第四話・護国の神

教弘の死は分国に深い悲しみをもたらした。いっぽうで、父の死を嘆く間も惜しみ、陣頭指揮をとる若い当主の姿は人々に感動を与えた。何やら向かう所敵無しといった快進撃で、あちこちで幕府軍を壊滅させているらしい。

十歳の鶴寿丸は築山館でお見かけした新介様を思い出していた。あの凜としたお姿が、戦場で縦横無尽に敵をなで斬りにするシーンを想像すると何やらゾクゾクする。どうやら武人というものは、容貌魁偉で屈強な輩こそ相応しいと思っていたのだが、全然違う。ならば、この鶴も旭に向かって羽ばたく無敵の軍神となりたい。それなりにサマになるはずの己の姿を想像し、鶴は何やらひとりで照れ笑いをする。ところがそこに、冴え渡る寒空の月のような新介様の姿が現れて、昇る太陽を蹴散らしていった。

(……)

幼い彼が、勝手ににやけた後、またしゅんとなってしまったことに気が付く者は誰もいない。何やら新介様、いや御館様は鶴にとって、全ての自信を一瞬にして打ち砕く破壊神のようだった。はじめて会ったあの日から、どうもいけない。

鶴はたいてい、周囲の誰とでも仲良くできる。大人たちは彼を強くて賢い子だと可愛がり、幼い仲間には頼りがいのある友だと思われている。生まれついたときから意識しているかどうか分らぬが、どうすれば相手が喜ぶか、ということを一瞬で見抜く力を持っている。なぜあいつばかりが、誰からも愛されるのか、陰で密かに妬まれる者がいるが、たいていこのような術を身につけているはずだ。
それなのに……。唯一、新介様にだけはそれが通じない。いや、通じない気がするのだった。あれほど澄み切った美しさを湛えているのに、その心が何を考えているのか、まったく分らない。言ってみれば一種の天敵である。それが「主君」という属性にあるということをどうとらえるべきか。主の心が見抜けないのは、そうとうに致命的なのではないか、と思う。

「おお、鶴ではないか」

背後から呼ぶ声が、鶴の不安をもみ消した。振り返ると、にこやかに笑っている僧衣の人物が一人。

「大殿様……」

南宋道頓。亡くなった先代の兄君で、御館様の伯父上にあたる。兄なのに家督を継いでいないのがなぜか、とか、過去に先代といざこざを起こしたが今は許されて防長に戻って来たのだとか、焦臭い話は子どもの耳には届かない。

最近では御子の嘉々丸様が御館様のご養子になられた。要するに先代亡き後、新しい当主が年長者としてたてねばならない唯一の存在。お家の長老のようなお方である。御館様には若子がおられぬので、もしかしたらそのまま嘉々丸様が継ぐことがあるのかも知れぬ。

「またお散歩ですか? お気を付けて」

まあ、国の中は特に治安も悪くないのだが、ひとりでぶらぶらと出歩いて、迷惑なお方ではある。お供の家来はそれとは分らぬよう、少なくとも五人はついているはず。何やら、最近、鶴や鶴やと声をかけてくるので、正直面倒だった。そう言えば、見かける機会そのものが増えている。

(暇なんだろう)

そう思った鶴は「大殿様」を残して走り去った。ああいう、「わかりやすい」のが当主だったら良いのになぁ、とふっと思っていた。

おりしも京では両畠山、両斯波家のお家騒動が勃発。

十余年もつづく応仁の大乱が幕を開けようとしている。

そして、幼い鶴の元にも戦の影は忍び寄っていた。

主・教弘の死に先立ち、父・弘房の兄、弘正が安芸で戦死したのだ。細川家が張り巡らした企みも、教弘には筒抜けだった。勝元の命を受けて安芸から分国を狙う輩に備え、自らが伊予に向けて出立すると同時に、安芸にも兵を出していた。弘正は安芸での戦に敗れ、命を落としたのであった。

伯父には跡継ぎの子がなく、父の弘房が陶の家を継ぐことになった。元々、父はやはり身内である右田の家を継いでいたのだが、伯父の死を以て実家に戻ったかたちだ。そして、右田の家は、鶴寿丸の弟が継ぐことと決まった。

「御館様は祖父上様を助けるために出陣すると仰っているが、義理堅いお人柄ゆえ、当然そのような意味合いもあると思う。だが、それよりも、これは亡くなられたお父上の仇討ちのためであろうな」

父の弘房は、鶴寿丸にそんなふうに説明してくれた。

現在幕臣は細川勝元と山名宗全という二大派閥のボスが睨み合っているらしい。それぞれが仲間を集めていて、御館様には、お母上のお身内である山名家から声がかかった。

どうやら、細川家というのは相当な悪者のようだ。

「戦に出れば、なにがあるか分らん。万が一のときは、この家のことを頼む」

そう言って、父が大事そうに見せてくれたのが、一枚の絵だった。

「なんですか、これは?」

厳めしい顔つきの男神が、猪の背に乗っている。

「これは戦場の守り神よ」

「我らの守り神は妙見菩薩様では?」

鶴寿丸は首をかしげた。

「もちろんそうだ。これはな、知り合いの和尚に描いてもらったのだ。摩利支天という神様だ。摩利支天は陽炎の神。よって、隠形の術が使える」

「オンギョウ?」

「姿を隠すことができるゆえ、誰にも見付けられず、けっして倒されることがない」

「随分と都合のよい神様ですね。みんなそのお姿を持っていたら、誰一人見えなくなって、戦になどならぬのでは?」

鶴寿丸は眉をひそめた。やはり戦は正々堂々とぶつかり合うものである。姿を隠して見付からぬようになど、逃げているのと同じではないか。

弘房は呵呵と笑い、

「知り合いの和尚が手慰みに描いたのじゃ。御利益などあるものか。だが、不敗の軍神として拝んでいる武人もおるそうな。わしには妙見菩薩様がついているゆえ、こんなものは要らぬ。だが、この神のいわれはもう一つある。護国の神なのだ」

「ゴコク?」

「良いか、わしに万が一のことがあったなら、そなたが父の跡を継ぐことになるのだ。その時は、お家を守り、御館様に忠義を尽くすことで、この国を護っていく。それがそなたの果たすべき使命と心得よ」

難しい話は鶴寿丸の耳には入らない。その怪しげな神様が、弓矢を手にしているところは彼にも気に入った。なにやら武芸に関わりがあるように見えるではないか。

弘房はその掛け軸を大事そうに箱の中にしまった。