内藤篠イメージ画像
 「元」主、つまりあの若様を「兄」と呼んだ声の主を一目見てみたかった花であったが、その実の兄を悪し様に言う冷たい口調に不快感を覚え、そのまま振り返りもせずに立ち去った。
「お嬢様、どうかもう、あの若様のことはお忘れに。ご家族の方々からも『嫌われて』いるみたいです。あれでは誰も、若様の行方なんか知りやしませんよ」
 屋敷に辿り着くなり花は言った。
「まったく。もう少し逃げ足が遅かったら叩き出されていたかも知れません」
 花は武護を「兄」と呼んでいた、陶家の新しい当主の話をして聞かせる。
 篠はそれを聞くと、もはや彼には自らの家に居場所がなくなり、出家したというどこかの寺で生涯僧侶として生きる以外にないのだと悟った。だが、たとえそうであっても、一度だけでもいいから会って話がしたい。何があのお方をそこまで追い詰めたのか、その理由が知りたいのだ。そして、その苦しみを分かち合い、自らも近くの寺で同じく世捨て人になって互いに支え合いたい。それなのに、今どこにいるのかさえ分らないなんて。
 仮に、武護の居場所が分ったとしても、篠がその後を追って尼になるなど不可能であった。たとえ、「恋物語」の中では可能であっても現実では無理なのだ。もしも、本当に陶様の居所が知れたとしても、花がお嬢様にそれを教えることはあり得ない。お嬢様が本当に「家出」でもして、若子様との縁談を踏みにじったら、この家はどうなるのだ? きっと御館のお殿様の逆鱗に触れて、この家は潰されてしまうだろう。主の家が潰れたら、当然花も路頭に迷うことになるのだし、だいたい、そんな悲惨なこと、お嬢様だって望むはずはない。ただ、そもそも世間知らずでぼんやりしたお方である上に、更に「恋煩い」のせいでおかしくなり、正常な判断ができなくなっているだけだ。
 非情なようだが、ここはお嬢様の意に逆らってでも、何とか無事に若子様の奥方様になれるよう導くのが忠実な侍女の勤めである。少なくとも、ここ大内の御館様配下の国では、一番偉いのは御館様であって、陶様でも、内藤家のお殿様でもない。そして、お嬢様の夫君となられるのは、将来その最も偉い「御館様」になる資格をお持ちのお方なのである。女として、これ以上の幸せは望めない。そんな天から降ってきた良縁を足蹴にして、雨ざらしの尼寺に行こうなどと、例え一時の気の迷いだとしても、口にしたら罰が当たるではないか。

「お嬢様、私が思うに、この世の中で、陶の若様の行き先を知っている方はお一人だけです」
「それは……誰なの?」
 篠は藁にもすがるような思いで花を見つめている。もしも、あの方の居場所を知る人がいるのであれば、黄金を積んででもいいから教えて貰いたい。
「御館の若子様です!」
 花はお嬢様の物思いを吹き飛ばすような大声で叫んでいた。
「何を言うの!?」
 これまた、お嬢様にしては大きな声であった。
「本当は何もかも分っていらっしゃるんですよね? 陶様は若子様の『お供』だったのです。お会いしたじゃありませんか。一の坂川でお『二』人に。
 あの若子様はお嬢様を見てぼんやりなさっていた。私見たんですよ。お嬢様が陶の若様を見ていたのと全く同じでした。まるで魂が抜けたみたいになって……。あの時、お嬢様もあの若子様も二人して『一目惚れ』したんですよ。残念ながら思う相手はばらばらでしたが……」
「……」