第九十九話:新たなる旅立ち

弘中隆包は、千寿が隆房に「先がいいか、後がいいか」とこっそり尋ねているのを見てしまった。隆房は千寿の耳元で何やら囁いたが、中身は聞こえなかった。しかし、その後すぐに、千寿がじゃ、弘中様が先、と言ったのは聞こえたので、隆房は「後」と言ったのだろう。
ちょっと目をつぶってて、と言われたので、その通りにしたのだが……。いきなり身体が浮き上がったような感覚の後、ドタッと尻餅をついた。見渡すとそこは見知らぬ浜辺であった。
(……?)
なぜ先程まで執務室にいた身が、このような浜辺に? 弘中の情報処理能力は機能しなくなり、そのままそこに座り込んだまま暫く呆然としていた。すると、見上げた空から何者かが降ってくるのが見えたので、ますます驚き、もはやこの謎めいた恐ろしい世界から一刻も早く逃れ出したいと感じた。
「なにゆえ、私まで……」
隣で陶隆房が喚いているのを見て、弘中にも漸く、わずかばかりであるが、「飲み込め」てきた。
弘中同様、この陶も「飛ばされた」のであり、このように好き勝手に「飛ばしている」のはきっと、千寿だ。隆房は恐ろしいので弘中を先に飛ばした。だが、先に飛ばされようが後から飛ばされようが、やられることは同じ。むしろ、無様に尻餅をついた現場を「しっかりと目撃された」分、恥をかいたのは「後から」来た隆房のほうだ。
彼らヘンテコな主従が、自分たちだけ被害を少なくしようなどとずるをするつもりならば、後か先かなどと考えるよりは、「経験者」徳山直幸に詳細を聞いたほうがマシだったろうに。しかし、弘中は人がいいので何も見なかったことにした。彼が見なかったことにしたところで、隆房の怒りはおさまらない。隣に先に着いた弘中がいた、ということは、隆房が落ちた瞬間は当然「見られて」いる。
「事と次第によっては……」
いったい誰に何を怒っているのだろうか? 弘中は常のようにお人好しな笑顔になって、やんわりと言った。
「恐らく、我らは『共に』『飛ばされた』のでしょうな。して、ここはいったいいずこでありましょうや?」
「……わ、我に分るはずが……」
隆房は言いかけて口を噤んだ。千寿の言葉を思い出したからだ。
――一人じゃ心配だから、お人好しの弘中様をつけるけど、『お人好し』って意外と怒らせると怖いから、こき使うならそこそこ礼儀正しくね。
「あの南蛮人の『妖術』に狂いがなければ、我らは阿波国についたはずだ。城を探そう」
千寿は「恐らくは城門付近に飛ばされる」と言っていたのに、そこはただの浜辺であった。あるいは、何か不具合でも起こったのだろうか?
「あそこに何やら人家があります。尋ねてみるとしましょう」
隆房が弘中についていくと、海賊だか漁師だかわからない男が魚を焼いていた。
「ちと尋ねるが、この付近に城はないか?」
「城?」
男は場違いな二人をジロジロ見ていたが、やがて声をひそめていった。
「ここだけの話だけどよ、つい、昨日まで確かに『城』はあったのよ。ボロっちぃのがな。それが、ほれ、さっきの大地震で気がついたら何もねぇんだわ」
弘中と隆房は顔を見合わせた。謎の大地震と「消失」した城。何度も聞いたことがある話だ。さらに歩いて行くと、高台に瓦礫の山を見付けた。
「何なのだ、これは?」
この陶隆房が向かう所に、「攻め落とすべき城」も「入る城」もなく、瓦礫の山とは。弘中が、まあまあ落ち着いて、と声をかけようとしたとき、また凄まじい揺れが。二人は立っていることが出来ず、その場から再び「飛ばされた」ような感じになった。
(千寿め。よくもこんな……。やはりお前が傍にいて我が目の前で『ゲーム機』を使うべきなのだ。我一人のために。それを、毛利元就だの、あの山猿だのにまで……)
何やら自分の世界に入っている隆房の隣で、弘中隆包はわなわなと震えていた。
「ご、ごらんくだされ。わ、我らの入るべき城が……」
隆房ははぁ? と気が抜けたように言った後、これまた顔面蒼白となった。二人の目の前にあったはずの瓦礫の山は一瞬にして、あの山口城や若山城のような巨大な城に変わっていたからである。
「こ、これが……て、天下を動かす力か……」
隆房の胸に怪しい炎が点る。しかし、弘中の血も涙もない一言が彼の幻想を粉々にした。
「さすが千寿様。やはり『妖術使い』だったのですな。あのようなお方に仕えていれば、我らも役得に与れそうだ。いやあ、ここまで目茶苦茶になるとかえって痛快ですな。まともに考えていたらおかしくなる。このような『子ども騙し』はああいう御子にこそ相応しい。昌興様が早々と隠居した理由が分りましたぞ」
豪快に笑いながら、出来たての城に入っていく弘中。あまりに早いその適応能力に、隆房はついていけなかった。
「……この力は元々千寿が我のために……」
なおもブツブツ言っていた隆房だったが、その後、城内の金銀財宝と溢れる兵糧米、どこからか押し寄せた配下の兵士たちに圧倒され、言葉を失った。

「隆房様だけ特別にしてあげたの」
千寿の内緒話を聞かされて鷲塚はそのキラキラの瞳を見ようともせず、せっせと電子手帳にメモをしていた。
「種明かしをすると……このボロい城はついさっき尼子家の人が落としてくれたんだけど、まだ彼らの名前が城にあるうちに、弘中さんを飛ばして城主にし、それでもって、尼子一族はほかのところに飛ばしてしまい、それから隆房様を飛ばして城をぶっ壊して建て替えた。その後で城主を隆房様にチェンジ……って、さっきから何書いてるの? 話聞いてる?」
「聞いている。書き留めているのだ」
「ふーーん」
千寿は黙ってしまった。
「おい、もう終わりか?」
「だって、この先少しはリアルでやってもらわないとストレス溜まるよね?」
いや、そんな時間的余裕はない、鷲塚はそう言いたかったが言えなかった。しかし、陶隆房には「リアル」で頑張る気はないであろう、という「予感」はした。
「では取り敢えず、私は一旦戻る」
山田が電子手帳をれいの革鞄に入れて立ち上がるのを見た千寿は、え? と聞き返す。
「来たばかりじゃない?」
「すまない。私にも『本業』がある。君たちとのことは、ボランティア活動になっているし。そのかわり、次は早めに来る。必ず。それから……」
そのうち綾香も連れてくる、と言いかけて鷲塚はやめた。それは「最後」の航海となる。まだ早い。
「じゃ、こっちも『本業』あるから、見送らないね」
千寿に言わた鷲塚は、ケチだな、と言おうとして千寿の「身分」を思い出した。
「そうだ。君には大切な『本業』が。また会おう、少年」

執務室から鷲塚と一緒に出てきた千寿は、入り口で彼と別れ、反対の方角に歩き出した。