娘を若子様に嫁がせるように、と言われ、最初は戸惑いつつもやがてはこれが「旨い話」なのではないかと考えて帰宅した内藤弘矩。しかし、細君に怒鳴りつけられると、またその覚悟は揺らぎ、やはり辞退しようと思うようになった。無論、娘にはまだ何も話してはいない。
 しかし、主の持ち出した縁談を断るとなると、やはりなにがしかのお叱りを受けるであろうし、悪くすると機嫌を損ねた主から左遷などの憂き目に遭わぬとも限らない。まさか、命まで奪われるとは思わないが。
 そんなこんなで、優柔不断なまま、積極的に準備を進めるでもなく、かといって断る事も出来ないでいた。
 ところが、そうこうしているうちに、主のほうからまた話があった。
「例の話だがな……」
 弘矩は生きた心地もしなかったが、政弘は上機嫌で続ける。例によって、既にかなり酔いが回っていた。昼間、新介に「御酒を召される機会が多い」などと言われ気分を良くしていたのだ。何やら心底父親の身を案じているようで、妙に説得力があった。なかなかの孝行息子ではないか。そう思うと父親冥利に尽きる。
 更には、将軍親征にまともに付き合うのは馬鹿げている、という道理も既に悟っているようである。表向きそのような教育を施した覚えはないのだが。あれはややぼんやりで無駄に義理堅く見えて、実際には思った以上に「現実的」で賢い男だ。そんなことを思うと、ますますもって親馬鹿な思いが強くなり、孝行息子の心配をよそにまたも盃を口に運んでいた。
「せっかく我らが姻戚関係になれるという旨い話をしたというのに、幾ら待っても噂一つ耳に入って込ぬのだが。そなたまだ、身内や他の家臣らに話しておらぬのか?」
 そう、本来ならば、既に弘矩が偉そうに吹聴して回り、家中の者全てが知っていて、羨んだり妬んだりしているはず。だが、そんな話は一切政弘の耳に届いて来ない。
「その……じつは家内に怒鳴られまして。まずはそこから……と。お許しを。けっして若子様とのご婚儀を軽んじているわけではありませぬ。その、恥ずかしながら、細君の尻に敷かれておりまして……」
 酒の勢いもあってか、政弘は呵呵と笑った。
「なるほど。歴戦の宿将も妻女には頭が上がらぬか」
「……はあ」
 弘矩は主に勧められるままに酒を飲み、さてどうやって切り出そうか、それともやはり妻を説得し娘にも打ち明けるか、と思っていると、政弘が更に続ける。
「そなたが細君の尻に敷かれて、話を大ごとにしなかったのは却って幸いであった。実はな、あの話、ひとまず置いておこうと思うのだ」
「え?」
 まさか、自分の煮えきれぬ態度で先方から破談にされるとは。ますますもって娘が哀れであるし、下手をするとこのまま行かず後家となることも……。
「何、安心しろ。ことは既に『決まっておる』。新介にもとうに話した」
「……とうに話した……」
 弘矩はオウム返しにそう繰り返した。「ひとまず置いておく話」を既に若子様の耳に入れてしまっているとは。
「そうだ。そなたと話をまとめた後すぐに話したぞ。だが、『取り敢えず先送りにしてある話』だと伝えた」
「先送り、ですか」
 意味が分らない。娘は行き先は決められているのに、嫁入ることが出来ない状態で放置されるということか。ますます、歳をとってしまうではないか。
「ああ、実はな、義材様が将軍になられてより、急に縁組みの話が来るようになってな」
 そういうことか。つまり、娘はそれらの公家たちの誰かから正妻が来た「後に」嫁いりさせられるということだ。しかし、若子様にはすぐに話し、しかもその時すでに「先送りにしてある話」などと言ったところからして、こちらは最初から「保険」として、もしも誰も見付からなかった時のために操を立てて待っていろと命令されたようなものではないか。