大内政弘イメージ画像
 文明九(1477)年十二月、長く続いた京での争乱が漸く終結し、大内政弘は十余年ぶりに分国・周防に帰国した。

 上洛した時は二十一歳の若武者であった彼も、今は三十路を超えていた。目に見える景色、吹く風の匂い、故郷のそれは何もかもが温かく、そして懐かしい。

 出迎える留守居役の家臣たちにとっても、久方ぶりの主君との再会であった。見回す顔ぶれも、みな齢を重ねている。十年と言えば長い。あまりにも長く、そして不毛な争いであった。多くの忠臣を失い、結局戦には「負けた」。

 しかし、得たものもある。京から兵を引くことを条件に、官職は安堵され、敗北したにもかかわらず、失ったものは何もなかった。それだけではない。政弘は仙女のような佳人と、待望の世継ぎたる若子を伴っていたのだ。
 家臣たちは京より届けられる書状にて、主が継室を娶ったこと、そしてその間に待望の若君をもうけたことを知らされていた。しかし、新しい奥方は彼らの想像を遥かに超える美貌であり、まさに仙女というものがこの世に現れたらこんな姿なのかも知れないと思われた。
 仙女の腹から生まれ落ちた若君は、まだ襁褓にくるまれた赤子であったが、もうこれは言うまでもなく、玉のような若子であるに違いない。

「長きに渡るお勤め、お疲れ様にございました」

 居並ぶ家臣の中で、これまた艶やかな美丈夫がそう言って平伏した。陶弘護。この時まだ二十三歳に過ぎなかったが、分国の被官筆頭を務めている。

「うむ。そなたもよく国許を守ってくれた。大儀である」

 やや淡々とした口調で言いながら、政弘は畏まる弘護に手を差し伸べた。

「勿体なきお言葉。家臣一同、今日この時が来るのを待ちわびておりました。我が屋敷にてささやかながら、ご歓待の席を設けております。ぜひともお立ち寄りを、と皆も呼び集めましてございます」

「うむ。皆にも礼を申すぞ」

 家臣たちは口々に畏れ多いことでと応じ、中には感極まって泣き出す者も出る始末。無論、主の姿を拝めたことによる歓喜の涙であろう。

 十年も国を留守にしていたのだ。やらねばならぬことは山とある。しかし、今暫くは心安らかでいたい、そんな気分であった。弘護の言葉に甘えるのも良かろう。京から国許まで海路を使って二月近く。長旅の疲労がどっと押し寄せた。そんな政弘の耳に、妻女の玉を転がすような声が聞こえた。

「山口の町はほんに京の都のようにございますね。何もかも灰になった今、わたくしにとってはここが京にございます」

 妻女の言うとおり、京を模して作られた山口の町は戦乱で焼き尽くされた都のかつての風情を彷彿とさせる繁栄ぶり。しかし、ここはまだ山口ではなく、陶氏の領国・富田であった。

 妻の横では乳母が胸に抱いた幼い我が子をあやしている。戦は終わり、平穏が訪れたことを実感しながらも、政弘の胸中は複雑であった。

 主がいない間も国は潤っていた。何も戦渦を遠く離れた西国の地であった所以ではない。政弘の伯父・教幸は細川勝元にそそのかされてその家督を奪おうとしたし、九州では少弐や大友が領国を侵した。それらをはね返したのは、留守居役の家臣が有能であったからだ。
 政弘の視線は己の幼子と妻女に向けて、涼やかな笑顔を見せている陶弘護に向けられていた。そう、すべては、彼一人の功績であった。その抜群の知略と統率力がなければ、この国は潰れていたかも知れないのだ。分国被官は悉く、その差配に従って動いていたに過ぎない。
 弘護がいたから、これほどまでも長い間、国を留守にできた。だが、逆に言えば、この男がいれば主の政弘はおらずともかまわない、そんな気さえする。実際、身内の反乱や多国の侵入のような軍事の緊急事態を鎮圧しただけでなく、内政面でもいちいち的確に指示を出して国をまとめていた。