大内義興イメージ画像
 新介が武護の部屋を訪れると、例によってもぬけの殻であった。一体どこで何をしているのか? 中を見て回ったが、手掛かりになるようなものは何もなかった。実は、女たちの元でつまらぬ噂話に興じているうちに、思い出したことがあったのだ。
 天満宮で見かけた人影、あれは蛍見物の日に見かけた「町娘」の連れであったような。武護はあの娘にちょっかいを出していたくらいだから、たとえ相手が町娘の使用人であったとしても、その後付き合いが続いている可能性はある。もしかしたら、「見送り」にでも来ていたのかもしれない。
 噂話の通り、ここ、京でもそのようにして、どこぞの「町娘」と遊び歩いているのだとしたら問題だ。武護は新介同様、「町娘」を娶ることは出来ない。だとしたら、その女たちは所謂「一時の慰み者」になってしまう。それは、男として最低の事である。母と妹の元で様々な話を聞くうち、新介はそう考え、これまでに、館の女房達の付文をいい加減に処理して笑いものにしてきたことも、許しがたいことだと思うようになった。
 まあ、あれらの女たちは相手の側にも「遊び心」があって、元々陶家の嫁になれるなどとは思っていなかったようだから、そんなことであれこれと友を咎めるべきではないのだ、と母は言ったのだが。しかし嫁入り前の妹は酷く動揺してしまった。京の人は風流に長けていると聞く。自分の夫となる相手が、とうにそこらじゅうの女たちとそんな風な「遊び」をやっていたとしたら、悲しいではないか。
 珠はそういったあれこれについても、既にきちんと「講義」を受けていた。たとえ、夫君がそのような人物であったとしても、取り乱したり、まして非難するなど許されぬことである。そのような「嫉妬」は大家の娘にあるまじきことであり、実家の恥ともなる。会うまではその顔すら分からない相手の為に、女は既に操をたてねばならぬのだった。

 部屋の主がいないのに、その中で無為に時を過ごしていても空しいだけである。新介はそのまま出て行こうとした時、文机の上に何やら書付が置いてあるのに気が付いた。
「細川、武田、斯波、赤松……」と幕閣から始まって、先の六角討伐に参加した大名たちやら、将軍の元に集まっている公卿や奉行人などの名前が記されていた。それらの「名簿」、特に下位の者については、新介が聞いたこともない名前が多数ある。しかも、奇妙なのはせっかく書き留めたそれらの名前には傍線が引かれており、目立つところでは、細川と武田が黒々とした墨でその名を消されていた。見れば大半の者が消されている。これは一体何なのか?
 暫し考えてみたのだが、思いついたのは、例によって父の政弘が大量の「付け届け」の品を幕閣や将軍様の取り巻きに配って回っていることであった。それは、此度の親征に参軍した守護達の元にも及んでおり、たいていが珍しい唐物の類であったが、金銭に換算すればどれほどになるのか見当もつかない。父の「根回し」のお陰で、例の葉室光忠からも優遇を受け、お陰で将軍様の元にも既に何回か「お呼び」があった。
 父の涙ぐましいまでのこの「努力」に、新介は有難いと同時に何やらやり過ぎではないのかという不信感も抱いていた。何もかもが、息子が在京での日々を気持ちよく送れるようにとの思いから来ていると考えれば嬉しくもあるが、こうした「袖の下」は受け取る側にも送る側にも同様に金銭に汚い、というイメージを拭い去れない新介であった。
 しかし、例外もあって、政弘が「付け届け」もせずに、無視したのが武護に名前を消されていた細川・武田両家であった。無論、武護のこの名簿と政弘の付け届けとの間に何らかの関係があるのかは分からない。しかし、現状、関係が「険悪」なのはこの両家であった。