第百話:エピローグ

鷲塚昭彦はその後も何度か千寿の国に姿を見せたが、もはや彼にやることはなくなっていた。鷲塚にも想定外だったのは、本当に僅か三月の間にすべてが終わってしまったことだった。いや、三月どころか、二月半しかかからなかった。だから、木下綾香の物語は、千寿の天下統一まで描き切ることができ、いちおう『了』の文字が入った。残りの半月はそんな風にして、鷲塚は時々千寿のもとに「遊び」に行き、綾香はなおも誤字脱字を探して推敲を重ねることに費やした。その後、二人は結婚式の費用のために蓄えていた貯蓄を切り崩して、僅かに二冊だけの自費出版の本を作ってもらった。
「できたわ。これが『捏造大名家の野望』よ」
鷲塚は、冒頭の千寿と出逢ったシーンが忠実に再現されていることを見て感激した。もはやこうなると文章の上手い下手は関係ない。
「しかしその……このタイトルは……」
かなり、というかとてもダサい。
「そうね、でも……ここは原作者の遺志を継いでいるから」
「原作者?」
鷲塚はそれまで、綾香が「原作者」とやらの原稿を見つけたというくだりを聞かされていなかったのだ。綾香はデジタル図書館での一件を話して聞かせた。
「ということは……つまりその人物が、このゲーム機の元を作っていた、そういうことか?」
「恐らくは」
二人はまたしても感動する。
「いや、まるで夢物語ではないか。君のリサーチ能力にも吃驚だが」
「能力なんてないわ。そうね、でも……何もかもが奇蹟みたい」
「奇蹟か。そうだな」
鷲塚もそう思った。天の神様のイタズラ、それも楽しいイタズラに偶然にも巻き込まれた、そんな気分だった。
すべてをやり終えた二人は、結婚式を挙げるお金を失ったが、「籍を入れるだけでいい」という綾香の言葉で、そこは諦めた。例の報道陣たちは、十二歳で世界チャンピオンになったフィギュアスケーターと九歳の天才囲碁名人との幼い恋とやらの大スクープのほうに関心が移り、加えて、れいの綾香の元夫が、再婚相手と見なされていた美人モデルと破局したというニュースの後、一度だけ「現在のお気持ち」とやらを聞かれたのち、誰一人来なくなった……。
閑古鳥となったホテルの入り口から、二人は普通に外へ出る。
「なんだか、誰もいなくなる、というのも寂しいわね」
「ああ、しかし……何事にも終わりというものがあるのだな」
それは報道陣の馬鹿騒ぎを指したものだったが、同時に千寿たちとの交流の終わりにも関連していた。鷲塚はなにやら吹っ切れた風で、当初心配していた、悲しみのあまり取り乱す、というような失態を犯さずにすみそうだ、と感じた。
あっという間に吉田のオフィスについた二人は、タイムマシンに乗り込んだ。
「うわ、なんかこれ、千年前まであった『自動車』そっくり」
綾香はそんなお茶目なことを言ったが、内心は不安でいっぱいだった。万が一事故にでもあったら……その類の。しかし、すべては杞憂だった。瞬きするくらいの速さで、マシンは千五百年前に着いていた。
「もう到着したの?」
「行こう」
鷲塚は綾香の手を取り、綾香は例の本と、何やらプリントアウトした紙束を入れた封筒を持って地面に降り立った。そこが、時代劇でみる、「城の中」そのものであることに、彼女の心は何やら乙女の時代に戻ったようなトキメキでいっぱいとなった。

「山田ーー」
まるで天使のように愛らしい少年が、どこからともなく駆け寄って来た。これが千寿だろう。
「あ、あなたは山田のフィアンセ?」
千寿は一目で綾香の正体を見抜いた。なんと賢いのだろう。
「では君が千寿君なのね」
「ううううう、上様ーーーーー、将軍様ーーーーー」
相良が転げ出てくる。この男、とうとう最後までまともな登場の仕方ができなかった。
「今度は何?」
千寿に軽蔑されて、相良は鷲塚と、何やら初めてみる女の南蛮人とに驚きながらも、報告をする。
「し、敷山家より、使者が参りまして」
四人が中に入ると、敷山多江が待っていた。
「多江様……」
千寿は多少、彼女への「負い目」があった。あれだけ会いたがっていた昌興に、一目だけでも会わせてやることができなかったわけでもない。しかし、その後の泥沼を思う時、やはりそれは無理だった。しかし、兄の危急を救い、つまりは当家の危急を救ってくれた大恩人はこの多江だった。
多江は尼僧の格好になっていて、かつての傲慢な面影は消え失せていた。
「今は妙琳と号します」
「そう、妙琳様、お話があるとか」
千寿は穏やかに微笑んだ。
「兄・敷山隆邦の命を受け、臣従の使者として参りました。貴家との盟約が切れる前に、なんとかお聞き届け願いたいと。兄は出家し、嫡男に家督を譲る所存。まだ幼少ゆえ、戦のことなど全く分かりません」
「出家したり、幼少のご嫡男に跡を譲ったりしなくても、信じてるよ。多江……いえ、妙琳様さえにらみをきかせてくれていたら、両家の間は平穏無事である、と」
妙琳はにこやかに笑った。
「お任せくださいませ。我が兄がこの世で唯一逆らえぬのは、このわたくしにございます」
「それは心強いね」
多江の満足しきった後姿が見えなくなるのを見送って、千寿はそっと頭を下げた。
(ありがとう。あなたのこと、生涯忘れないよ)
千寿は何やら、心に思う所があるようで、常のようなやんちゃはなりを潜めていた。
「将軍様ともなると、人が変わるな」
鷲塚が感心する。
「君たちの天下統一をこの目で見ることができて、私は猛烈に感動している。君は私の最初にして最後の弟子だった。無事に卒業だな。誇りに思う。そして、君のことは生涯忘れないだろう」
鷲塚のこの言葉の意味は、綾香にしかわからないはずだった。しかし、綾香はなぜか千寿の顔にも鷲塚同様の憂いの表情が浮かんでいるのを見逃さなかった。
「うん。僕も、生涯あなたを忘れないよ」
鷲塚も何かを感じ取った。これは、千寿お得意のテレパシーなのか? 何やら今日が最後、ということを、彼はとっくに知っていたかのようである。
千寿は鷲塚と綾香を自室に招き入れると同時に、相良を呼んで、盛大な宴席を準備するように、と伝えた。それから、鷲塚、そして、綾香に向かって順番に頭を下げた。
「千寿の願いをかなえてくれて、本当にありがとう。もう、願いはかなったのだから、これは返そうと思う」
そう言って、千寿は鷲塚に発信器を差し出した。
「そ、そんな……これがないと、私は君の所へ……」
鷲塚は言葉に詰まった。もう会えないことは分かっていた。だから、発信器は不要なのだ。だが、このままだと、千寿のほうから「関係断絶」を言い渡されたようで辛い。
「もう十分だよ。千寿はすべて思い通りになった。世の中は平穏になったし、もう戦も起こらない。これ以上何を望むの? 山田には山田の『本業』がある。無理は言えないって、分かっている」
「つまりその、将軍様となった君は、その政務に専念するため、私と会っているようなヒマはないと、そういうことか?」
千寿は頷いた。綾香には彼が「無理をしている」のがありありと伝わった。本当は別れたくないのだ。
「一つだけ聞きたいの。ゲーム機はいずれ電源が切れたら終わりでしょ? そうでなくても、もうあんなものに頼るのはやめたほうがいい、いずれは捨てろ、みたいなことを言っていたよね? もう『卒業』したのだから、これからは使わないようにする。だけど、あれがなくなった途端、周囲の国々が造反してたいへんなことになったりはしない?」
鷲塚は言葉に詰まった。ゲームはそこで「エンド」になる。その先のことなど誰が考えるだろうか?
「君たちには十分すぎるほどの資源も兵力も、金銭もある。放っておいても問題はないはずだ。だが……いずれそれらは尽きる」
敷山家がゲーム機を失った後の惨状を思えば、恐ろしい。
「すべてそろっているのだから、これからが天下人の腕の見せ所だわ、実際に、歴史はもう、書き換わっているのよ。天下を取って幕府を開けば、少なくとも数百年は天下の形勢は変わらないわよ」
綾香が適当に歴史教科書を思い起こし、それとあわせて、大事そうに持っていた封筒を差し出した。そう、鷲塚にも本のことはわかっていたが、これらのプリント類のことは聞かされていなかったので、何なのか不明だった。
千寿が手渡された紙類を見てみると、「高校歴史教科書」とある。
「その、慌てていたから抜け落ちているところもあるし、色々な事情があって、国立図書館の歴史大辞典最新版までは持ってこれなかったの。だけど、これは、私たちの時代の子どもたちが学校で習う歴史の本。つまり、『史実』なのよ」
「15××年、有川家は天下を統一し……」
千寿と一緒にプリントを覗き込んだ鷲塚は、綾香が高校の歴史教科書の内容をつじつまが合うように改ざんした上で、プリントしたのだと知った。子供騙しの茶番としりつつ、彼も大仰に驚いて見せる。
「おおっ、本当だ。書き換えられているではないか。いつの間に? ん? 例の厳島の戦いも載っているぞ」
千寿の目がキラキラを通り越して潤んでいた。むろん彼には、こんなインチキいともたやすいということは分からない。鷲塚は僅かに良心の呵責を感じた。
「……この後、どうなるの?」
千寿は綾香に詰め寄った。記述は彼らが幕府を開いた云々でそれ以下がないからだ。
「あなたたちは現在進行形で歴史を書き換えているところ。これから改定されるから空白なのよ。教科書をつくる会社も困っているのだと思うわ。この先どうなるのか、あなたに分からないのと同じく、私たちにもわからない。これまでの常識が大幅に変わるのだから、反映には時間がかかるの」
千寿がその言葉を信じたのか、あるいは怪しんで彼らの嘘がバレたのか、そのところはさすがの綾香にも読み取れなかった。しかし、千寿はそれらの紙束を丁寧に封筒にいれて、大切に文箱にしまった。
「それからこれもあなたに」
「『捏造大名家の野望』……ナニコレ?」
千寿は未来の書物を手にして困惑している。
「その、そこにはあなたと、わし……山田さんとの出逢いから今までのことをその、軍記物語みたいに書いたの。だから、もしかしたら事実と違っているところがあるかもしれないけど、あなたが許してくれたなら、出版して全世界に宣伝するわ」
千寿は食い入るようにページをめくり、その瞳はキラキラと輝いた。鷲塚は「全世界に宣伝する」と言われて青くなったが、むろん、冗談と言う事は分かっている。
「うわ、これ、千寿が初めて山田とあった日のことそのまんまだね」
「そう、歴史は伝説となり、一般庶民の中にまで広まっていくのだ」
しかし、千寿はチラと山田を見遣ってから、綾香に言った。
「でも……これは出版しないで欲しい。だって山田がインチキな商売をしていたことや千寿がゲーム機で『ズル』してたことがバレるもの……」
「いや、インチキでもズルでもない。今のこの、平和な世界のためだ」
「そうよ、皆がハッピーになれたらそれで良いのよ。……でも、全世界に広めたりはしないから安心して。山田さんとあなたとわたし、三人の秘密よ」
「一人抜けてるけどいいや」
千寿の言葉に鷲塚はそれが隆房のことだとすぐに分かった。
「ダメだ、彼には見せるな。個人レッスンのシーンなど、単に一つ部屋にいただけだが、殺されかねん」
「確かに……」
千寿もそう言って、本のほうも大切に文箱に納めた。

その夜、有川家の山口城は上から下まで大騒ぎとなった。呼び集められるだけの家臣たちが集められ、そこらに残っていた公家たちも呼び出されて歌舞音曲そのた、綾香が見てみたい、といったものほとんどすべてが、再現される。
宴の席には、物語に登場した人々が。ただし、宇部で隠居する千寿の父と兄、九州でにらみを利かせている徳山直幸父子、安芸で領国経営に専念している毛利親子、周防守護となって以来、隆房の旧領に移って出て来ない昌典など、会いたいと思っていた人たちには会えなかった。
「いやぁ、山田殿、めでたいですなぁ。このような、傾城傾国の美女との婚儀……羨ましい限りです」
酔いの回った相良がここぞとばかりに千寿「お気に入り」の鷲塚に取り入ろうとするさまに、綾香は思わず吹き出した。
「よく分からないけど、皆、楽しそう。最後は皆ハッピーに、そんな感じね」
綾香は思わず「最後」と言ってしまっていたのだが、誰も気が付かなかった。一人、陶隆房だけが、やはり不機嫌だったが、時折千寿に酒を注がれて、形ばかりは「恐縮」していた。
「どうやら彼との泥沼だけは今後どうなるのか気がかりだな」
鷲塚が隆房を指さして綾香に囁く。
「あらっ、ものすごいイケメン。ふふふ、言ったじゃない。別に彼らは特別じゃないのよ。物語にも色々あるように、人の思いもそれぞれなんだわ」
「君はおめでたいなぁ。常になんでもハッピーに変えてしまう。まさに、千五百年後の千寿だ」
鷲塚に言われて、綾香は思わずその耳をつねる。
「ちょっと、どういう意味? 彼と私は『別人格』。それに、少なくも、一ミリでいいから、妻である私を優先してよ」

無礼講となった宴会場は、文字通りの大騒ぎ。まったくもってワヤクチャ状態。
そんな喧騒を離れて、千寿は一人夜の星空を見上げていた。木下綾香がその後ろに来ていた。
「千五百年先も、星空って同じなの?」
千寿に聞かれて、綾香は答えた。
「星にも寿命があるから、全く同じかどうかはわからない。でも、その寿命は気が遠くなるほど長いみたいだから、多分変わらないわね。千年くらい前は、工場の煙とか、派手なイルミネーションで夜空が見えなくなって、わざわざ空気が綺麗な田舎まで星空を見に行く人もいたのだとか。でも、今は地球全体が空気清浄機でクリアになっているから、星はとても綺麗。千五百年前のあなたと、同じ星をみているとしたら、とってもロマンティックね」
「地球ってさ、とても広くて、沢山の国がある、って山田から聞いたんだけど……。他の国に行ったら、僕たち食われてしまったりするのかな?」
綾香は思わず吹き出してしまった。
「あなたがザビエールとあった時、彼はあなたを食べようとした?」
千寿もぷっと吹き出す。
「ザビエールのことまで知っているんだ。山田はおしゃべりだね」
「そうね。無口な人なんだけど、多分、あなたと私には饒舌ね」
「ふーーん」
千寿は綾香を見た。例のキラキラの瞳で。
「これからも、山田のことお願いするよ」
「……」
何やら彼には胸に秘めたことがある。綾香はそう直感した。しかし、それが何なのかは分からなかった。ただ、悪いことではない、そんな気がした。

翌朝、鷲塚と綾香は千寿たちに見送られ帰国の途についた。
「山田殿、つぎにおいでになる日を楽しみにしておりますぞ」
二日酔いの相良が無意識に言ったその一言に、鷲塚は思わず胸がいっぱいになった。「つぎ」はもう、ないのだ。
「元気でね」
千寿は常と変わらぬキラキラの瞳でそう言った。昨日会った時の、何やら胸に秘めた雰囲気は消えていた。
「それから、お幸せに」
これは綾香に向かって言った。
「ありがとう」
綾香はこれ以上ないくらい優しい笑顔になって、そっと彼の手を握った。
「行こう、元気でな。千五百年前の諸君」
鷲塚は綾香の手を取って、マシンに乗り込む。珍しく、金銀財宝の「お宝」をもらったのだが、綾香が乗っているぶん、積み込むスペースが足りなかった。
ドアが閉まれば、後は一瞬だ。
千寿は彼らのマシンが消えた空を見上げる。
(忘れないよ、山田)
いつまでもその場を動こうとしない千寿を、隆房が迎えに来た。
「いつまでそこにいるつもりだ? 戻るぞ」
千寿は涙を拭いて振り返った。
「うん。これから先は隆房様との時間だよ。なんたら大将軍とかなんたら大将とか、忘れてね💖」
そんななんたらかんたらを意識してるはずがない隆房であった。


三か月後。
若山城の昌典に、男児が生まれた。なんともはや。今頃になって。
いや待て、どうせ千寿には子どもなどできない。だとしたら……。
昌典が忘れかけていたあれこれをふっと思い出したその時、伝令がやって来た。
「殿、千寿様が大至急参上するように、と」
「何が千寿様、だ。将軍様だぞ」
昌典はそう言ってみたものの、生まれたばかりの我が子と引き離されて、見たくもない弟の顔を見るために呼び出されるなど。
(どうせ、なんでもあの『箱』一つ。私の出る幕などないではないか)
ただ、どことなく嫌な予感もする。有川家唯一の男児。彼の出現で、昌典にまたしてもよからぬ考えが……などと疑われたとしたら。
(とんでもない……私は妻と娘と三人、いや四人になったが。幸せなのだ。お前言う所の、結果オーライとかいうものではないか)
不満たらたらな昌典が山口に着くと、相良に出迎えられて、直接千寿の部屋に通すように言われている、と。しかたなく、千寿の部屋に向かう。
「……うえさま」
何の反応もないから、ここはプライベートな空間だ、私は兄なのだし、と勝手に部屋に入る。しかし、千寿の姿はどこにもなかった。
「……?」
小机の上に、何やら書付がある。昌典は慌ててそれに目を通した。
――兄上、今までありがとう。嫌なことも色々あったと思うけど、今はハッピーだよね? 兄上だけが、楽しいことが何もないんじゃないか、ってことが、千寿の唯一の心残りだった。だけど、兄上にもこれ以上ないくらいの幸運がやってきたよね? 今度こそ、正々堂々と当主の座に就いてください。これと同じものを、父上と昌興兄上にも送った。兄上の『策略』で千寿が消えたなんて思う人はもう、だれもいないけども。兄上が気にしたら困るからね。武力で天下を統一した後は、政でその政権をしっかり守っていくことこそ肝要。その意味でも次の当主は兄上が相応しかったんだよ。心配しないで。鶴丸は立派に成長するよ。お家は安泰だね。もう行かないと。千寿自署
昌典はその場でへたり込んでしまった。
「な……なんなのだ、これは?」
どう見ても「家出」を匂わせている。よく見ると、もう一通、将軍御内書まで用意されていた。「家督を次兄・昌典に譲る」とあり、こちらには花押もきちんとあった。
(わ、わが息子には、まだ名前すらついていないのだぞ……)
千寿の書付には「鶴丸」とあったが、それは昌典の幼名と同じ。確かにそのように命名しようとしてはいたが……。
「さ、相良殿……」
昌典の悲鳴に部屋に駆け込んだ相良も、昌典から見せられた書付を見て腰を抜かした。