宮島幻想:第一話
この作品は完全なるフィクションであり、いかなる実在する人物、地名、出来事とも一切無関係です。

神の島厳島を汚した大戦はあっけなく終結し、島は血の海となった。

乾坤一擲の大博打に勝った毛利元就は、陶晴賢の首を探していた。

山中に分け入って自ら命を絶ったと思われる晴賢の首は、直ぐには見付けられなかったのである。「生きている」とは思えぬが、確かに「死んだ」という証拠は必要だ。

まさか勝てるとは思わなかった。後の世の人が、どれだけ称賛し、嘘で塗り固めて美化しても、当の本人がそう思っているのだから、仕方がない。すべてはあまりにもあっけない幕切れであった。

「まだ見付からぬのか?」

何度も尋ねるうちに、元就はだんだんと腹がたってきた。だが、捜し物というのは、焦れば焦るほど見付からない。そういうものだ。

(もうあきらめればよいのでは?)

小早川隆景は、冷ややかな目で、いらつく父を見ていた。

正義のための戦いだとか、主君を弑逆した悪人を討つのだとか、そんな大義名分はすべてデタラメだ。そのことは、本人が一番良く知っているはず。もしも、不義不忠だと口にしたら、主家である大内家を潰そうとしている元就こそ不忠ではないか。恐らくは、これを正義の戦いだなどと考えているのはお人好しの長兄・隆元くらいのものであろう。

しかし、ここで、捜し物を諦めるわけにはいかないのも、隆景はまた、承知していた。ここまできたら、もう、これを足がかりにして、防長の地を手に入れ、西国の覇者となるほか道はないからだ。

そのためには、大内家を牛耳っていた陶の首はどうしても欲しい。

山の中でひたすら目当ての物を探し続ける兵士らも疲れ果てていた。

陶の配下も忠義の臣である。主の大切な印を、早々敵軍に見付けられるところに放置するはずがない。

この宝探しは、まさに大海の中に針を探すようなものであった。

ところが、歴史というのはきちんとあらまぁ、という筋書きを用意してくれているものだ。

敗軍の将の草履取りだったという少年が、命乞いと引換えに、その「在処」を毛利軍に伝えてしまったのである。

しかし、このとんでもない極悪非道な輩は、たとえ、ただの名もない侍童に過ぎなかったとしても、不忠者としてその制裁を受けるべきなのだ。

この戦いで、唯一憎むべき者に鉄槌を下せるとしたら、文句なしにこの子どもだか、大人だかわからない「少年」を殺す。

非常に残虐なやり方で。たとえば……古代中国車裂きの刑くらいの。

「死んでね。これ以上ないくらい、苦しんでから」

千寿はその馬鹿者を、高安原の大樹の一つに、逆磔にした。
何のことはない、それが、南蛮寺の神父から教わった「最も恐ろしい刑罰」だったからだ。穢れのない少年は、己とさして違わぬ年回りのその小僧を、何のためらいもなく、極刑に処したのだった。

「いつまで命があるのか、見物だよね。でも……付き合っていられない。せいぜい、毛利の馬鹿者どもに見付けてもらいなよ。もう、たすかりっこないけども」

そう言って、天使のような微笑を浮かべた。

恐怖におののく馬鹿者が告白した場所に、「それ」は隠されていた。

千寿は、丁寧に土を掘り起こし、忠義の家臣達によって大切に包まれていた愛しい人の御印を確認した。

その物言わぬ「顔」をちらと見て、千寿は溢れそうになる涙を零すまいと、青い空を見上げた。

「お殿様、もう大丈夫。絶対に誰にも渡さないよ」

恐らくは、あの馬鹿者が潜んでいた辺りで、最後まで付き従った忠義の家臣達も果てたはずである。本当ならば、彼らを手厚く葬ってあげたい。しかし、今は時間がなかった。

(ごめんね、みんな。だけど、死んでしまったら、もう同じこと。だけど……)

元と同じように、きちんと包まれた「それ」に目をやって、千寿は思わず泣き出しそうになった。

死んでしまったら同じなのかどうかなど、千寿にわかるはずはない。ただ、恐らく、先程の馬鹿者も含めて、お殿様以外の者は、生きていても、死んでいても、敵にとって何の価値もないものなのだ。

千寿は、大切な包みをしっかりと胸に抱きかかえたまま、山道を下りた。

原生林に囲まれた、この島の山は、険しい。

だが、千寿はまるでふわふわと空を飛んでいるかのように、途中、何かにつかまることもせず、険しい山道を、駆け足で下っていった。

とにかく海へ……。

海の中にも都がある……。赤間関に打ち上げられたという安徳天皇は、そう聞かされて入水したのだとか。

いや、都はきっとある。お殿様と一緒なら、どこにいても都だ。本当は周防国まで帰りたい。しかし、それはもう、無理だろう。だが、大切なものが敵の手に渡らなければ、それでいい。

「お殿様」と出逢ったのは、彼が十歳だった時のことである。

「千寿」という名前もそのときにもらった。

ただ、己がお殿様が愛しいと思っていたという、その「千寿」という少年に生き写しであった、という理由で。

お殿様は「千寿」を見て泣き出した。

「すまなかった」と。

よくはわからないが、なにかとんでもなく悲しい事があったのだろう。

幼い少年は、その日から「千寿」となって、お殿様のお側に仕えるようになった。

元の名前は忘れてしまった。もう、生まれたときから千寿であったのではないかと思う。

千寿はお殿様の、涼やかな笑顔が大好きだった。

この世の中に、これ以上、美しい笑顔はないと思った。

だが、それでいて、お殿様はいつも、ふっと悲しそうな表情をするのだった。それは、己に似ていたという、「千寿」を亡くしたせいだからだろう。

食うにも困っていたやせっぽちで薄汚れた少年は、お殿様の元で、綺麗に着飾らせて貰い、「千寿」という名前をもらい、大切にされた。

ところが、ある日のこと。

別れは突然にやって来た。

その夜、お殿様は千寿を部屋に呼んだ。中にはほかに、誰もいなかった。

二人だけである。

千寿はそれをうれしいと思った。

昼間は、ほかの家来や、身の回りの世話をする小僧が山とついている。二人きりになれる時間などないからだ。千寿がどんなにお殿様を愛しいと思っていても、お殿様がそれ以上に千寿を愛しいと思っていても、道端で連れ帰った何者かわからないような子どもでは、お殿様の御前近くにあがることはできないのだ。

だが……そのときは部屋に二人きりであった。

お殿様は千寿をそっと胸に抱いた。

涙に潤む瞳に見つめられて、千寿はお殿様と同じように悲しくなった。

お殿様が、そっと千寿の桜の唇に口づけをしようとしたとき、千寿はおとなしく、それを受け入れようとした。

それなのに……

お殿様は、ふいに動きを止めてしまった。

そのまま化石したように、動かなくなった。

「すまない。そなたは……似てはいるが、千寿ではない。そうだな?」

千寿にはわからなかった。もう、生まれたときから、ずっと千寿であったような気がしているというのに……。

「私はまた、同じ過ちを……もう、二度と、誰も傷つけないと誓っていたのに。そもそも、そなたが千寿に似ているからと言って、千寿ではないのだから、このようなことをしては、我らの操を汚すことになるのではないか」

お殿様の話は千寿にはわからなかった。

ただ、お殿様が、千寿を嫌いになったか、あるいは、もうこの先、こうやって愛おしんでくれることはないのだ、と悟った。

翌日、千寿はお殿様の御館を後にした。

お殿様が、その後も長いこと、千寿の行方を捜していたことは知っていた。だが、元に戻っては迷惑だ、とわかっていた。

恐らく、お殿様はまた苦しむことになるだろう。

千寿にはそれが辛かった。

再び、食うにも困るようになった時、もはや千寿にはかつてのように、たくましく生きていく気力はなかった。お殿様のもとで、あまりにも大切にされてしまったからだ。

山口の町から出ることすらできぬまま、千寿は南蛮寺の前で行き倒れとなった。

そして、南蛮の教えによって洗礼を受け、南蛮寺の南蛮人の身の回りの世話をして暮らした。

お殿様が、国の太守様を殺したとか、血なまぐさい話は千寿の耳にも届いたけれど、お殿様が無事に生きてさえいれば、千寿は満足であった。