宮ノ尾城(厳島)

さてと……。正直ここは、「素人旅日記」に入れるべきか迷った。きちんと書くべき項目だからな。
ただし、そのためには十分なリサーチが必要。
元の管理者たちは、あの妖怪にこの場所の説明をさせているようだけど……。
なんだか、とても怪しげになっているよ。
じつは、俺、超有名なガイドさんと一緒に歴史散歩したから、詳しいの。
でも、いちいち書いている時間がないから、まずは古い記事のまま素人の仕業にしておく。
あとからカテゴリ入れ替えればいいだけだもん。
タイトルだけのURLって超便利~💖
あ、でも元の記事だと、写真がベタベタと直接大量に貼られてたのを、ギャラリーサイトにまとめたので、あっちが片付くまで、ここはペラペラだね……。

厳島合戦史跡:宮ノ尾城

ここは要害山と呼ばれている。かつて、毛利家はここに宮ノ尾城を建てた。この山にはお宮、つまり今伊勢神社があり、お宮のある尾根ということから、宮ノ尾城(宮の尾、宮尾)というんだよ。隆房様はこの山に籠る毛利の連中を蹴散らすために出陣したんだ

不思議な事に、ここには、他の場所にあったような合戦の詳細を記す説明板はなく、また、「宮ノ尾城跡」のような石碑もない。あるのは登り口の矢印板で、そこに合戦史跡としるされいるだけだ。

しかし、毛利家がここに城を建てていたことは事実であり、普通に常識として皆が知っている。地元の方にお尋ねすれば、当時の石垣などが残されている事もわかる。今後の詳細板の登場を待とう。

ここは、毛利軍が造った「囮の城」であり、それにまんまと引っかかって厳島に追い込まれた陶は馬鹿である、というのも、これまた「普通に常識として皆が知っている事」だが、果たして本当にそうなのであろうか? 歴史に詳しい地元の方々にお話を伺ったり、厳島神社公式の書物を読んでみても、「馬鹿である」ことの証明は得られなかった。

「勝った側」が神がかり的であったことは間違いないが、ではやられた側に問題があったかと言えば、そうとはならないのである。これは、桶狭間で織田信長にやられた今川義元を馬鹿扱いする人が少ないのと同じことである。源義経の鵯越の成功を以て、義経を軍事の天才と思う人はいても、負けた平家が馬鹿である、という人はそうもいない。

なのに、どうして隆房様一人、馬鹿扱いされるのか、僕にはとうてい納得ができないのだ。しかし、それについては、毛利元就から直接話をきいてあるので、場を改めておいおい紹介していくよ。

直接話をきいただって? あり得ないよな……。

そうとも限らんぞ。

うわっ……。びっくりした……。
何なんだよ、これ……。
『厳島合戦2020』って企画があったらしい。
やり遂げてないし……。
ここは鶴ちゃんが代わりにやり遂げてやるからな。

要害山

宮ノ尾城は宮尾城と書かれていることもあり、ここらへんは書物によって違う。いずれにしても、名前の由来が「お宮があった尾根だから」という点は同じ。
そして、現在の宮島で毛利軍が籠もってた城は? と訪ねて行くと、看板は「要害山」ってなっている。
調べてないけど、要害山は全国に大量にあるはずだよ。読んで字のごとく。天然の要害みたいな場所だからこそ、そこに城を建てる。元々そのような地名だったのか、城が建つような要害だったってことでそう呼ばれるようになったのか……。

でも、看板は古いのから新しいのまで、全部宮ノ尾城ではなく、「要害山」なんだよね。
大内のことばかり、書かされていたので、厳島合戦の知識が薄れてしまったよ……。合戦の話は他所でやるから、とにかくここでは写真だけ見といてね。

今伊勢神社

かつてここに、仁王門があったことからも、神社の存在は明らか。しかし、今はさびれているね。

初回訪問日:20200306
リニューアル前公開日: 2020年4月30日 14:20

ここの地図を見れば分るとおり、宮尾城と塔の岡とは向かい合っている。
塔の岡の記事はここよりももっとヒドいペラペラなので、大声で紹介できないけど。
両方を比較しながら見ると面白いものになるといいな。
ちなみに……現在民家がある場所も、五百年前は海だったところがある。
なので、イマドキの民が見ている光景と、合戦時の周辺の景色は、恐らくかなり違うものだ。
まさに、海に浮かぶ要塞だね。