長享二年(1488年)。亀童丸は将軍足利義尚に拝謁するため、京に上った。
 彼はこの年までずっと周防の国で育ったが、実は京は初めてではない。亀童丸は父政弘の在京中に生まれているからである。だが、出生後ほどなくして父が帰国したから、まだ赤子だった亀童丸に京の記憶というものはない。
 領国の山口がいくら京の都を模して造られたのだとしても、やはりそれは借り物に過ぎない。この目で見る、本物の京の風情はまた格別なものであるはずだった。しかし、悲しいかな、先の戦乱により焼け野原となったから、今となってはかつての面影はない。

 京に着いた亀童丸一行は、なおも将軍様にお会いするため、近江の国鈎まで向かわねばならなかった。将軍様は未だ帰京せず、鈎の陣におられたからだ。
「陣所」と呼ばれているからといって、陣幕が張られているだけの、風雨にさらされている場所などを想像してはいけない。義尚は京から多くの公家やら幕閣を引き連れて来ており、むしろ京の御所のほうが閑散としていて、実情こちらが「幕府」として機能していた。無論、将軍様らはともかくとして、駆り出された下っ端の兵士らはそれこそ雨ざらしである。既に数ヶ月に及ぶ逗留で、皆疲れ果てていた。

 義尚は、かつて父政弘が敵対していた将軍義政と正室・日野富子との間に生まれた嫡子である。この時まだ二十三歳。しかし、周防の「田舎」から出てきた十二の少年から見たら、将軍様はまさに雲の上の人である。
「大内政弘が一子、次郎と申します」
「うむ。苦しゅうない、近う寄れ」
 緊張して身を固くしていた亀童丸であったが、将軍様のお言葉を聞きそれに従わぬ訳にもいかぬから、畏まったまま、やや前に出て再び平伏した。
「面を上げよ」
 恐る恐る顔をあげると、雲の上の人ならぬ、眉目秀麗な若者の眼が自分を見下ろして微笑んでいた。将軍様とて人の子なのである。
 義尚は「緑髪将軍」と称されたほどの美男子であった。その容姿端麗なこと、「御容顔いとも美しく、すきのない玉の御姿」などと褒めそやされている。亀童丸にとって、美男と言えば亡き叔父・弘護がその代名詞であったが、こちらは「将軍様」。如何に弘護が山口館の女房達全てを虜にするほどの美丈夫でも、やはりこの将軍様には敵わないであろう……。亀童丸は頭がくらくらし、胸がかーーと熱くなるのを覚えた。
(鶴のやつ、『鬼』などと脅して……)
 亀童丸は恥ずかしさに頬を赤らめながら、密かに武護の「悪戯」を呪った。
 将軍様は自らの容姿端麗なことがそこらの田舎者を卒倒させるくらいもう慣れっこだから、気にも留めてはいないらしい。
 一方の亀童丸は「おこもり」のあの日を思い出し、必死に自らを落ち着かせた。
(亀童丸、お前は『世継ぎたる若子』だ。公方様の前で粗相のないよう、しっかりと勤めるのだ。さもないと、お家の恥となろう)
「周防介の一族は代々、武勇に優れたる家柄。そなたもその武を以って幕府を支えて欲しい。期待しておるぞ」
「はい。ご期待に添えますよう、忠節を尽くしまする」
 社交辞令のお言葉には礼儀正しく追従すること。傅役からしつこく言い聞かされていた通り、お言葉にはいちいち明瞭に応じる。 「しかし、想像していたよりずっと愛らしいではないか。長ずれば、涼やかなる美丈夫となるは必定と見ゆるが……」
「……」
 これにも「はい」と答えて良いものか。亀童丸は一瞬、黙した。
 こんな美男の将軍様に「長すれば美丈夫に」などと言われ、またも恥ずかしさに胸が熱くなる。
 しかし、将軍様からこれ以上のお言葉はなかった。亀童丸はこの将軍義尚様から「義」の字を拝領し、「義興」となるのであった。まだ十幾つで何の功績もない外様の守護職の子が将軍様から諱を頂戴するのは破格の待遇である。その裏には、父政弘の涙ぐましい裏工作があったことなど亀童丸は知る由もなかった。

 京へ戻る前に、亀童丸は参軍中の問田弘胤の元を訪れ、父政弘から預かってきた慰労の品々を届けた。
「これは若子様、遙々このようなところまでおいで下さるとは……」
 畏まる弘胤に優しく手を差し伸べる亀童丸。これまた、延々と系図を辿らねば正確な縁戚関係は不明だが、元は同じ多々良姓の身内。何と呼べばいいのか分らないが、親戚筋であり、年齢的には目上でもあるのだ。
「いつまでもこんな所に留まって、一体何をしておいでなので? 観音寺の城はとうに落ちたと聞いておりますが」
 武護が尋ねた。
「賊徒が甲賀の山中に隠れ潜んでおりましてな。御所様はどうでも探し出して成敗せねば気が済まぬようでして……」
 賊徒というのは六角行高のことであろう。城を捨てて逃げた時点で放置すればそれまでだったものを。甲賀と言ったら忍びの里である。隠れ潜むのにこれ以上相応しい場所はないような。
武護はつまらぬ戦場に釘付けにされている問田弘胤に深く同情したのであった……。

 幼い亀童丸の胸をときめかせた華のような将軍様であったが、実はこの時、既に病に蝕まれていた。長く続いた戦乱の中で幼くして将軍の座に就かされ、父や母との確執の末、漸くすべてを我がものとした彼が、大軍を率いて京を離れた時の颯爽とした美しさは、この時既に見る影もなかったのである。まさに「灯滅せんとして光を増す」であったのか。
 幕閣たちは、膠着した戦線から何とか将軍様を引きはがして京に戻そうと進言し続けた。だが、この戦に持てる力の全てをつぎ込んでいる義尚は、六角行高の首を目にしない限りは決して諦めない。当然、京を出た時と同じように華々しく凱旋し、文弱な父義政と自分とは違う事、母富子に溺愛されてその財力を背景に将軍の座に就いたのではないことを証明しなくてはならない。そして、応仁の乱で幕府の無力さが露呈されたという聞くに堪えない噂話を己が力でねじ伏せること、これら諸々が彼の願いのありったけであったのだ。頑なに病身を押してその場に居座り続けた義尚だったが、それら全ては見果てぬ夢に終わることになる。