第十三話・正月

都大路を行く公家の公達と御供の稚児一名。

近頃では戦が続き人々の暮らしも酷い有様だ。武家や公家の屋敷は悉く焼け落ちて、金のある公家衆などは皆、安全なところへと京を離れて落ちて行った。そんな焼け野原のなかでも庶民の暮らしは続くが、悪党が跋扈し、乱暴狼藉は日常茶飯。何とも暮らしにくい世の中になってしまった。その廃墟群のような町に、燃え残った東西両軍総帥の屋敷がおっ建っている。

「あれま、綺麗な若様とかわいらしいおともはんですこと」

いったいどこから降ってわいたのか、その二人はやんごとない身分を車にゆられていくこともなく、徒歩のままで練り歩いているのであった。

何を着てもはえる新介様(今日はそう呼ぶようにと言われていた)は、美羽いうところの光源氏とやらもかくの如しというお美しい公家姿になってしまわれた。この日は山名宗全の屋敷で新年の集まりがあるというので、物々しい軍勢を率いてくるのもなんだし、さりとて、道中には細川方の屋敷などもあるから、あからさまにそのままの姿もまずいだろうと、変装したつもりらしい。本人は満足していたが、衣装を変えたところで中の人はかわらないので、なよなよとした公家には全く見えない。鶴も花将軍だの南北朝の戦う皇族だのを知っていたら、凛として立つこんな公家もありだと想像できたのかもしれないのだが。いっぽうの鶴はと言えば、更にいけない。二月会の童舞の稚児よろしく、黙ってすましていれば、それこそ「かわいらしいおともはん」だったが、仏頂面でぎこちない道行から、まるでさまになっていない。こんな格好、窮屈でたまらないのだ。よりによって、どうしてこんな二人がペアを組まされたのか、まったくもってわからなかった。

宗全邸につくと、新介様は主の部屋に招かれていき、鶴はひとり外に残されてしまった。

「お、来たか」

宗全が赤ら顔をさらに赤くして、喜んで迎え入れる。
政弘が一礼して室内を見やると、いつものメンバーがすでに顔をそろえていた。

今日は最初から無礼講だから、と宗全が自らのすぐわきに政弘を招き入れた。斯波義廉、一色、六角が、下座についている。政弘の向かいには畠山義就が陣取っていた。その隣に、十代と思しき少年が一人。恐らくは、義就の息子であろう。

政弘は今日の席次は家格を無視した「軍功の順」である、と理解した。それを「無礼講だから」とことわらねばならぬところ、何やら面白くない。

「さすがに正月早々ですから、弓矢のこともないでしょう」

義廉が言い、持参してきた酒を振る舞う。戦時ゆえ、ハレの場もないから、うちうちの宴形式だ。もとより、ここは将軍も朝廷もない集団だから、格式張ったことはすべて捨てるべきである。
「思えば半年あまりの間になかなかの成果を上げたものだ。皆、各々方のおかげである」

宗全が人懐っこい笑顔を浮かべつつ、酒を注いで回る。

成果と言うのは一体何なのか? 京の町を焼いた以外、特に何もかわっていない。要するに、成果など何一つ上がっていなかった。確かに、東軍は未だ彼らに包囲されており、旗色が悪かったが、こちら側もこれ以上のことはできない。費やした時間と労力のわりには得たものはなに一つない。相国寺でコテンパンにやられた細川方をあと一歩のところで討ち損ねたせいで、決着はつかなかった。その後しばらく戦闘がなく、人々が束の間の平穏を享受できたのは、双方共が被害甚大となり、英気を養う時間が必要だったからだ。

遠く防長の地から延々と補給線を引いている政弘は、長引く戦況を苦々しく思っていた。

彼の上洛と同時に、一挙に決着をつけるべきだったのだ。その機を逸した今となっては、今後の戦況を占う事も難しい。

「なにやら難しい顔をしておるな。新年早々、何ぞ不快なことでも?」

畠山義就が馴れ馴れしく政弘の傍に近寄り、なみなみと酒を注ぐ。

「いえ、別に」

意見したところで、無駄である。考えがないこともなかったが口に出すのは憚られたのだ。

「この戦、いつまで続くのでしょうか」

「貴殿は国を遠く離れており。長引けば不安も強まるわな」

義就の息子はどこへいったのか、姿がみえなくなっていた。

「大義名分のない戦に、たたかう価値などありますか?」

「名分? あるではないか。俺は政長を倒し家督を取りかえす。父上の息子は俺であってあやつは甥にすぎない。貴殿は亡き父上の仇をとる、そうであろうが?」

「甥が継いではならない家督をついでいるというのなら、斯波様はどうなるのです?」

政弘はくすっとわらった。どうも義就の扱いは鶴と同じ、嘲笑の対象であるらしい。

斯波義敏は先代から見たら甥で、斯波家版・畠山政長であったが、義廉のほうは元々渋川姓だ。血縁をたどるのはややこしい。斯波家では先に重臣・甲斐常治と当主・義敏の対立があった。家中で絶対的発言力を持つ甲斐に嫌われた義敏は、追われるようにして周防に逃れてきた。後を継いだ彼の息子も嫌われて、重臣と将軍の後押しでとってつけられたのが義廉だった。こちらは特に家臣との軋轢はなく、そつなくこなしていたようだ。

そう考えると、畠山家の重臣・神保らに嫌われていた義就が、先代の実子であっても家を継げなかったのも頷ける。畠山持国は神保父子を誅殺して反対意見を潰そうとしたのだが、そのやり口は家臣らの更なる不満を招いたのだった。政長の腹心・神保長誠が、この時誅殺された神保の身内であることはいうまでもない。

義就が一時期でも家督を継承できたのは奇跡というほかない。すべては、将軍・義政になぜか「気に入られ」たおかげであった。この時代、家臣から認められないような無能な主は、当主たり得ないという暗黙のルールが、世間にはいつの頃からか出来上がっていたのである。いや、無能かどうかは建前かもしれない。勿論、中にはどうしようもない暗愚な主もいたであろうが、単に気が合わないという理由でも、家臣たちが結束すれば「追い落とされる」恐れがあった。

将軍家が公認することによってはじめて、守護の地位は安定する。だから、この畠山家では過去にも家臣が主にノーを突き付けたことがあった。それは、主、ほかならぬ持国であるが、将軍・義教に嫌われていたためである。持国が主として無能かどうかより、将軍に嫌われたことで咎を負い、お家そのものが潰されるようなことになってはたいへんだからだ。義教の死によって、持国は当主の座に返り咲いたが、今度は跡継ぎの問題でまたしても家臣たちに意見されることとなった。どうやら、将軍から公認されるのと同じく、家臣たちから「公認される」こともまた必要となってきているようである。家臣から嫌われるような「無能」な主では、そのことを理由にまた、将軍からもその地位を疑問視されるという流れであった。

微妙な話題に立ち入ってしまった義就は、笑ってごまかすしかなかった。

「我らにも担ぐ神輿が必要なのではないか、そう思います」

「神輿?」

いつの間にか、一同の視線が二人に集まっていたのを意識しつつ、しかし、そうとは悟られぬ風に、政弘はつづけた。

「ご自身がおっしゃっていたとおり、紙切れ一枚で身分は安定しますが、その紙きれを書いてくれるお方が我らの元にはおりませんので」

政弘はさりげなく、話題の責任を義就になすりつけておくことも忘れなかった。

「なんだ、その紙きれと言うのは?」

 宗全が口をはさんだ。

「公方様のご内書のことです」

「おお、家督をいとめるのは紙切れ一枚か。心配するな。いずれ勝元を追い払い、公方様におなりいただければ、畠山家の家督も自然定まろう」

「しかし、現状、その公方様が勝元と一体化しております。おなりいただくのは至難の業かと」

政弘の声はよく通る。

「一体化している者をひきはがし、こちらにつけることは無理でしょう。武力で制圧しようとすれば、敵は将軍様を楯にして我らを封じ込めようとする。そうなったときに、それを踏みつけることができるお方はおられぬのでは?」

 なおも相国寺での詰めの甘さを根に持っているのだ。見てくれは爽やかな若者だが、その実は相当陰湿である、一同がそんなことを考え始めた時、義就の間の抜けた一言で、政弘を警戒する皆の気持ちは脇へそれてしまった。

「将軍もろとも壊滅したら、紙きれを発行する者がいなくなるではないか」

一同はこの不遜極まりない言葉に愕然とした。しかし、この珍妙な一言は実は彼らのやり場のない不安を代弁するものだったのである。皆、何らかの理由で「紙切れ」を反故にされたか、他の者とそれを取り合っている状態。紙切れさえ手に入るならば……。

「御一同は皆、お家を継ぐ、ということでなにがしかの不安や怒りをかかえてここに集っておられるのでは? しかしながら、同じようにもめており、やり場のない思いをされているお方が、御所のなかにもいること、お忘れですか」
「む? 御所の中、だと」

宗全が眉を顰める。すでに何かを悟ったようだ。

「正確に言えば、今は御所より出ておられますが」

「勿体ぶらずに説明してくれ。ここで何を言おうとも、咎めるものはだれもおらん。お主は頭が良いからわかることも、俺には分からん」

畠山義就は相も変わらず何一つ隠し立てせず堂々としていたが、戦場を離れたら本当に知恵の回らない男だ。それを言い始めたら、ここに居合わせた全員がほぼそうである。せいぜい、管領を務めた斯波義廉くらいがまともな口である。だが、彼は戦場ではぱっとしない。斯波家があげた「勲功」の殆どは、配下の朝倉孝景の手になるものだ。主の影は限りなく薄くなっていた。文武両道共に秀でている者は、己以外いないのでは?

政弘は彼らを軽蔑しつつ、淡々と言った。

「今出川様です」

今出川様とは将軍・義政の弟・義視のことである。東軍の「総大将」として、御所にあったが、無論華々しい活躍などしてはいない。義視はつい先ごろまで出家として寺にいたのである。兄・義政が、男児に恵まれないことを理由に彼を「養子」として次の将軍の座につけたいと頼み込み、渋々承諾して御所の住人となったのだった。渋々と言ったが義視とて僧侶で終るより、将軍の座に就くほうに色気が出たのだろう。さもなくば、頑として寺の柱にしがみついて断ればよかったのだ。

どうも「実子」に恵まれぬゆえ、「弟」に家を継がせるケースも大流行しており、結果、後々まで禍根を残すことが少なくなかった。

身分制度の色濃い時代、家名の存続と言うのはなにより大切であるので、息子ができなければ、血縁の濃い順番から身内の誰かに後を継がせるのは普通のことである。かつて、将軍・義持は早世した義量以外、男児にめぐまれなかったため、弟の義教が後継者となった。義持は、生前に兄弟のだれにということを明確にしていなかったため、その死後に「くじびき」で選ぶという前代未聞の珍事となった。

しかし、生前に後継者を定めなかったことにも彼なりの理由があった。だれを選ぶにせよ、それには家臣たち、将軍家ともなると、家臣も甲斐や神保のような守護代ではなく、細川・畠山といった有力守護となるが、彼らの承諾を得、皆に推戴されなければ、その身分は安定しない。だれかひとりでも反対意見を述べたり、他の者を推したりすれば、それこそ今まさに進行中の畠山、斯波のような騒ぎとなってしまう。

指名をせずにあえて「くじ」という神の一言に全員が従うように、と言い残したことで、少なくとも義教が後継者に選ばれた時点で、家臣たちがこの件でもめることはなかった。

それにひきかえ、現将軍の義政と来たら、早々に隠居して風流の世界に身を置きたい、などという信じがたい理由でまだ25歳という若い盛りの御台所をもちながら、もう男児に恵まれないだろうから早く引退させてくれ、と泣きついて来たのだった。義視もそこまで馬鹿ではないので、その後、男児が生まれる事態を想定してこの申し出を断ったにも関わらず、義政は「仮に」男児が生まれても僧侶とし、跡継ぎは義視以外にたてないから、と誓ったのである。ここまで聞いただけで、その後の展開は既に説明も不要だろう。現状、義政には男児がおり、生母・日野富子と共に、すでに義視の存在を邪魔なものと見なしているのだった。

この話が畠山家のそれと全く同じであることに、義就は何やら無性に腹が立った。義就と政長とで相続人の座をころころとかきかえさせられたのは、ほかならぬこの義政の優柔不断さがまねいたことである。義視は叔父の持冨、義政は亡父・持国であり、後から生まれた義政の息子が義就だ。父は後から跡継ぎを変更したことで、神保はじめ家臣らから散々に叩かれ、結局、自らの手で確たる決着をつけることができぬまま、失意のうちに亡くなったのだ。

どういうわけか、畠山家の内部争いに将軍から細川・山名までが口をはさみ、事態は収拾がつかなくなっている。その今出川様とやらが。義政のように優柔不断な男でなければ良いのだが、と義就はぼんやりと考えた。

座の中では、政弘の話がなおも続いていた。弁舌爽やかな彼の話に聞き惚れる一同は、いつの間にか丸め込まれ、反対意見など述べるものは一人もいなかった。

「今出川様が御所を抜け出したのは、もう何もかも嫌になったからでしょうな」

義政らの手で斯波家の跡取りに据えられ、今また賊一味とされてしまった義廉が、しみじみと言った。

「今出川様は今どこにおられたのだったかな?」

と宗全。

「伊勢と聞いております」

と義廉。聞いているも何も、そんなこと、宗全はじめ、最初から全員が知っている。

「伊勢か」

宗全が口元をほころばせていた。

伊勢の守護・北畠家は例の花将軍ゆかりの家である。

今は帰順して配下となってはいるものの、なおも南北朝からの遺産を引きずっている。

南朝は死滅してはいなかった。なおもその「血統」を名乗る者が密かに身を潜めている。そして彼らは、世の乱れと共にどこからともなく現れては乱れた世をかき乱していた。

将軍・義教が赤松家に暗殺されるという将軍家にとって忌まわしい凶事が起こった際、内裏に忍び込み三種の神器を奪い取ったのは南朝の子孫だと言われている。

今まさに世は乱れている。彼らはどこにひそんでいるのだろうか?

そして、このような時に、かつて南朝のシンパであった者たちもまた、血が騒ぐのである。北畠家は今の所、東西どちらにも与していなかったが、胸の内に隠し持った反幕府の血筋ゆえに、彼らは「賊」軍に友好的であった。

続く
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