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本圀寺(山口市道場門前)

2023年11月22日

本圀寺・入口

山口県山口市道場門前の本圀寺とは?

大内弘世が大覚僧正(近衛関白経忠公の御子)を招いて建立されました。西国最初の日蓮宗寺院として知られています。第十二世・日了上人の時に、本門法華宗の祖・日隆大聖人の要請により、京都・本能寺、尼崎・本覚寺の末寺となりました。ゆえに、正式には「本門法華宗」寺院で、山門入口にもその旨刻した石碑があります。

十二世は連歌に優れた方で、里村紹巴らに称賛されたほどで、詠句も伝わっています。また、宗祇や細川幽斎といった著名人が宿舎として使ったこともありました。

現在に至るまで広く信仰されている寺院さまで、平成二十五年には、檀信徒の皆さまにより、大覚大僧正の第六五〇遠忌、日隆大聖人の第五五〇遠忌記念事業が行なわれました。境内には、その時に建立された日隆大聖人さまの立派な銅像もあります。

本圀寺(山口市道場門前)・基本情報

所在地 〒753-0047 山口市道場門前 2-1-3
山号・寺号・本尊 円満山・本圀寺・多宝如来、釈迦如来
宗派 本門法華宗 

本圀寺(山口市道場門前)・歴史

西国に日蓮宗を広めた最初の寺院

『山口県寺院沿革史』にはおよそ以下のようなことが書かれています。

「開基は琳聖太子から十九世(※原文のママ。現在の研究では弘世さんは二十四代が『定説』)の大内弘世朝臣である。開山は大覚僧正・俗姓は近衛関白経忠公の御子にして幼名を月光といった。最初は嵯峨大覚寺におられ、妙顕寺開祖日像上人に従っていた時、正和二年十七日(※原文のママ。これは『趣味の山口』を見る限り、十七歳の時の意味と思われますが確定はできません)、法名を妙実と称し、妙顕寺の第二祖となった。

後光厳院の文和年間、大覚僧正を招いて、当寺を創建なさった。日蓮宗西国弘通道場の最初である。貞治三年、行年六十八歳、自ら大黒天の尊像を彫刻して(現在も存在する)記念となさり、やがて帰洛の途に赴かれたが、同年四月に備中国加濃辺りの里にてお亡くなりになった。

二世・日湧、三世・日金代までは無本寺だったが、四世・日了代になって京都本能寺、播磨尼崎本覚寺を本寺とした。五世・日達代に当寺の住職は永く上人号とすべき免許を得た。

文明・延徳年間の頃、宗祇法師が山口に滞在した時、当寺を宿舎にしたという。十二世・日栄は幼名を可易といい、天正、文禄、慶長、元和年間の連歌に秀でた僧であり、紹巳(※原文のママ)・昌叱・玄仲などもたびたび褒めたたえた。その後、住職は途絶えることなく続いて現在に至る。

梵鐘は現在、福岡市聖福寺にある。筑前国鞍手郡古門村神職・伊藤多仲の所蔵目録に『山口本圀寺鐘銘、現在この鐘は聖福寺にあり、現在の銘は後に記したものである』と書かれている。

本尊 多宝如来、釈迦如来

本堂:大正十四年に改築された 庫裏:明治時代に改築された」

本圀寺と連歌

『寺院沿革史』にも書かれておりましたが、当寺院は連歌とのゆかりが深いです。「紹巳・昌叱・玄仲」というのは全員、里村 ○○ さんでして、特に里村紹巴(原文の紹『巳』は誤植と思うのですが、違うかな……)は受験参考書レベルなので、連歌がらみで覚えている方も多いかも。聞いたことはありますが、微妙に時代が新しくてよく分りません。

まずは、宗祇ですが、『趣味の山口』によれば『沿革史』にある宗祇がこの寺院を宿舎としたのは「文明十二年」のことのようです。

天正十五年、トヨトミヒデヨシが九州に在陣していた時、細川幽斎は、その陣中見舞いに行きました。その帰り道山口に立ち寄り、やはりこの寺院さまを宿舎にしたそうです。この時、可易に勧められて連歌会を興行しました。その句会にて
 「もる月も今一しほの木の間かな」
と詠んで、防府に去って行ったそうです。
(参照:『趣味の山口』)

この可易というお方ですが、『沿革史』だと日栄上人、『趣味の山口』では日宋上人となっておりまして、何度も確認しましたが、確かにそうなっておりますので、どちらかが誤植ですが、どちらとも決められません。なお、『沿革史』では可易というのは上人の幼名(原文『稚名』)となっていますが、『趣味の山口』では「雅号」となっております。幼名を雅号にしたのなら両説とも成り立ちますが、どちらが正しいのか分りません。「雅号」だろうな、とは思います。

つまりこの上人さま、連歌に優れていたので、「可易」という名前であれこれ作品を残しておられるのです。里村紹巴が評点者となった百韻にも、この方の句について言及された「奥書」があり、また厳島神社に奉納された法楽にもこの方の句があるといいます。
 「蘆屋やしつまる波に荻の聲」
 「年としの木立ちもしけし花盛」
(参照:『趣味の山口』)

可易さんが当寺院のご住職であられたことは明らかなのですが、典拠としたいご本でお名前が一致しないという……。ほかのところで調べて確定したいと思いますが、すぐには無理ですので、現状不確定なままです。すみません。

本圀寺(山口市道場門前)・みどころ

とてつもなく立派な寺院さまです。寺宝とか重要文化財についての記述が、書物からは調べられなかったのですが、「西国における日蓮宗最初の道場」という事実こそが、最も大切なことなのだと思われます。境内には、上人さまの銅像や、仏様の像などがあり、それぞれ御由緒の説明もとても詳細です。

ご参詣を終えたら、ひとつひとつ丁寧に見て回るのがよろしいかと存じます。

山門

本圀寺・山門

入口を守っておられるのは「太廣目天王」(広目天)さまの像です。厳しい表情を拝見すると、「用のない者の入門を禁ず」って言われているみたいで、かなり怖いです。きちんとお参りすれば問題ないです。

「本門法華宗」碑

本圀寺・「本門法華宗」碑

これだけ立派な寺院さまなので、寺号碑も立派なものがどこかに……と思いますが、見付けられなかったのかそもそもないのか。かわりに山門前にあったのは「本門法華宗」という石碑です。歴史書などには、本圀寺さま = 日蓮宗の市内最初の寺院という解説がなされていることがほとんどですが、どこの宗派でも、その中であれこれの流派にわかれていますので、正確には「本門法華宗」の寺院さまということになります。

本堂

本圀寺・本堂

立派……。ご本堂に上がる石段にも手すりをつけてくださっておられます。さらに手前には休憩用の椅子が並んでいます。このイエローカラーが……とか書いたら無礼にあたるかもしれなくて、畏れ多いのですが、でも、このお色目、珍しいと感じてしまいました。

上行菩薩像

本圀寺・上行菩薩像

上行菩薩さまの尊像です。左下に見えている説明看板に、とても詳細な由来を書いてくださってあるのですが、難しすぎてすぐには消化できません(書いている人の理解度が低なだけで、ご説明に問題があるのではありませんので、誤解なさいませぬようお願い申し上げます)。平成二十七年に完成された像なので、わりと新しめ。ものすごく適当に解説するとすれば、上行菩薩さまは日蓮宗と深く関係している菩薩さまとなります。

日隆大聖人像

本圀寺・日隆大聖人像

日隆大聖人とは、本門法華宗の祖にあたる方です。当寺院さまの第四世・金剛院日了上人の時、日隆上人から直接の要請があり、同流派の末寺となった、という由縁がございます。この像は平成二十三年に建立されたものですが、平成二十五年が寺院さまの開基・大覚大僧正の第六五〇遠忌にして、日隆大聖人の第五五〇遠忌にあたる記念すべき年だったので、檀信徒の皆さまが記念事業を行なった一環です。(参照:寺院さま記念碑)

隆賢院日慈大法尼像

本圀寺・隆賢院日慈大法尼像

第三十七世・隆賢院日慈大法尼さまの像です。大正時代、第三十六世・日明上人とご結婚なされ、お子様方をご養育なさりつつ修行に励まれました。昭和五十九年から法話を始められ、多くの人々が信徒となりました。平成十九年八十七歳でお亡くなりになったそうです。

鐘楼

本圀寺・鐘楼

尊い像ばかりお参りしてきたので、鐘楼まできてちょっとひと息。これまた立派ですよね。

本圀寺(山口市道場門前)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒753-0047 山口市道場門前 2-1-3

アクセス

山口駅から徒歩圏です。道も真っ直ぐでわかりやすいのですが、駅前から真っ直ぐではなく、一本左の道(駅を背に)です。街中にある寺院さまですので、うっかり通り過ぎてしまわないように注意することは必要です。ただし、大きくて立派な寺院さまゆえ、街並みに埋もれてしまって見落とすことはまずあり得ないです。

参考文献:『山口県寺院沿革史』、『趣味の山口』、寺院さま案内看板

本圀寺(山口市道場門前)について:まとめ & 感想

本圀寺(山口市道場門前)・まとめ

  1. 大内弘世が大覚僧正を招いて建立した寺院
  2. 「日蓮宗西国弘通道場」(最初の道場)とされる
  3. 第四世・金剛院日了上人の時、本門法華宗の祖・日隆上人からの要請を受けてその末寺となる
  4. 本寺は京都の本能寺、尼崎の本覚寺である
  5. 宗祇が山口に立ち寄った時に宿舎とされたり、細川幽斎が連歌会を興行するなど、風雅な逸話も数多く残る
  6. ことに第十二世の上人は「可易」の号で優れた句を詠み、里村紹巴らに称賛された
  7. 創建以来、長らく広く信仰され、平成二十五年には、開基・大覚大僧正の第六五〇遠忌、日隆大聖人の第五五〇遠忌を記念する記念事業が、檀信徒により行なわれた

とにかく、広くて立派な寺院さまです。文字通り多くの檀信徒を抱えた著名寺院と思われます。しかし、物見遊山の観光客がふらりと入るところではありません。「ご用のない方はご遠慮ください」みたいなことが、どこかに書かれておりました。もちろん、きちんとお参りして拝観する分にはまったく問題ないと思います。寺院さまのゆかりについて調べることも、悪いことではないですから。

街中の寺院さまはどこも同じですが、山の麓にあり自然豊か、ということは難しくなります。ただし、そのような寺院さまは郊外にあり、駅から遠いという難点もあります。行きやすく、しかも緑に覆われたということを両立するのって、たいへんですね。こちらの寺院さまも周辺は普通に一般の方の居住空間に囲まれておられますが、境内には樹木もあり、きちんと手入れされていてとても心地良いです。

檀信徒ではない一般観光客がゾロゾロ訪れていいのかどうかということは、多少疑問ではありますが、市内に滞在しているのなら一度立ち寄って宗派の歴史なども調べてみるのがいいかも知れません。

こんな方におすすめ

  • 大内弘世が関わっている寺院に関心がある人
  • 法華宗の人

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

ミル涙イメージ画像
ミル

本能寺ってオダノブナガのあの寺院かな、と思って調べてみたら……マジそうだったよ。びっくりした。もう燃えちゃってなくなってるとばかり思っていたので(無知って恥ずかしい)。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

オダノブナガって誰? この寺院と関係がある=法華宗なわけ? そいつ、何でいつもカタカナ表記なんだ?

ミル笑顔イメージ画像
ミル

ここはオダノブナガとか存在しないことになってますので。トヨトミヒデヨシとかもそうです。つーか、もはやワープロソフトも自動的にこの方たちはカタカナでしか出てきません。学習機能がスゴいですね。あれ? でもさ、オダノブナガってあれこれの寺院を燃やした不届き者で寺院さま方の敵みたいな輩ですが、法華宗だったんでしょうかね? どーでもいいけど。だって、宿舎にしてるくらいなので。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

だったら、宗祇とかも法華宗になるのか? あり得ないよな。細川幽斎って誰? 細川家の連中なわけ? だとしたらそれもカタカナにしちゃえよ。

政元イメージ画像
半将軍

この私が聞いたこともない者だ。本家筋であろうはずがない。どこから湧き出たのか知らぬが気に食わぬな。

於児丸不機嫌イメージ画像
於児丸

気にくわないのはあなたのほうです。お引き取りください。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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