畠山尚順イメージ画像
 明応二年九月。
 河内の守護・畠山義豊は兵を率いて紀州に侵攻した。畠山義豊とは何者か? 何のことはない、例の将軍交代劇に際して細川政元と手を組んだ畠山基家その人である。単に改名しただけだ。
 畠山義豊は細川政元との「密約」で、将軍義材を河内に足止めして、政元のクーデター遂行がスムーズにいくようにサポートした。そして、その見返りとして、晴れて河内の守護職を認められ、また、畠山家の正式な当主となった。
 例え相手が過去に敵対関係にあった者であれ、自らに有利な条件を提示してくれたのなら平然と味方になる。そういうやり口を「汚い」とか「不義理」であるなどと眉をひそめる新介のような人物はともかくとして、世間一般にはこんな「密約」話などどこにでも転がっていたし、結果良ければ全て良しなのである。
 そして、仮に、新介のような連中が非難してきたとしても、その場限りのことなのだから、無視してしまえばそれで良い。実際、義豊と政元が実は繋がっていたと分って驚いた者は少なくなかったが、そんなこと、将軍交代劇の馬鹿騒ぎでとっくにかき消され、忘れ去られてしまっている。
 しかし、問題なのは、この件が決して結果オーライにはならなかった点なのである。
 畠山政長は、自らが「守護職」を務めているはずの河内国が畠山義就によって不法占拠されていることに恨みを抱いていた。だから、義就を追い払い、「名実ともに」河内国の守護となることを「悲願」としていた。しかし、義就側から言わせれば、河内国を実効支配しているのは自分たちなのだから、「名ばかり」の政長など排除して下さい、となる。
 こうして十余年にもわたり睨み合ってきた両者が遂に決着をつけようというその時、本来ならば、将軍義材の親征のお陰で、その側近・政長の大勝利となりそうに見えた局面が、実は細川政元という「大悪人」の保護下に入っていたという信じられない切り札によって義就の子・基家の逆転勝利に終わった。
 勝利して、約束のものをすべて頂戴したのだから、それでいいではないか、と思いたい。しかし、そうはならなかった。
 基家の信じられない「密約」のせいで追い詰められた政長は自害して果てたが、捕らえられた将軍義材は逃亡に成功してしまったし、基家いや義豊にとってもっと気分が悪いのは政長の息子・尚順が逃亡も何も、最初から「捕らえられなかった」ことである。しかも、まんまと政長の元領国の一つ紀州に逃げ込んだ。
 当然相手は義豊を父の敵と憎んでいるはずであるし、この重要人物を取り逃がしたことで、折角の畠山家の統一という当初の目的は果たせずじまいとなってしまったのだ。
 しかし、相手はかつての義就、基家同様、もはや無位無官の落ち武者風情なのであるから、紀州に居座っていることは不法占拠ではないか。まあ、最初のうちは不法占拠もなにも、「隠れ潜んでいる」だけであったのだが。
 先に五月頃、赤松政則の水軍が紀州を攻めたが、何と尚順は海賊連中の力を借りてこれを撃退してしまった。どうも彼の地は政長の代からの繋がりで皆が尚順を支えているようだ。このままでは、それこそ不法占拠いや実効支配されてしまいかねないから、その前に潰しておかなければ。
 そんな思いから兵を進めた義豊であったが、何と結果は惨敗であり、一旦河内に戻るしかなかった。どうも風向きが悪い。義豊は限りなく嫌な気分になった。足利義材は越中で「旗揚げ」の宣言をしたが、この越中の地がこれまた元畠山政長の領国である。このまま噂通りに義材が上洛し、現在の将軍を追い出して居座ったらどうなる? 義材を奉じているのは他ならぬ畠山尚順であって、当然義材はまた「そちらの」畠山を認めることになるであろう。
 何という悪運の強い連中なのだ。本来ならば、親子共々あの世に行っているはずの尚順が生き残り、毒殺されかけたとか、島流しにされるとか言われていた元将軍義材が越中の地で偉そうに「旗揚げ」までするほど息巻いているとは。
 これから先、まだまだ続いて行くであろう尚順との争いを思うと、義豊は頭がくらくらした。これでは何も変わらないどころか、以前より悪いではないか。敵側の細川政元と裏取引をしたあくどい人物と揶揄される恥辱にも耐えてこの道を選んだというのに。挙げ句そこまでして手に入れた物すら失うことになったら……。
 裏取引のことなど、世間はもう覚えてはいないというのに。ここまで義豊を苛立たせたのは何か? そう、畠山尚順が「戦上手」であると感じたからだ。確か父の政長はただの政治家であったはず。先の大乱での上御料社の戦いで、政長が見るも無様な大敗を喫し、這々の体で逃げて行った話は何度も聞かされている。一方で、亡き父・義就のほうは惚れ惚れとするような立派な武人であった。
 その政長の息子などに、完膚なきまでにやられるとは。どうやら、息子は父親に似ず、多少軍略にも通じているようだ。益々以て、やりにくいではないか。しかも世間ではあちらのほうを、父の敵を討とうとする孝行息子と見るはず。それに引換え、こちらはなりふり構わず、敵側と密約を交わすようなあくどい人物だ。
 河内へ戻る道すがら、溜息ばかりの主の心中を、付き従う将兵たちは誰一人理解できなかった。