大内義興イメージ画像
 明応二年(1493年)四月二十日。堺に陣を置いていた赤松政則は細川政元の姉を継室に迎えた。両家の縁組みの話は既に伝え聞いていた新介であったが、武護が「頼れ」と言っていた人物が「大悪人」細川家の姻戚となってしまうのはやはり気掛かりであった。
 しかも、この縁組みは色々な意味で世間の笑いものとなった。政則の妻女となったこの政元の姉は、器量が悪いことで有名な人物であり、そのせいで嫁入り先が見付からなかったのか、寺に入って尼となっていた。それを、政元が無理矢理に還俗させ、政則に押しつけたのであった。年齢も三十をかなり超えており、本来ならばこんな好条件の嫁入り先など望めないはずである。
 確かに、たとえ女人であれ、その人の価値は容姿などでは決められないものだ。また、嫁に行くのに年齢なども関係はないだろう。お人好しの新介はそう考えるが、世間一般的には、器量も気立ても良く、家柄も釣り合う娘を妻にしたいと思うのが人情であろう。三十路を過ぎた不器量な女を無理矢理、娶らされるくらいなら、年若く器量のよい娘を妾に迎える方がずっとマシと考える。それが、その辺のそこそこ身分のある男達の考えというもの。そこはもう、お愉しみのためだけであるから、家柄などはどうでもいいのである。
 つまり、これは明らかに分かり易すぎる「政略結婚」であった。京の都には早速「天人と思ひし人は鬼瓦 堺の浦に天下るかな」という落首が貼られたという。
 新介は母の今小路が言っていた自分と細川家の間にも縁組みの話があった、という言葉を思い出していた。断らなかったらこの「鬼瓦」を娶らされたのは自分であったのかと思うと背筋が凍る。いや、幾ら何でも歳が離れすぎているから、そんなことはないはず。そもそも、父と同世代の細川政元の姉を娶ることはないであろうから、誰か親戚の娘であろう。政元自身には実子がないそうだ。
 そう言えば、縁組みの話が出来ているという、内藤弘矩の娘というのはどんな女人なのであろうか? そこで、何故か新介は例の一の坂川で蛍見物をしたときの町娘を思い出した。相手があんな美女であったなら……。父の政弘の趣味から言って、絶対に「鬼瓦」のような娘を押しつけるはずはないから、きっとそれなりの器量好しなのではないか、そんなことをあれこれ考えて、恥ずかしさに一人顔を赤らめた。
 新介は嫁入り間近の妹・珠を思い出す。女は唯一一人の妻だけを愛する殿方に憧れるが、実際には皆お家のために子孫を残すため、何人もの側室を持つのだという。女達はそれを辛いと思いつつも耐えねばならない。もしも、内藤の娘とやらの婚儀が既に整っているのであれば仕方がないが、そうでないのなら、この縁組みは取り消してもらおう。
 あの内藤弘矩、どうも好きになれない。妻は一人で十分だ。ならば、舅はあの男でないほうが良い。しかし、父上は京の公家たちの娘を物色しているとか。あの白塗りの葉室光忠を思い出し、新介はまたも背筋が凍り付く。あんなのを舅殿と呼ばされるくらいなら、内藤家の娘、いや舅のほうがまだましだ。
 暇な陣中で一人ぼんやりしているとどうでも良いことばかり考えてしまう。将軍様はすでに、畠山基家の本拠地・高屋城を囲んでいるとか。城の陥落は時間の問題であるし、このまま行けば、結局何の手柄も立てられないまま帰国することになってしまう。
 鶴の言っていた「不吉なこと」など何もなかったではないか。新介は欺された気分であった。このまま帰国したら父の政弘からどれだけ叱られることか。
(お前のせいだ……)
 そう言ってやりたいが、武護本人はどこへ行ったのか、行方をくらませたままである。新介は仕方なく、彼の残した書き付けを取り出した。
 ここに書いてある「予言」通りだと、
失せ物――用済めば無事戻る
争事――必ず敗れる
商売――相手の意に従え
縁談――必ずや意に沿う
と、続くのであるが。
(失せ物……)
 ここは陣中である。貴重品など何もないではないか。そもそも、何もかもが武護の予言通りに進むなど誰が決めたのだ? 確かに鶴は賢い。だが、神仙ではないのだから、偉そうにご神託を述べるような身分ではあるまいに。
(縁談が必ず意に沿う、などと)
 鬼瓦を娶らされた赤松政則のことを言っているのでないことは明らか。ならば、新介自身の縁談についてなのだろうか。 (ふざけた奴め)
 新介は赤松政則の祝言を祝うために心ばかりの品を陣中に届けさせた後、早めに横になった。どうせやることもないとはいえ、「大悪人」の姉が嫁いでくる祝言に自ら祝いに赴く気はしなかった。静かで、常と変わらぬ平穏無事な夜であった。
 さて、赤松政則に嫁いだこの不細工な年増女は、その後女人の身ながら歴史の表舞台に立ち、名実ともに大国の主となった後の新介こと義興とも関わりを持つことになるのだが、それはまだまだだいぶ先の話である。