ぶり』でその献身のほどを示すしかない)

 あまりに「普通すぎる」武護の弟との面会をすませ、義興は一人部屋に籠った。
(同じ兄弟でかくも違うとは……)
 多少なりとも、鶴に似たところがあったならば、と期待したのが間違っていた。そもそも兄弟だからといって、それぞれが別々の人間だ。仮に顔姿が似ていたとしても彼は鶴ではないのだ。たとえ、どれほど有能であろうと、鶴のかわりは誰にも務まらない。