大内政弘イメージ画像
 さて、周防国では、新介が無事に帰国し、父の政弘が楽隠居を決め込みたいだの、そのために「多少は譲歩してでも」新介の婚礼を急がねばならない、などとそれぞれの思惑は動いていたものの、あれもこれも家族団欒の中での些細なことであり、全体的にはのんびりとした平穏な時間が過ぎていた。
 しかし、京の都ではそれどころではない大騒ぎが持ち上がっており、新介の帰国より少し遅れて、それらの便りは政弘の元にも次々と届いていた。
 新将軍・義遐とそれを操る細川政元。この両名が政弘にとって苦々しい相手であることは説明の必要もないだろう。そして、元将軍の義材は越中へと逃れて行ったのであるが、どうもこの一件は京の事情をまたしても大きく掻き回しているようだった。
 政元からしたら、義材など政治のことも分からぬ無能な輩、それこそ美濃の片田舎から出てきた穀潰しに過ぎなかった。そして、新たに別の穀潰し(歳が幼いだけに自らの意のままに操ることが出来ると言う点では利用価値のある穀潰し)を将軍の座に就けることに成功したのだから、これでよしという思いであった。義材などすでに「過去の人」という認識である。
 ところが、どうやらそうもいかなかったらしい。越中に落ち延びた義材の元には、北陸の大名たちから丁重な「ご挨拶」の使者が次々と送り込まれるなど、義遐や政元からしたら不愉快なことになっていた。そして、何やら義材は未だに将軍職を諦めてはおらぬ様子。このまま、周辺の大名たちが義材の元に集うようになっては甚だ面倒である。
 そこで、明応二年九月、政元は腹心らを動かして越中に攻め入り、この気になる厄介ごとの芽を摘み取ってしまおうと考えた。ところが、これが思いもかけぬ負け戦となってしまったのである。逆に、勝利に気をよくした義材のほうは、義遐と政元を倒し、自らが将軍の座に帰り着くために「旗揚げ」することを宣言し、各国の守護達に協力を呼び掛けた。
 政元主従(いや義遐主従であった……)のこの体たらくに京は大騒ぎになった。「どうやら義材が国中の守護達を味方につけ、九州の大名たちを率いて京に攻め上るらしい」だとか、酷いのになると、「畠山政長はじつは生きていて、今は伊賀国に身を隠しているだけなのである。恨み骨髄に徹する政長はその宿敵である細川政元、畠山基家を許すはずがないであろう」などと言う怪しげな噂が流れた。
 実際、これらの噂が事実無根であることは政元本人が一番よく知っていた。政長の死は何度も信頼できる腹心に確認させたし、義材が越中にいることも間違いない。当然の如く、越中にも間者を放って目を光らせているから、何か大きな動きがあれば、政元の耳に届かぬはずはないのだ。少なくとも、九州どころか、例の大内政弘のところとて、協力を取り付けてはいないはずである。だいたい、九州の連中とて味方しても特に旨味がない廃立された将軍などのために攻め上ってなど来るはずがないではないか。
 ところが、「噂」というのは本当に厄介なのである。まことしやかに囁かれるこれらの話に恐怖を感じた公家や寺社の連中などは、密かに義材の元へ遣いを送り、「協力する」旨をちらつかせつつ、付け届けを始めた。もしも、また京で大乱にでもなって巻き込まれたら、なんとか見逃して欲しいとの思いである。そして、噂の中身から見ると、どうも義遐と政元につくより、義材についたほうが良いような気がしたからであった。
 噂話で人心を攪乱するというのも、立派な「策略」の一つである。根も葉もないことゆえ、放置しておくに限る。実際にそれに見合うだけの実力がなければ、事実無根の噂などすぐに過ぎ去っていく。そう達観している政元とは違い、まだ十代の子供である将軍のほうは、これらによって恐怖に陥れられた。
 そこで、朝廷宛に義材に与すると表明している裏切り者の公家や僧侶たちの「討伐」許可を申し出たほどだった。疑心暗鬼になって取り乱している幼い将軍とそれに振り回されている「大悪人」細川政元の無様な姿を思い浮かべ、政弘は快感を覚えた。
 しかし、共に届けられた「将軍」義材直筆の檄文のほうは、あまり関心が湧かなかった。これが、細川家の監視の目を掻い潜って無事に周防にまで届いている所からしても、義材の一派は、すでにそれなりの「勢力」となっていることは認められる。
 だが、やっと京から帰国したばかりだと言うのに、またも兵を動かす気にはなれなかった。将軍、しかも、「元」将軍のためにそれこそ「見返り」が得られるかどうかも分からない戦に付き合わされるのは迷惑なのだ。もはや、義材の父・義視にも十分な義理は尽くしたし、この上これ以上の協力は不要であろう。
 先の将軍親征と違って、此度の「要請」は賭けである。見事戦に勝利し、義材の復職が叶えばこれらの投資は無駄ではなかった、ということになる。だが、もしも、敗北するようなことになれば、ただの人である義材に味方した挙句、幕府と現将軍の恨みを買い、下手をすると全てを失うことになるのだ。
(まあ、直ぐに返答することもあるまい。まこと義材様にそれほどのご器量がおありなら、共に『大悪人』の息の根を止めるのも悪くはないが)
 政弘は義材からの書状をそっと文箱にしまいこんだ。いずれにしても、これはもう己の仕事ではない。さて、我が息子はこれをどう処理するであろう? そして、この身がそれを見届けることは叶うのであろうか。