汝や知る都は野辺の夕雲雀 あがるを見ても落ちる涙は

 この歌は、阿波の守護・細川成之に仕えた飯尾常房(彦六左衛門)なる人物が、応仁の乱で焼け野原となった京の都を憂えて詠んだものとされ、『応仁記』に記されている。

 十年も続いた応仁の乱によって、万年に渡り繁栄すると思われていた花の都は焼け野原と化してしまった。現在の京都は国内外の観光客が訪れ「千年の都」として名高い古都であるが、実は千年もの長きに渡り脈々と受け継がれている建築物というのは意外に少ないそうである。それはなぜか。そう、この戦乱によって「焼けてしまった」からである。

 洛中の神社仏閣、公家たちの館など多くの建物が焼失した。寺社の再建というのはそう簡単な事ではない。そのための資金を集めることからしてまず大変だ。我々が現在目にすることが出来る建造物は「その大半が豊臣氏や徳川氏によって再建されたもの」なのだそうである。

 辛うじて焼け残ったのは、御所と将軍の居所くらいなもの。住処を失った公家達などは都落ちして地方へと逃れていき、人っ子一人いなくなった街では追剥や強盗の類も横行し、治安も悪くなったことであろう。

 戦乱終結から十余年。さすがに瓦礫の山ではなくなったとはいえ、今はまだ、往時の姿を偲ぶべくもないはず。

 そんなことは露知らず、京への旅に心躍らせる者がいた。周防の守護大内政弘の嫡子・亀童丸である。

「おこもり」行事を済ませた後、亀童丸は「次郎」と呼ばれていた。文字通り、政弘の次男であったからである。一方、弟の三郎は幼い身空で出家させられ、興隆寺に入った。

 何かと将軍家の真似をしたがる父・政弘は幕府に対して「隠居」を申し出たが許されず、なおも当主として忙しい日々を送っている。彼が将軍・義政に憧れていたのかどうかは分からぬが、京から逃れてきた公家や文化人で山口を目指した者は少なくなかったから、それらの者達と共に夜ごと公家のような宴会を開き、連歌だ茶の湯だと愉しみに浸っていた。そして、家督相続の争いを避けて世継ぎ以外すべてを僧籍に入れる将軍家同様、亀童丸以外の息子は皆僧籍に入れてしまったのだ。

 兄弟が皆己が傍を離れてしまい、独りぼっちとなった亀童丸にとって、今も傍近く仕える陶武護は文字通り唯一の心置きなく共に過ごせる相手となっていた。

 そんな亀童丸に、政弘は将軍様へのご拝謁を命じたのである。将軍様は京におられる。つまり、拝謁するには「上洛」せねばならぬのだ。

 おこもりを終え、家臣と領民に「世継ぎ」としての身分を明らかにした後は、将軍様にご挨拶を済ませ、今度は国の内外に正式にその立場を認めさせる。そのような順序である。

 だがここで大きな問題があった。長享元年(1487年)より将軍・義尚は近江の守護・六角行高を討伐するため、自ら出陣し、京を離れていた(長享の乱)。つまり、上洛し御所を訪れたとしても、将軍様とは面会できぬかも知れないのである。

 まるでやる気のなかった前将軍・義政と違い、現将軍は、若さと尚武の気質が相まってやる気に満ち満ちている。不届き者を成敗せんと、大軍を率いて近江に向かい、華々しい大勝利で六角家の居城・観音寺城を落とした。本来ならば、ここで戦は終わりのはずが、将軍様はどういうわけか、城を捨てて逃げ出した六角行高を捕らえることに執着し、未だに帰京なさらない。

 一日も早く亀童丸を元服させたいと望む政弘は、とうとうしびれを切らせてしまったようだ。

 そこで、遣明船が持ち帰った珍しい品々を持たせ、「陣中見舞い」として亀童丸を強引に上洛させることにした。運が良ければ、京に着く頃には、戦はとうに終わり、将軍様は御所に戻っておられるかもしれない。

 そもそも、将軍親征ともなれば、当然のごとく主立った大名達は皆駆り出される。政弘の元にも出兵要請が来ていた。だが、「病」と称してやんわりと断り、名代として、同族一門である石見の守護代・問田弘胤を派遣してごまかした。山名政豊、一色義直 、土岐成頼ら元「西軍」の大名は皆同じような具合で、やはり自ら従軍することを避けていた。彼らの場合は、それぞれ名代として「嫡男」を派遣していたのだが。

 出兵には金も人もかかる。しかも、行き先が戦場である以上、万が一のことがないとも限らない。将軍様にはやる気があっても、駆り出される側としては迷惑という以外の何物でもない。誰一人、やる気などあろうはずはなかった。

 亀童丸は幼すぎ、元服もすませていなかったため、政弘は山名家らのように、「嫡男」を名代として送り込むことが出来なかった。そのかわりを務めてくれている問田弘胤の元へ、文字通り陣中見舞いに行かせてやるのも良いだろう。

 聡明とは言え、まだやっと十二歳。世間知らずな若様育ちで、館の外のことは何も知らない亀童丸。傅役から何度も何度も式次第についての講義を受け、もうそれを諳んじてもいたのだが、やはり不安でならない。

「公方様とはどんな恐ろしいお人であろうなぁ?」

 大好きな瑠璃光寺の蓮池で、二人の童子はそんな話をしていた。

 ちょっぴり不安げな亀童丸に向かって、武護はまたへらへらと笑いながら言う。

「そうですね。御館様を顎で使うような連中の親玉ですから、さぞかし恐ろしい、鬼のようなお方では?」

「な、何を言うか。父上が『顎で使われている』などと」

 亀童丸はむっとした。

「でも、そうではありませんか。私は次郎様にお仕えし、次郎様はお父上に孝行し、お父上は将軍様に忠節を尽くす。世の中、そんな風になっておりますな」

 武護の言葉は常に至極もっともで、反論の余地はないのだが。たまにはもっと優しく気遣ってくれても良いのに、と思う。だから亀童丸は正直に胸の内を明かした。少しは「かまって」欲しいのだ。