陶武護イメージ画像
 新介は暫くの間、積もり積もった愚痴を吐き出した後、眠くなった、と言い残して出て行った。
 一人になった武護は、先ずは例の「名簿」を取り出して、新たに斯波と畠山の名前を消した。それから、例の有り難くない籤を集め、一つを残してすべて燃やした。
 一つ残ったのは外ならぬ、『仙鶴、高枝に立つ 他の暗箭の虧くを防げ 井畔の剛刀利く 戸内更に危きを防げ』であった。
 神々しくも尊い丹頂は、高い枝の上にいるため、その美しさを妬む者によって密かに矢傷を負わされる恐れがある。井畔ならぬ殿中には鋭利な刃物を持った刺客が待ち構えており、仙鶴はその命を奪われてしまった。
(解釈は坊主に聞けだと? ふん。聞くまでもなく、これは父上の身に起こったことそのままではないか。同じ卦が俺にも? 『出る杭は打たれる』と)
 武護はなおも懐中に手を差し入れると、掌ほどの小さな布袋を取り出した。あの日、初めての逢い引きをして別れた後、内藤弘矩の娘とは会っていない。だが、山口を発つという日の朝、花がこれを届けてくれたのだった。
――お嬢様がこれを若様にお渡しするようにと仰って。ご自分でお作りになったのです。道中ご無事で、立派にお勤めを果たされますように、と  受け取った文全てに焚きしめられていたのと同じ香りがほのかに漂う。女達が好む匂い袋というものであろうか。そこに守り札を縫い込んだ手製の「お守り」だった。
「町娘か……」
 ふん。あのぼんやりした娘、待っていればそのまま新介の妻におさまるのではないか。

 出陣の日、主君の政弘が自分を前にした時に見せた一種恐怖にも似たような表情。皆が父に生き写しだと言うこの容姿が、主をあれほどまでに驚愕させたのだ。心にやましいことがなければ、なぜあそこまで驚く必要があるというのだ? 
 恐らくは、新介と内藤家との縁組みにも裏があるはずだ。吉見、内藤、そして政弘の三人が申し合わせて父を殺し、更に内藤は「口封じ」の為に吉見を殺した。政弘としたら内藤をも消してしまいたいところであろうが、元は仲間であった一人を手にかけたくらいだから、全ての秘密を墓場まで持って行くと誓いでも立てたのであろう。だが、なおも信用できない政弘は内藤家と姻戚となり、更にその関係を深めるつもりなのだ。
 外出が不自由なお嬢様にかわり、防府まで追って来た花の姿を思い出すと、武護の胸はやや痛んだ。しかし、父を殺された恨みはそのくらいで上書きされるほど簡単なものではないのだ。
 そもそも、内藤弘矩という男の忠義とやらはどれほどのものなのか? もしも、信用しているのなら、あんな行き遅れの娘を大切な新介の妻になどするはずがない。恐らくは、全幅の信頼を置いているわけではないと見た。
 内藤をこちら側に付けることが叶えば、それぞれ周防と長門を治める守護代が手を組み、主を追い落とすこともできるのではないか。政弘など九州へでも追いやってしまえば良いのだ。傍流とはいえ陶家は同じ多々良姓の同族一門である。かつて、大内弘世らが、鷲津家から惣領家の地位を奪ったのと同じように、我らが一門を乗っ取ってもかまわないのだ。しかし……。
 ここまで思い至るたびに、武護の目の前には、幼い鶴寿丸と亀童丸の姿が浮かぶのであった。もしも、自ら手を下し、父の仇を討つことになったなら、そして見事本懐を遂げることができたのなら……今度は、新介が親の仇とこの身を付け狙うことになる。この負の連鎖は子々孫々へと受け継がれ、果てることなく永遠に続いて行くのだ。
 それまで、ぼんやりとしか見えなかったことがはっきりと見えてきた気がする。あの日、三本松の上に光が見えた意味、それはほかならぬ陶の家にこそ、一族を率いて行く資格があるという暗示では? だが……。
(亀のことは一体どうすれば? 今にして思えばあれは『凶星』だったのだ。だから益田の伯父は他言無用、と。恐らく、『凶星』は……俺自身、大内家にとってはこの陶武護という存在そのものが不吉の元凶なのだ)