――御館様にはご帰国なさるのなら今より他ないかと。この期を逃せばこの先どうなろうとも、国許のことは分りませぬ
 それが、伯父が見せてくれた父の書状の最後の一文であった。
 どうということもない一文であるが、逆に、見方を変えればどうにでも取れる一文でもあった。
「今ご帰国なさらぬのであれば、国許はこのまま、この陶弘護が頂戴致します」
 もしも、政弘がそのように「読んだ」としたら?
 無論、弘護はそんな愚か者ではない。もしも、本当にその気があったのならば、事は秘密裏に行われ、このようなあからさまな「挑発」をするはずがない。だが、「その気がない」臣下が書いたのだとしたら、この一文はあまりにも「不遜」であった。
 事実、主君の政弘は京でつまらぬ戦にかり出されており、国許は全て弘護一人の手で動かされていた。さらに、彼は人望厚く、見ての通り、この「不遜」な一言が添えられた書状に、留守居の重臣たちが平然と署名し判を連ねていた。
 運の悪いことに、伯父の言う通り結局のところ「負け戦」となって帰国した当主の政弘に比べ、国許で数々の功績を挙げた弘護は誰の目にも輝いて見えたはず。政弘にしたら、あまり気分の良いものではなかったはずだ。
 さらに、父が益田家と吉見家の領土争いの際に出した判決も、九州での戦の際に行った周防長門寺社領半済はんぜい令も、何もかもが政弘には不満であった。だから、帰国後、それらの判断はすべて覆され、そのことで主と父とは度々衝突していたのである。
 考えるのも恐ろしいことだが、吉見信頼の暴挙によって、弘護が横死したことで、政弘はせいせいしたかもしれない……。
 しかし、ならば弘護はどうすれば良かったのか? 何の役にも立たないでくの坊のふりをしていれば、主君の不興を買う事はなかったであろうが、それでは、十年もの長きの間国を留守にした主の代わりは務まらない。それこそ、道頓なり、少弐や大友なりに国が奪われていたかもしれないではないか。
 政弘もそのことは認めていた。だからこそ、感謝してもいた。だが、それと同時に主である自分をも凌ぐ功績を挙げた弘護を疎ましく感じ、邪魔だとも思ったのだ……。
「出る杭は打たれる」。今度は従兄の言葉が耳に響いた。臣下は決して有能過ぎてはいけない。かと言って、無能では取り立てられることもない。ここが宮仕えの難しい所なのだ。そこらの奉行人風情であれば、仕事ぶりが優秀で主のお褒めの言葉に預かった所で、せいぜい家宝の一つでも下賜され、良くすれば一つ上の役職でもあてがわれるだけであろう。いずれもささやかながら喜ばしいことだ。だが、権力の中枢にいる者においては、事はそう簡単ではないのである。
 もしかしたら主にとって代わることすら出来るかもしれないのと同時に、それを危険視した主によって排除される可能性もある、ということだ。
 だが、吉見信頼が父を殺害したことそのものまでを、政弘の差配だとは思いたくない。そもそも、父と吉見との間にはのっぴきならぬ諸々の事情があったわけであるし、たとえ、危険視したり、煙たく感じたとしても、まさか、手にかける必要はないであろう……。ただ、思いがけず、煙たいと思っていた人物がいなくなってくれたことで、主がほっと胸を撫で下ろした、という様が浮かぶのである。ひょっとしたら、吉見家の連中に密かに感謝していたかも知れない。だからこそ、石見への出兵はいい加減にすませたし、その後は平然とあれらの連中を取り立てているのだ。