陶武護イメージ画像
 明応元年も暮れようという時節。年が明ければ将軍様の二度目の親征が始まる。漸く新介も実戦に向かうこととなる。
(腕が鳴ると言いたいところだが……鶴の言っていた『不吉な予感』とやらも気になるし、どうしたものか?)
 このところ、武護が大人しく宿舎にいることが多くなったので、新介は機嫌が良い。当然ながら、戦場においても常に傍らにあって、助けてくれねばならない。あれらの近臣たちは口うるさいだけで、ちっとも頼りにならないからだ。
「何が百戦錬磨の強者だ。叔父上亡き後、そのような猛将は当家におらぬのではないかな?」
 新介はまたぶつぶつ言っている。武護はそれを聞いても笑うだけだ。亡父弘護の名前を出せば常ならばすぐにも反応するはずなのに。
「どうした? 京おんなに振られたか?」
「はぁ?」
 武護がむっとした顔で見返した。
「何です? その京おんなというのは」
「最近あまり外へ出なくなったではないか。嬉しいのだが……その、好いた女子に振られて行くあてがなくなったのだとしたら気の毒だからな」 「外へ出ぬのは、用がないからですよ」
「つまりこれまでは用事があった、という事であろう?」
「ですから、その『用事』というのは、京おんなとは関係ありませんよ」
 珍しく機嫌が悪い鶴に亀はまたしゅんとなった。友に嫌われるのだけが何よりも怖いのだ。武護はなおも続ける。
「新介様がつまらぬ京おんなの話など吹聴するから、私があれらの近臣どもに叱られるのです。いい迷惑ですよ」
「叱られた?」
「そうです。『これ以上悪い遊びを続けるのであれば、若子様にも影響するので、今すぐ国許へ帰れ』と言われました」
 例によって、近臣たちの口真似をする。いつもと同じく、本人たちそっくりだったのだが、新介は笑う気になれなかった。すぐにも立ち上がって、年寄りたちに文句をつけに行く勢いである。 「まあ、落ち着いて下さい。私は気にしていませんから」
 武護が新介をその場に座らせる。
「杉や問田も悪いが、鶴も悪い」
「何ですと? 私は被害者ですが」
「我は京おんなの話を吹聴したりはしておらぬ。そういう噂を聞きはしたが、仮に『本当に』その現場を目にしたとしても、あんな連中に告げ口などせぬ」
 口を尖らせる新介を見て、武護はふっと笑みを漏らした。 「変わりませんね」
「ん?」
「何よりも鶴のことが大事、そうですか?」
「そうだ」
 気のせいか武護の顔に苦悶の表情が浮かんでいる。新介にはそう見えた。
 時々、共に傍らにいても武護の心はここにはない、そう感じることがあった。最近、特にその思いが強くなった。それが、巷のつまらぬ噂のような女絡みでないことは、この世で一番、新介がよく知っている。そう信じていた。
「また亡くなった叔父上のことを考えているのか?」
「もう十年も経つのですよ。いくら何でも、いつまでもそのことばかりにこだわっていたら、先へ進めぬではないですか。今や誰一人、陶弘護の名前すら口にしはしません。既に『過去の事』なのですよ」
「嘘だ」
 新介は真剣な眼差しで武護の顔を、その両の眼を食い入るように見つめた。
「十年経とうと二十年経とうと、そなたは絶対に忘れない。他の誰が忘れてしまっても、鶴だけは忘れない。我も同じだ。一日たりとも叔父上のことを忘れた日はない。息子である鶴なら、なおさらのはず。もしも、父上が何者かに命を奪われるようなことがあれば、我とても絶対にそのことを忘れるものか。
 叔父上は天寿を全うされたわけではない。まだまだお若かったし、父上にとっても、お家にとっても必要なお方であったのだ。誰が悔しく思わぬものか。もし、何も感じない者がいたとしたら、その者こそ叔父上を死なせた罪人に違いない」
「……」