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 近臣達が尽きない悩みに押し潰されかけていた頃、新介の部屋には妹の珠が訪れていた。
「兄上、どうなさったの? 皆が心配して。このまま陶のお兄様が戻らなかったら、兄上がおかしくなってしまうんじゃないか、って」
 昏々と眠り続ける新介の顔を見つめながら、珠の両の目から涙の滴が落ちる。
 ちょうど唇の上に落ちてきたその涙の滴を、新介の舌がちょろっとなめた。
「え?」
 珠は不思議そうに目をこすった。
「人の涙というのは塩辛い、というのは本当だな」
 そう言って、新介ががばっと跳ね起きる。
 珠は驚いて腰を抜かしていた。
「嘘!? ご病気なのでは?」
 新介はそっと珠の唇に指を当てて、静かに、と合図した。それから、珠の耳元で何か囁く。珠の顔は最初ぱっと明るくなったが、その後また一瞬暗く沈んだ後、最後は怒りだした。
「欺したのですね! 兄上の身に何かあったらと思って、私も母上も、死ぬほど心配したのに。嘘つき!」
「静かにしろ、と言っているではないか。これは、陶の兄上からの指示だと言ったろう?」
 二人は声をひそめた。
「指示ってどういうこと? だいたい、陶の兄上はどこに行かれたのです? どうして何日も戻って来ないの?」
「それは……多分、何かをしているのではないかと思う。我らのために」  新介はそう言って、懐中から書き付けを出して珠に見せた。
「何です、これ? おみくじみたい」
 新介はその書き付けの由来を珠に話して聞かせた。それは、彼がまだ「寝込む」前の出来事だった。

(鶴のやつ、一体どこへ行ったのだ……こんなに大変なときに行方をくらますなど。馬鹿らしい戦に行きたくはないから逃げたのか? 逃げるなら共に逃げたかった。どうして亀を一人だけにするのだ?
 鶴が消えたことと、何やら知れぬ『不吉』なこととは関係があるのか? もしも、この戦が本当に『不吉』なものならば、皆を巻き込むわけにはいかない。でも、あれらの近臣には何をきいても無駄だ。何も分らずにあたふたしているだけではないか。こういうときに、一番頼りになるのが鶴なのだ。それなのに……)
 あれこれ考えながら、ぼんやりと武護の部屋の中を見回していた新介はおや? と思った。最初はその理由が分らなかったが、暫く考えてやっと腑に落ちた。
 ついこないだまで、部屋の主と共にあったはずの物がなくなっていたのである。
(叔父上の形見の武具がない……)
 初陣にあたっては、父の弘護が残した武具一式を、と。国を出るとき、武護はあれらを身につけていた。だが、京に着いてからは、物見遊山くらいしかなかったから、あれら一式は部屋の片隅に置き去りだった。しかし、武護がつねにそれらの手入れをしていたことは、新介も何度か目にしている。
 ここを出て行った時は手ぶらであったのかどうか、誰もそのことを口にはしなかった。だが、あれらを運び出したとしたら、荷物が多くなって目立つはず。少なくとも手ぶらのはずはない。
 だとしたら、これはあらかじめ外に運び出されていたと考えるのが普通だ。
 戦が嫌になり逃げ出した者には不要の品のはずだが、これは亡き父の遺品でもあるのだから、持って行ったからといってどこかで参軍する予定ということにはならない。しかし、少なくとも、この「出奔」が計画的なものであり、準備周到に決行されたことの証にはなる。
 恐らく先にこれらの品物を密かにどこかに運び出させておき、それから本人も出て行ったのだ。だが、それならば、誰か外部に手助けしてくれる者がいなくてはならない(金さえ積めば、誰でもそのくらい手伝ってくれる、などということは新介には分らない)。
(やはり京おんなか……)
 新介は何やら裏切られた気分になった。
 先に女の元に荷物を預け、それからいそいそとその思い人の元へ。こうやってとんずらして、もう二度と面倒で馬鹿らしい戦などからは手を引こうというのだ。
 考えれば考えるほど腹が立つ。
 と、そのとき文机の上に置かれた書状に気が付いた。