現在「史跡 大内氏遺跡 附 凌雲寺」となっており、龍福寺、大内氏館跡、高嶺城跡、凌雲寺を合わせたものを指すようである。
アイキャッチは龍福寺のものなので、「館跡」となっているが、すべての場所これと同じ案内板が立っている。

これらの史跡はすべて山口市内にあり、まとめて観光できる。
注意点としては、

一、凌雲寺はやや遠い
一、高嶺城跡はややキツい

の二点。

おそらく、徒歩で凌雲寺をめざすのはたいへんだし、高嶺城跡は頂上まで行きたいのなら、きちんとした登山装備がいる。

それ以外の場所は、徒歩圏内で市内にまとまっている。

とはいえ、大内氏関連史跡と呼んでいいものはこれらにとどまらないし、そもそも大内氏に関係ないものは市内にはない。

この世のすべては我が大内家のものである

あまりに傲慢不遜だからこっそりフォローしとくけど、大内家のものって「公認」されてたのは守護やってる所だけだったし、イマドキの世の中は民が主役だからな。つまりは、お前ら全員だよ。俺だって、ここでは庭園の主と同等なのよ。ん? 会社では上司が、家では妻が威張ってる、って? んーー五百年経っても基本は変わらないのね。

どうやら、国や県がプロジェクトとして発掘調査や復元を行い、重点的に整備されているのがこの「大内氏史跡」と冠された箇所のようだ。
大内氏庭園なども、将来は完全に発掘復元されて、公園化される模様。

じっさい、凌雲寺では現在進行形で発掘調査をやっておられる現場に遭遇した。しかし、これを完全復元することは、まだプロジェクトにはなっていない。ほとんど跡形もないほど荒廃している上に、規模が大きすぎて気が遠くなる……。未だ、学術的研究段階であろう。

そもそも、人類の営みは、常に新しいものが古いものにとってかわってきた。我々の現在の職場や自宅の下にも、十五世紀にはその時代のイマドキの民の営みが埋まっているはずだ。
(もっとも、山を崩したり、海を埋め立てて発展してきた場所であるのなら、当時は山の中であり、海の下だが)。
そう考えるなら、数百年後、我々の住宅地が、過去の民の住居跡として発掘されている可能性はゼロではない。

僕たち、もしかして、過去の民の住処を踏みつけているってこと!?

そうじゃなくて、イマドキのやつらが俺らの家屋敷の上に住んでいるんだよ……。